大正8年4月 明治座 中車と左團次一門の奮闘公演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりに明治座の番付を紹介したいと思います。
 
大正8年4月 明治座

 
演目:
二、実朝公
五、賤機帯
 
歌舞伎座の筋書でも紹介した様に一門の長たる左團次が歌舞伎座へ出演していた為に毎度の如く残された一門は明治座での公演となりました。しかし、今回はそれまで何度も共演していた二代目猿之助は海外へ洋行中で不在、初代又五郎は公園劇場に行っていた為に共にいませんでした。
 
猿之助をゲストに迎えて行った新富座の筋書はこちら

 

初代又五郎を座頭にして行った明治座の筋書はこちら

 

その為、今回はゲストにかねてから親交がある中車と前年の8月から東京に長期滞在している雀右衛門を上置き迎えて一座の壽美蔵と松蔦を中心としての座組となりました。
 
由良湊千軒長者
 
一番目の由良湊千軒長者は三代目竹田出雲等によって宝暦11年5月に初演された丸本物の演目です。森鴎外の書いた小説「山椒大夫 」と聞けばピンと来る方もいるかもしれませんがこの演目は安寿姫と厨子王の話を歌舞伎化した物となります。
一応説明すると中世の時代、武家の岩城正氏が讒言により失脚し子供の安寿姫と厨子王は人買いに騙されて丹後国由良海岸の山椒大夫の處に売られて奴隷同然に酷使され、姉弟は逃亡を決意し姉は自殺を図って亡くなり(森鴎外の山椒大夫では自分の身替りに敵の手にかかり殺されるという話に変更)無事弟を逃がし、後年成長した厨子王は讒言者を追放し、山椒大夫、及び人買いを次々と殺害して復讐を果たし、年老いた母と再会するという結末となります。
因みに全くの余談ですが、森鴎外は一見すると歌舞伎とは無縁に見えて実は深い関係にあります。というのも実弟の三木竹二は二代目安田善次郎と共に歌舞伎新報の後継雑誌たる第1次歌舞伎を立ち上げた創設者であり、深い知見に基づく鋭い劇評は明治歌舞伎を知る上で欠かせない劇評となっています。弟の死後鴎外は第一次歌舞伎に文章を寄稿する一方で日蓮聖人辻説法を歌舞伎座に向けて書卸ろすなど幾つかの作品を戯曲として発表していたりします。
さて、今回は三荘太夫(山椒大夫)を中車、元吉要之介を壽美蔵、安寿姫を松蔦、由良三郎を左升、対王丸(厨子王)を紀久丸、三荘太夫妻渚を小團次、三荘太夫娘おさんを雀右衛門がそれぞれ務めています。
さて劇評ではどうだったかと言うと一番出来が良かったのは元吉要之介に恋をする乙女であるおさんを演じた雀右衛門で
 
雀右衛門のおさんは手覚えのある物か鶏娘なかなかよし、別れの辻で壽美蔵の要之介と出会なければ家の場で始めて逢うて、貴方ぢゃ貴方ぢゃの恋話しも清姫めくが向ふが蛇になれば此方は鶏になるのなれば、いづれは変化めきてそれもよし(中略)鶏娘になってからの働きも面白し
 
と行方不明の実の兄に禁断の恋をしてしまううら若き乙女の前半と三荘太夫の非道の祟りで鶏みたいに時を告げる様になってしまい父の非道を諌めて自害する後半共々雀右衛門の十八番の役柄とあってニンにぴったし合って絶賛されています。
 
次いで評価されているのが三荘太夫の中車で
 
中車の三荘太夫も憎ッぷり中車の中ぐらゐなれど最も近ごろ義人劇ばかり取扱ふので自然にモドリの善が滲出すならん、竹鋸の件も恐ろしからずして見物を悦ばせしは大いによし
 
と劇評からするともう少し悪役としての憎らしさが欲しかった様ですがやる事に申し分は無かったそうでこちらも評価されています。
 
中車の三荘太夫、松蔦の安寿姫
 
そして左團次一門も元吉要之介を務めた壽美蔵、三荘太夫妻渚を務めた小團次は
 
壽美蔵の要之助は主君の身の上を案じる心十分にてこれか隻方へかけて大働き
 
小團次の三荘太夫の妻は夫への気兼も娘の愛も、傍の者への取なし気苦労もよく通りて大いによしなり
 
と何れも好評でしたが、唯一新作物では右に出る物はない無双ぶりをするも、古典物はからっきしダメという極端な芸質で今回は安寿姫を演じた松蔦だけは
 
松蔦の安寿姫人形身でノリ地にもなれぬので骨を折って一生懸命のところは見えても悲しみ憐れみの情が見物に強くうつらぬので気の毒
 
と案の定ボロボロで不評でした。
この様に松蔦を除けば概ね好評で短いながらも序幕は上々の滑り出しでした。
 
実朝公
 
続いて中幕の実朝公は鎌倉幕府三代将軍の源実朝の暗殺を題材に山崎紫紅が書き下ろした新歌舞伎の演目です。
奇しくも翌月の歌舞伎座で上演された承久軍絵巻と同じ時代の前日譚みたいな形になりましたが、歌舞伎座との関係性は皆無で、実はこの1919年が実朝の没後七百回忌に当たる事から作られた様です。
内容は上の画像がほぼネタバレ状態になっていますが公暁による実朝暗殺を描いた物となっています。
今回は源実朝を三升、公暁を壽美蔵、三浦駒若丸を莚升がそれぞれ務めています。
前情報だけでは非常に面白そうな内容ですが、劇評ではたった一言
 
この幕では飛んだ鳩がよし
 
といつぞやの帝国劇場の酷評を思い出す様な完全に評価拒否状態となっていてどうだったのかはよく分からない状態です。
 
三升の源実朝、壽美蔵の公暁、莚升の三浦駒若丸
 
これは恐らくですが実朝を演じた三升の出来が悪すぎたのが原因ではないかと思われますが詳しい事は闇の中となっています。
 
田村成義が鳩しか褒めなかった帝国劇場の筋書
 
花上野誉碑
 
同じ中幕の花上野誉礎は以前歌舞伎座の筋書で紹介した時代物の演目です。
 
以前紹介した歌舞伎座の筋書

 

梅幸が演じた帝国劇場の筋書 

 

内容の詳細については歌舞伎座の筋書をご覧下さい。
今回はお辻を雀右衛門、坊太郎を米吉、源太右衛門を中車、菅谷を松蔦、槌谷内記を芝鶴、方丈海洋を小團次がそれぞれ務めています。
前幕はまさかの評価拒否でしたが幸いにもこちらは評価の俎上には上がるレベルだったらしく
 
雀右衛門のお辻が本水を浴びての祈りが大喝采なり
 
とまだ寒い4月にも関わらず本水を使う本格ぶりを使う覚悟ある演技を評価されています。
また、源太右衛門の中車、槌谷内記の芝鶴も
 
中車の源太右衛門も手強くてよく、芝鶴の内記が白刃を見ると振へ出すなど剣術指南の武士にあるまじき卑怯さ嘘らしくてよし
 
と芸達者な人ばかりだった事もあり、こちらも好評でした。
そして大の大人に混じって物語の鍵となる坊太郎を演じた米吉は
 
米吉の坊太郎強くなりてよし、桃の実を懐中にして、それを落して源太右衛門に折檻され、後にその桃は乳母お辻に与へる為であったと知れるのは唐土二十四孝にあり呉の陸績が八歳のとき袁紹の許へ使して、橘を懐にしたといふ故事の翻案、桃にしたのは坊太郎の子供て強い桃太郎にも聞えて面白し
 
と幼いにも関わらず折檻されてもお辻へ桃を与えようとする健気さを絶賛されています。
余談ですが、この時の演技の評価について米吉本人はわざわざ自伝に記していて
 
前の月の四月に私が明治座で「田宮坊太郎」(「花上野誉礎碑」)の坊太郎を演っていたのですが、、この時の私はなかなかの評判でした。唖のまねをして口をきかない役で、実は父歌六がすでに病床にあり、その子の私の黙りこくった坊太郎の姿が、よけおに哀れを誘ったということがあったのかも知れません。その評判を病床で聞いて喜んでくれたという父は、翌月の十七日、数え年十一歳の私を残して亡くなりました。」(やっぱり役者)
 
と3月に倒れて既に死の床に就いていた父歌六がすぐに父親を失う事になるであろう幼い息子が境遇が重なるこの役を懸命に演じて評価されたのに満足して褒めた事が父と子の最後の思い出になったと記しています。
 
中車の源太右衛門、芝鶴の槌谷内記、雀右衛門のお辻、米吉の坊太郎
 
この様な悲しい思い出を含めて前幕とは段違いの演技力を相まってこちらは無事当たり演目となりました。
浮世清玄廓夜桜

 
二番目の浮世清玄廓夜桜はお馴染み桜姫清玄物の1つでこちらは河竹黙阿弥が五代目菊五郎の為に書卸ろし、明治17年4月に市村座で初演された世話物の演目となります。尤も桜姫は登場せず代わりに吉原の女郎小桜との恋愛が話の中心となりしかも上記の画像にもある様に小桜に一方的に恋慕した清玄が化けて出て来るという菊五郎が得意とした怪談物のテイストも入っています。
 
今回は浮世清玄を中車、小桜を松蔦、松三郎を壽美蔵、牛島惣太を市蔵、おわかを雀右衛門がそれぞれ務めています。
普段演じない菊五郎系の世話物をこれまた殆ど演じた経験の無い中車が挑んだ今回の演目ですが劇評では
 
中車の清玄ではチト義者張って艶気柔弱気薄く、或田舎漢がオッ魂消(たまげ)た衣装の能い針医さんだと驚いたとか、(中略)序幕の切に格子先へ突出され破れ衣に破れ傘での唄での思入れ、がっしりして気の毒げ薄くてよし
 
と見てくれは色恋に嵌まり身を滅ぼす二枚目の僧侶にはとても見えず批判されていますが、蓋を明ければ中車なりにきちんと研究して臨んだらしく部分的ながらも評価されています。
 
中車の浮世清玄
 
残念ながら中車以外の評価は書いておらず他の役者出来は今一つ分かりませんが、少なくともきちんと言及される分だけ実朝公よりは良かった模様です。
 
賤機帯
 
大切の賤機帯は以前に村座の筋書でも紹介した歌舞伎舞踊の1つです。
 
市村座の筋書はこちら

 

劇評では

これまた大よしなり

としか述べられていませんが悪くは無かった様です。

 

結果的に満点レベルだったのは中幕の花上野誉碑のみで中には実朝公の様に評価対象外なんていう代物もあるなど演目によって出来の落差が激しくしかも好評の多くは上置きの中車と雀右衛門に集中するなど左團次一門は壽美蔵を除いては今一つパッとしない出来に終わりました。一門の長である左團次の元、確かな演技力と固い団結力を誇る一門ですが、前にも触れた様に左團次に子供がいなかった事もあり彼に次ぐナンバー2が不在と言う構造的な欠陥を抱えていました。昭和に入り宗十郎の三男の訥升を養子にしたり、河原崎長十郎や猿之助を入れる等、決して無策では無かったものの、猿之助の春秋座独立の時には唆した長十郎は元より一門の荒次郎、左升も追随したり、壽美蔵も東宝歌舞伎に引き抜かれる、訥升は不仲で縁組解消と後継者と目された人物達はそれぞれに難があり育たずその結果、左團次の死後に一門は壽美蔵と猿之助の2人の元にそれぞれ分裂したのは以前にも触れた通りです。

今回もまたそんな左團次一門の弱点が露呈する様な公演でした。