大正9年4月 帝国劇場 創立10周年記念公演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は歌舞伎座の筋書でも触れた帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。

 

大正9年4月 帝国劇場 創立10周年記念公演

 

演目:

一、式三番

二、頼朝

三、二枚絵草紙

四、大津絵

 

明治44年3月の杮落し公演以来、帝国劇場は当初の目論見とは若干アテが外れたものの、歌舞伎と女優劇公演という収益の二本柱に加えて短期公演で自由劇場や翻案劇、更には宝塚歌劇団と多彩なジャンルの演目を上演する劇場として成立し大正演劇界の中心として活動していました。

 

参考までに杮落とし公演の筋書

 

女優劇公演の筋書

 

そして目出度く10周年を迎えての記念公演を花見月の4月公演にぶつける事にしました。

 

参考までに同月の歌舞伎座の筋書 

 

凄くどうでもいい話ですが筋書の持ち主は千秋楽(25日)直前の23日に観劇した模様です。

 

 

式三番

 

 

序幕の式三番は杮落としの時の必須演目ですが10年という節目の年を迎えて祝祭を記念すると共に気持ちも新たにという意味合いも込めて選んだ様です。

今回は翁を勘彌、千歳を高助、三番叟を丑之助、後見を幸蔵、源平、玉三郎がそれぞれ務めています。

あくまで慶事という事でやる演目だけに劇評も

 

式三番は大いにめでたく、勘彌の翁、鷹揚に舞ひ、高助の千歳丑之助の三番叟晴れやかに勤めて、これも招きの「翁」の形のみならず、初興行の開場式に梅幸の翁、高麗蔵の三番、宗十郎の千歳宗之助のワキなりしなども思い出されてまた目出たさを積まんとぞ思ふ

 

と10年前の時と比較して次世代が育っていると評価されてはいますが一方で

 

序と切の何れかを取って、もっと力のある所作事でも見せた方がと思はれるが、それは我等の欲望かも知れない。

 

と大切の大津絵と傾向が被っていて演目の選定について疑問視する指摘もあり賛否が分かれています。

とはいえ、まだ序幕とあって続く頼朝に比べると穏やかな評価が多い形になりました。

 

頼朝

 

一番目の頼朝は杮落とし公演にも上演した山崎紫紅の書いた新作演目です。ただ、今回の再演に当たり全体の2/3を書き直すという大幅な加筆を施されており、10年前には無かった二幕目の頼朝仮館の場及び八牧御所座敷の場と大詰の高殿炎上の場が新たに書き加えられています。

 

頼朝仮館の場及び八牧御所座敷の場

 
 
高殿炎上の場

 
こちらは書いた山崎紫紅本人に言わせると
 
白状すれば受けが好からうといふので差加へたのです。
 
と10年前の脚本があまりに真面目過ぎて面白味に欠ける所があったのを反省してか視覚的に映える本火を使った高殿炎上の場をウケ狙いで付け加えたそうです。
そして配役も10年前と同じく頼朝を幸四郎、北条政子を梅幸、加藤景廉を宗十郎、北条義時を宗之助、北条時政を松助がそれぞれ務める一方で10年前は村田嘉久子が演じた侍女浪路を丑之助、幸蔵が演じた関の屋八郎を勘彌が新たに務めて10年前の焼き直しに感じさせない様に配慮したそうです。
この様に改変や配役変更により女優との共演という新しい演劇から純粋な歌舞伎の新作物となったこの演目ですが評価の方はというとまず改変については
 
作者自ら大に改訂を加へて、前には陰になっていた八牧の夜討を加へ立廻りや高樓炎を見せて、一般受けのするやうに改められたが、併し史実土台とした単純な筋だけに何処か淋しい物足りなさがある(中略)頼朝の恋が政略結婚によって、大志を達しやうとする一方で、真実の恋になって行くやうに思はれる處も見えて、短い間に頼朝の性格の可也複雑した處を出さうとしたらしいのが、骨の折れる割には栄えないやうにも思はれる。
 
作意としては、頼朝の館限りが好く、八牧方の二場は、飛んだ長物の蛇の足、儘になるなら書き消すに若かず。
 
増訂の八牧の館と高殿炎上焼討は蛇足です。
 
と大河ドラマで話題になった大泉洋の頼朝みたいな一筋縄ではいかない複雑怪奇な性格を演出しようとした努力は評価されていますが如何せん10年前の脚本に加筆しても一本筋な展開を面白くするには増訂程度では些か無理があったらしく却って蛇足だという否定的な見方をされました。
ただ、その一方で舞台演出については別の劇評で
 
序幕の北条館庭中、舞台の高きを利用したる大道具、大きく出来て好し。(中略)舞台の光線も好し。他座の如く、明暗のバッバッと際立たぬが殊に好きなり。
 
と流石は他の演劇ジャンルも盛んに上演する帝国劇場とあってか歌舞伎専門で上演している他の二座に比べても照明の匙加減などについては頭一つ抜けた優秀さがあったと評価されました。
しかし、大詰の高殿炎上の場については
 
最後の高殿の場の道具の如き、見積もり違ひの馬小屋かとも覚えて、行儀よくチャンと明いて居る穴から火が見えるなど、何程何でも児戯に過ぎたり
 
詰の高殿の妙な道具立の外は大道具もこの小屋としては先づよい方だった。
 
といくら本火を使うとはいえ、仕掛けが丸見えのただの二重を高殿に見立てた舞台セットはかなりチャちく見えてしまい評判が悪かった様です。
更に役者の演技に入ると再び筆の勢いは強くなり源頼朝を演じた幸四郎は
 
幸四郎はその頼朝を台詞廻しも大に意を用ひて努力して現はして居る、即ち恋の外の大望を深く秘めて、弱々しく見せてゐるといふ適所の流人の心持を或程度まで浮出してゐる
 
幸四郎の頼朝、源家の公達に誇るか鄙の人の者を欺く心か、涙もろき詞が形と副はず、俗にいふ「喰せ者」の形あり、屹っとするところは凜となりてよし(中略)鎧をつけると泣声ををさめて大将ぶりよく立派なり
 
幸四郎の頼朝、若々しき粉飾に於いては例の扮り上手に仕出来たれど、尻を切詰める台詞、ギクギクする態度が、余りに狼狽へ気味に滑稽に現れて、当時の佐殿を大分現代的神経家に作り上げたるが些と妙ならず。然う取扱ふが新解釈との説もあらんが、この場合忌なり。(中略)女を失ひしと口惜がる煩悶が、大ベソにて女々し過ぎ。政子に逢ひてよりは、如何にも大将軍たるべき器量備はりて見ゆ。
 
と黙っていれば入念な顔の若作りの拵えもあって頼朝らしく見えるのに、口を開くとどうしても作り込み過ぎた役柄像といつもの変な台詞廻しが災いして徒に評価を下げている部分が見受けられたそうです。
それでもまだ評価されている部分もある幸四郎はまだ良い方で政子を演じた梅幸は
 
梅幸の政子気丈の上に姉姫は容貌よしといふにも叶ひたり、併しはじめより胸に一物ありげにて妹の夢を買ふも娘話しのあどなきには似ず
 
梅幸の政子は近年調子が恐ろしく荒んで来たので、妖艶な味が乏しくなって、頼朝を我手に納めるまでの魅力に欠ける處がある、併し勝気な政子としてはよく現はされてゐた
 
梅幸の政子、女優劇から獲得したるやうなる、両手を組合はせて、腕から体とグニャグニャさす科を、二度三度繰返すは、処女の嬌羞を見するゐ意の中古演出ならんも、如何せん、既に御本人台立ちられば、三十女の色気附いたるが如く、又裾ッ張後家の押売の如く、われ等の感触甚好からず。然ればといって、勝気を見すれば忽ち老けて一廉の年増。要するに苦心は見えて容姿伴はず
 
とこちらは10年前に比べて老いを隠そうとする演技が見え見えだとどの劇評も口を揃えて手厳しく批判されています。
 

幸四郎の頼朝と梅幸の政子

 
また、10年前は森律子が演じた梅幸演じる政子の妹に当たる浦代姫に大抜擢された梅三郎は
 
身分以上の大役だが、これもよい
 
という評価をされている劇評もありますが多くは
 
梅三郎の浦代姫、姉姫の噂通りの美しさに引立んと姉思ひかは知らねど少し美女ならず過ぎたり
 
梅三郎の妹姫浦代、コチコチと下品なり。拙いにはあらずが役が立つ
 
と折角の大抜擢でしたが流石に大役に慣れないが故のミスが散見されたらしくこちらも厳しく批判されています。
因みにこの梅三郎はこの後も梅幸の門下筆頭として仕え、帝国劇場崩壊直前の昭和4年6月に四代目尾上梅朝を襲名し、師匠亡き後七代目梅幸を始め東海道四谷怪談といった尾上家の怪談物の演技を後進の役者たちに伝える等、お師匠さんとして重要な役割を担った音羽屋の大ベテランとなる人です。
更に劇評家達の舌鋒は宗十郎にも及び
 
宗十郎の景廉、この優が中州時代(訥升時代に真砂座に出演していた頃)の新演出、今以てその体を離れず。動もすれば腕組みをしたり、変に武骨がったり、壮士芝居の新史劇といふ観あるは、帝劇創立以前に遡る事二昔にも及ぶ頃から、かうした演り方を散々見せられてゐるわれ等に取って、迷惑誠に尠(すくな)からぬ儀なり。斟酌ありたし。
 
と20年前以上の真砂座時代から続く変な悪癖がまだ治っていないとして厳しく批判されました。
 
宗十郎の加藤景康と丑之助の侍女波路

 
そして珍しく立役の北条義時を演じた宗之助と北条時政を演じた松助は
 
宗之助の北条義時は才智ありまた覇気もありげにて政子の弟として誠によし
 
宗之助の義時、二十週年頃(創立20周年、つまり後10年後の意味)には、これが政権を握る人か知らねど、打見たる所如何にも小四郎(義時の別名)なり。褒めておやりなされば些と見当違ひなるべし。
 
松助の北条時政、小四郎の親ではなく、小四郎の切腹を見て行く方の時政(盛綱陣屋の時政)なり。
 
と宗之助は全体的には評価されていてあと10年もすれば3人に代わり帝国劇場の主役になる可能性を秘めているとしながらも褒める程では無いと言われている事や松助に至っては古典の盛綱陣屋の時政と何ら変わらないと批判されている事からも両名とも優れた演技とまでは行かなかった様です。
この様に10年前のオリジナルの面子は幸四郎と宗之助以外はかなりの酷評だらけでその幸四郎も台詞廻しと役作りは厳しく批判される他、宗之助も満点とは言えないなど芳しくない結果でしたが梅三郎以外で今回新たに演じた面子はどうだったかと言うと
 
勘彌の関屋八郎、感心に安く演てゐるといふ分の事
 
長十郎の兼隆、強さうな割合には、立廻りが根っから栄えず。
 
とこちらも今一パッとしない結果に終わりました。

この様に増訂や配役変更など努力は加えたものの、それが良い方向には行かず、却って悪目立ちする結果に繋がり失敗に終わってしまいました。

 

二枚絵草紙

 
二番目の二枚絵草紙は以前に浪花座の番付で紹介した近松門左衛門の書いた心中二枚絵草子を元に岡本綺堂が脚色を施した事実上の新作演目となります。
 
原作の心中二枚絵草子を上演した浪花座の番付

 

内容としては大筋においては変わらないものの、新歌舞伎で数々の演目を書きあげた綺堂だけに市郎右衛門が介右衛門の養子であったという設定や互いが場所を別にして心中の準備をする際にも互いの幻影が現れて心中に向けた描写を入れる等、彼の独特の心理描写の脚色が入っているのが特徴です。

今回は長柄市郎右衛門を宗十郎、長柄善次郎を勘彌、天満屋徳兵衛を幸四郎、徳兵衛女房お勘を梅幸、介右衛門を松助、天満屋お島を宗之助がそれぞれ務めています。
さて、これまで近松物というと国姓爺合戦や鴈治郎の封印切といった幾度も演じられている鉄板物を除いて幾度か別の演目を脚色を施して復活させて上演するも悉く失敗するケースを幾つか紹介してきました。
 
失敗例その1

 

失敗例その2
そんな中で今回は近松の技法を使って心中浪花の春雨という一風変わった心中物を書いた事がある綺堂が挑みましたが演目そのものの評価はどうだったかと言うと
 
今度の脚色には、原作の上の巻を省きたれど、無論舞台では然うあるべき所。読んで無理だらけな作者の道楽。人形(文楽)で見てからが、真に面白からう様はなき件なり。
 
とまず無駄な原作部分を省いて分かりやすくした点は評価されていて続いて
 
舞台に現れたる科に見て、如何にも道理に改められしと思ふは、市郎右衛門が扇を止めて脇差を閃かす事。数珠を操る約束を、鶏の啼音に変へたる事。そして外々には一切原作の俤を存じたる脚色、誠に結構と申すべし。
 
と原作を尊重しつつも細かな部分でリアルな写実描写を入れた事は評価されているのが分かります。
ただ、当然ながらその代償として欠点も幾つか見受けられたらしく
 
先づいって見んに、弟善次郎の改心が明瞭せぬ憾、これ第一。次に、親父介右衛門が、(お金の入った)紙入をフッと忘れて行くのではなく、癇癪紛れ敲き付けてその儘にして行くは、さもさも事件の種運びのやうにて、悲劇の動機が薄ッぺら過ぐ。
 
心中の天満屋と堤とを、三度変へて見せるのがこの芝居の味噌かも知れないが、その変る間が手際よく早く行かないので
余程興を殺ぐやうに思はれる
 
と大詰めの心中描写に拘るあまり、原作にはあった善次郎の悔悟の念が薄くなってしまった事や二人の様子を見せるのに固執し過ぎるあまり芝居の流れが悪くなってしまった事、心中の原因となる金の入った紙入れの件も介右衛門が敢えて事件を起こすかの様に置いていくのが不自然だと指摘されています。
その上で役者については市郎右衛門を演じた宗十郎について
 
宗十郎の市郎右衛門、唯の百姓でもなく、丸ッ切りの色師でもない工合よし。演る事も、余り古めからず、近松程度の歌舞伎味もありて好し。十分とはいへねど、先ァここらが勘弁どころなるべし。
 
と普段宗十郎の事を情け容赦なく酷評している岡鬼太郎をして及第点以上という異例の高評価を受けいます。
対して帝国劇場の老役と言えばこの人と言えばこの人の右に出る者はいない松助も
 
松助の介右衛門、前にいひし件の外、申分なし。楽なもの。
 
と紙入れの件にはミソが付いたものの、それ以外は余裕で演じていると評価されています。
 

松助の介右衛門と宗十郎の長柄市郎右衛門

 
対して天満屋お島を演じた宗之助は
 
(ちょう)ど本文程度の女にて、演る事も無難なり。
 
と平凡な評価で最後に兄を破滅に追い込む善次郎を演じた勘彌は
 
勘彌の弟善次郎、改心が明瞭せぬゆゑ損なり。なれども、心地は見せて居たり、普通の出来。
 
と上にも書いた様に悔悟の念が不鮮明になってしまった脚色の影響もあり、こちらも可もなく不可もなくといった出来栄えだった様です。
 

勘彌の長柄善次郎と宗之助の天満屋お島

 

また、今回は脇役で付き合った幸四郎と梅幸も

 

梅幸と幸四郎が天満屋夫婦で、附合ってゐるのも引立った。

 

と主役で今一つだった一番目に比べてこちらはきちんと若手2人を引き立てていたらしくそこら辺はきちんと評価されています。

この様に岡本綺堂の脚色がどちらかと言えば悪い点を良い点が上回ったのと大抵独特な演技で足を引っ張る宗十郎が上方世話物で珍しく本領を発揮できた事もあり一番目の出来を遥かに上回り今公演の当たり演目になりました。

 

大津絵

 

大切の大津絵は安政4年10月に森田座で初演された採筆恵の大津絵を元にした所作事の演目となります。

初演の時は大津絵に所縁のある傾城反魂香の続きで上演され四代目中村芝翫(当時は初代中村福助)が1人6役を演じ分けるという技巧を前面に出した演目でしたが、今回はそんな事はなく

 

藤娘:梅幸

鬼の念:幸四郎

座頭:宗十郎

鷹匠:宗之助

奴:長十郎

福禄寿:幸蔵

大黒:高助

達磨:源平

矢の根五郎:泰次郎

弁慶:玉三郎

 

とそれぞれ主だった出演者がめいめいの役で出演するただのカーテンコール所作事となっています。

これについては劇評も分かっていたのか

 

総出の賑やかな物

 

幹部、御賢息、総出の浄瑠璃

 

とあまり触れておらず賑やかしとして評価するに留まりました。

この様に歌舞伎座とは対照的に一番目の頼朝はコケたものの、二番目の二枚絵草子の方はそれなりの出来栄えで持ち直した事、更には開場10周年という節目のイベントという特殊性もあって入りの方は歌舞伎座ほどでは無かったものの何とか大入りになり、面目を施す形となりました。

因みに劇評では20周年の話もチラリと出ましたが開場19年目となる昭和4年に帝国劇場は松竹に身売りしてしまった為に単独では祝う事が出来ずこれが最初で最後の周年イベント(5周年の大正4年と15周年の大正14年の時には行われなかった為)となりました。

つまり、今回の公演が奇しくも戦前の帝国劇場の歴史の中で丁度折り返し地点に差し掛かったという事でもあり、そういう意味でも趣深い公演だったと言えます。