中村会 契約書 | 栢莚の徒然なるままに

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戦前の歌舞伎の筋書収集家。
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今日で私のブログも5周年を迎えました。

コロナ禍での暇潰しの一環から始まったこのブログですが幸いにも今日まで続ける事が出来ました。

これからブログは関東大震災による混乱期、そして大正後期を経て昭和へと入っていきます。

今の目算ですと7年目位までの資料は確実にありますので引き続きご贔屓お引き立ての程宜しくお願い致します。

さて今年の解説記念日に紹介するのはXや同人即売会では度々告知して来た通り、前年の8月に高砂屋中村福助家の遺族である倉田政秋氏にお会いした際に見せて頂いた資料を撮影し文書の解読を現在進めております。

今回はその中でほぼ全文が解読できた資料であり、初めて現存が確認された近代歌舞伎における貴重な資料を紹介したいと思います。

 

中村会 契約書(無断転載防止用加工済)

 

こちらは明治36年8月16日に大阪常国寺にて成駒屋の関係者である五代目中村芝翫、初代中村鴈治郎、高砂屋三代目中村福助の3名が集まった事で成駒屋一門の今後についての約定を交わした文書の原本に当たります。

内容から言って同じ物が歌右衛門家、鴈治郎家にも伝わっている物と見られますがその2枚の行方は杳として知れない事や中には契約書の中身が知られていない事を良い事にホラ介の様に平気で嘘やデタラメを吹聴する輩も出て来た事もあり、倉田氏の許諾を受けてここに契約書の内容を全訳して公開したいと思います。

 

()は筆者注釈、一部仮名を平仮名に改める

 

契約書

 

・中村芝翫、中村鴈治郎、中村福助 之三家は元来親戚事渠禮遇をなりありしを今回尚一層其間を来揚し親类(類)間の情報を金一(均一)せん為双方熟議の上に基き本契約を作成す

 

第一 右の家は何事も申さず家名の関する事柄及び改名幸不幸号号其都度訊速に指道し且つ協力同心して熟慮し上諸事相譲歩して可決する事

 

第二 門弟の令名改名は同名を注意し疑はしきものは参打合せし上可決さる事

 

第三 従来の門弟中の同名異人ある時は而㳃速に改める事而改称法は令名の年月日の早き者を先輩と忍(認)傚し後者をして改称せしむる事

 

第四 三家門弟被りし時は師家と証明証古(証拠)××(解読不能)其地に三家の者の到着後直ちに××(解読不能)出でしめ以後従時指揮をなす事

但し証明証古(証拠)先方を所持せざるのに此意見を申さるものとす 

 

本契約は大阪市南区高津中寺常国寺所在四代目中村歌右衛門の墓前にて当事者及び本件××(解読不能)顧問中村傳五郎と立会人久川善五郎立会の上締結し各自署名捺印して一冊宛保存するもの也

 

明治三十六年八月十六日

 

中村芝翫事 山本栄次郎(捺印)

 

中村福助事 笹木徳数(捺印)

 

中村鴈治郎事 林玉太郎(捺印)

 

中村傳五郎事 顧問 藤徳次

 

立会人 久川善五郎

 

右請求に由て歌成院墓前を以て本契約を締結セし事確認し立会人として記す

 

常国寺住職 盛山日基(捺印)

 

御覧の通り三家における名跡の重複やトラブルの際には打ち合わせの上、トラブルを回避するといった意味合いで締結された契約書ですが皮肉にも4年後の梅玉襲名及び8年後の歌右衛門襲名騒動ではこの契約書の約束が履行されずトラブルへと発展し結果として高砂屋中村福助と成駒屋中村福助が100年近くに渡り両立・硬直化する事態を作る遠因になってしまいました。

そんな成駒屋にとっては因縁深い契約書を120年の時を経て公開できた事は私自身に取っても大変意義深い物があります。

この書類以外にも概ね解読できた資料がありますので順次紹介していきたいと思います。

 

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