症状とは一体何か、といったときに
今現在のボクは、症状とはどうにもならないもの、
と解釈しております。

症状とは変えようがなく、
症状は紛れもなく、ボク等そのものなのです。

仕事をしてどうなった、など
随分といろいろ言ってきましたが、
結局は先の投稿で述べた通り、
あまり変わらないのではないか、
といったところです。

少し良くなった気もしますが誤差の範囲でしょう。

ボク等は思えば、症状に対する理想的なことを
散々述べてきました。

こうすれば良くなるだろう、と言った具合に。
これは斉藤療法も森田療法も同様ではないでしょうか。

あるがまま、無といった概念により、何か別次元の
世界に入れるような希望的なものが存在していました。

勿論、本当の意味での、あるがままというのは
そういうことではないのかもしれませんが。

多くは正しいとも思いますが、そのような希望的な
言い方が少しばかり、多かったようにも思います。

斉藤さんや、kenさんは、神経症を脱したようで
実は脱していなかった、あるいは神経症に舞い戻った
といったことを話していたと思います。

そのくらい神経症は治りにくいといいますか、
症状というのは消えたようでも、
存在しているものとボクは思うのです。

そんな体験は、ボクも同じことです。
症状がなくなったと思って、
振り返ってみたら、やはり症状はそこにある。
そんな体験が何回かあったように思います。

ただ治癒が全く存在しないかというと、
以前から述べている通り、
そういうことでもないでしょう。

治癒は全く別次元で動くものです。
それはただただ自然の経過に他なりません。

我々が何をしようがしまいが
その自然の経過である治癒を
早めることも、遅くすることも不可能。

そう考える次第です。