大正7年8月 歌舞伎座 左團次と源之助の名月八幡祭 | 栢莚の徒然なるままに

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今回はまた歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正7年8月 歌舞伎座

 

演目:

一、堀川波の皷

二、日高川恋の蛇籠

三、名月八幡祭

四、五百羅漢

 

前回の7月公演の不入りを受けて今回は座組を一新し8月公演には定評のある左團次一座とこれまた夏場の無人の公演では幾つもの傑作を生み出してきた源之助、そして脇に歌六と大阪から1月の襲名公演以来7ヶ月ぶりとなる雀右衛門を呼んで新鮮な顔触れで臨みました。

 

参考までに雀右衛門が出演した1月の歌舞伎座の筋書

 

主な配役一覧

 
どうでも良い余談ですが、実はこの顔触れの中に本来ならいて然るべき役者が1人だけ欠けています。
それは左團次一門の重鎮である五代目市川小團次です。
実は彼はこの時下関の病院に入院していました。
というのも小團次含む左團次一門は7月は九州を巡業していてこの8月公演(6日初日)に合わせて帰京すべく7月26日に下関凱旋座での公演を終えたその足で夜行列車に乗る予定になっていました。
しかし、午後11時56分に下関駅構内で船に積み込み作業中だった陸軍の照明弾薬が大爆発し27人が死亡、40名が重軽傷を負う大惨事が起こりました。
 
当時の惨状についてはこちらをご覧下さい。

 

 

 

 

そして発車したばかりだった京都行き夜行列車は爆発の直撃を受けてしまい幾つかの客車は全壊してしまいました。

そしてその列車こそ左團次一門が乗車している予定の列車だった為に第一報が松竹に届いた時には

 

爆発に巻き込まれ左團次死亡

 

と誤情報が伝わり大騒ぎになったそうです。

しかし、よくよく調べると左團次、松蔦、壽美蔵といった主要な役者たちは偶然にも1本前の京都行きの列車に乗れて出発していた事で難を逃れていて、事故にあった列車には小團次、荒次郎、杵屋勝四郎、巡業の主任の4名だけが乗っていて、その内小團次と主任だけが重傷を負いました。

その結果、九死に一生を得たものの、重傷を負った小團次は8月公演には間に合わず已む無く休演という形になりました。

 

 

堀川波の皷

 
一番目の堀川波の皷は近松門左衛門が宝永3~4年に書いた堀川波鼓を竹柴秀葉が脚色した時代物の演目となります。
脚色したと言っても福地桜痴や榎本虎彦の様に活歴じみた改作をする事はなくある部分を例外として忠実に再構成しています。
内容としては江戸藩邸に勤める小倉彦九郎の妻お種が夫の留守中に弟で養子の文六の鼓の師匠である宮地源右衛門に酒に酔わされて乱暴され子供を身籠ってしまい、不義密通の責任を感じたお種は自害し、悲嘆にくれる夫の彦九郎は源左衛門に仇討を果たすという話になっています。
今回は小倉彦九郎を左團次、妻お種を雀右衛門、小倉文六を莚升、お種の妹お藤を松蔦、磯部床右衛門を左升、宮地源右衛門とおゆらを亀蔵がそれぞれ務めています。
さて、上述の例外というのがお種と宮地源右衛門の不義密通の部分で戦前の警察は不義密通など道徳に反する様な描写にはつとに煩く、それが原因で市村座の享和政談延命袋では話の展開が滅茶苦茶になった事や浪花座の暹羅船で鴈治郎の演出を巡り一悶着あったのは既に書いた通りです。
 
参考までに市村座の筋書

 

鴈治郎が断固として演出変更命令を拒否した浪花座の筋書

 

そしてこの演目も原作にあるお種と源左衛門の艶事の部分に指導が入ったらしく、秀葉はなるべく物語の展開を破壊しない様に源左衛門とお種の直接の性行為の場面を削り、その代わりお種に関係を迫る床右衛門という男が酒に酔ったお種と源左衛門との間にさも関係が合ったかのように床右衛門が周囲の者騒ぎ立てたが故に話が大きくなり、責任を感じたお種が自害するという脚色を施しています。

その為、本来なら憎き妻の敵である源左衛門が紛らわしい行為をしたものの不義密通をした人間ではない事になってしまい仇討の意義が薄れてしまう事から原作にはある仇討の場面もカットされ彦九郎が仇討を決意する所で話が終わる展開となりました。

仕方がないとはいえ、この改変は舞台にも影響を及ぼしたらしく

 

何分姦通を題材にしたものだけに、その筋の検閲が厳しく、お種が酒の上の間違ひから、仇し男の源左衛門との色合に入る描写を省略したので、頗るこの場が曖昧の物になり富士田音蔵の独吟も引立たなかったと。

 

と言及されています。

そして改変による最大の被害を受けた雀右衛門演じるお種は

 

女主人公をお種を雀右衛門がしてゐるが、序幕の成山邸よりは、彦九郎内の方がよく演じてゐた。序幕に張物をしてゐる時、謡の声を聞いて、我夫が帰ってきたと、うっとりする處など今一工夫あるべきだった。酒を飲む件なども酔ひ方にも少し物足らぬ心地がした、殊に幕切れに、床右衛門が入ってきてからは、己れの罪に一向気附いたやうに見えぬは、よく原作を解しなかった為めであらう。併し、二番目の妹の玉章を見て怒るところから、最期の自害まで、十分に働いて結構であった。

 

とやはり改変された前半部分は雀右衛門の演技もあって不評でしたが、後半に入ってからは何とか持ち直したと一長一短の評価となっています。

対して妻を男に奪われた上に自害されてしまい仇討を誓う彦九郎を演じた左團次は

 

別に難をいふ處も無い。欲をいへば少し年が若すぎて見えた。

 

と可もなく不可もなくといった評価になっています。

 
左團次の小倉彦九郎と雀右衛門の妻お種
 
対して二役のおゆらは微妙だったもののもう1つの役である源左衛門を演じた亀蔵は
 
亀蔵の源左衛門は、京都から来ている鼓の師匠といふに、よく嵌ってゐた
 
とふとした事で道を踏み外してしまう男を上手く演じきり高く評価されています。
 
この様に止むを得ない内容の改変をしたにも関わらず雀右衛門や亀蔵と言った役者の好演もありまあまあの出来に落ち着いたそうです。
 

日高川恋の蛇籠

 
中幕の日高川恋の蛇籠は元の外題を日高川入相花王といい、二代目竹田出雲、近松半二らによって宝暦9年2月に書き下ろされた時代物の演目です。歌舞伎では専ら四段目の日高川の場が日高川の外題で見取演目として上演されています。
丸本物とあって歌舞伎では壇ノ浦兜軍記や伊達娘恋緋鹿子で知られる人形振りで演じられていて、後ろで人形遣い役の西川伊三郎が操る演出がある事から右足を失った三代目澤村田之助が明治2年と両手両足を失った明治8年にそれぞれ本当に人形遣い役の人に支えられながら演じた事があります。今回2年後に五代目田之助を襲名する由次郎が出演しているのは直接関係ないとはいえ何か縁を感じる物があります。
今回は清姫を雀右衛門、人形遣い西川伊三郎を由次郎、船頭浪六を歌六がそれぞれ務めています。
 
雀右衛門と言えば以前に新富座で伊達娘恋緋鹿子の八百屋お七を見事な人形振りを演じて絶賛されたのを紹介しましたが今回は
 
雀右衛門の清姫の人形は、時々魂が入り過ぎて、人間となった
 
と何故か上手く人形振りが行かなかったらしくあまり評価されていません。
そして意外にも船頭浪六の歌六の方が
 
対する船頭の歌六は、平成の癖が、却って役に立って、たしかに人形と見えたは老巧である。
 
と評価されています。
 
参考までに芝雀時代に伊達娘恋緋鹿子を演じた時の筋書
 
雀右衛門の清姫、由次郎の西川伊三郎、歌六の船頭浪六
 
この様に得意な人形振りが今一つ上手く行かなかった雀右衛門ですが、それでも演目自体は
 
総て人形に則って、理屈なしに面白かった
 
と高評価されていて演目そのものにはさしたる影響もなく充分に楽しめる出来栄えだったそうです。
 

名月八幡祭

 

二番目の名月八幡祭は池田大伍が河竹黙阿弥の八幡祭小望月賑を基に書き下ろした世話物系の新作となります。

 

昨年のコロナ渦直前の二月大歌舞伎で上演された事もあり記憶に新しい方も多いかと思いますが黙阿弥の書いた八幡祭小望月賑の骨子をそのままに話を整理してシンプルな悲劇として描いた物にしただけに演じやすく戦後も度々上演されてきました。

今回はその初演に当たり、縮屋新助を左團次、美代吉を源之助、魚惣を歌六、兼吉を壽美蔵、松本女房おつたを松蔦、魚惣女房おたけを雀右衛門がそれぞれ務めています。

 

劇評ではまず演目そのものの評価について

 

縮屋の美代吉殺しを脚色されたものである。所謂コナレタもので、そして新味も加はった。佳作であった。

 

と名作を上手く換骨奪胎して生まれ変わらせた新しい演目だと好意的な評価を受けています。

そして、田舎出故にまんまと騙されて全てを失い終いには錯乱し江戸っ子を呪い美代吉を斬殺する殺人鬼になる縮屋新助を演じた左團次については

 

左團次の縮屋新助は、魚惣は内でヂット舟の美代吉を見送ってゐる味ひや、乱心した後の、仲町裏の場などは眼立って良かった。美代吉殺しは、相手が少しヨタヨタしてゐるので遣りにくさうに見えた。

 

最後の永代橋の場で、抜身を下げたままフラリと出て、ぢっと刃を月に透かして見、思ひ返して突如大地へ棄てる處に最も同優の苦心があった

 

と老いた源之助の美代吉相手に殺しの場では少し手こずった所はあるものの概ね好意的に評価されています。

 

対してヨタヨタしていると書かれてしまった美代吉を演じた源之助は

 

源之助の美代吉は、江戸っ子気質の悪気は無いが、相手に由ってその時々も変化してゆく、心理状態が明瞭に現はれ無ったのと、情味に乏しい欠点はあったなれど、相応に演じてゐた。

 

と所々欠点はあったようですが、得意の世話物における確かな腕もあって無意識に男を破滅に追い込む罪な遊女を演じきりこちらも評価されています。

少し先のネタバレになりますがこれまで短期間ながらも数々の名演を見せて来た源之助ですが配役面での不満と帝国劇場及び市村座との相互出演協定により必要な時に応じて他の劇場の役者を出演させることが出来る様になった事や歌舞伎座専属役者の世代交代、更には松竹が吾妻座に続く浅草進出の要として経営権を手に入れ改築し開場した御国座の不振などなど様々な理由もあって次の10月公演を最後に大正3年から4年に渡り続いて来た歌舞伎座への出演を取りやめ御国座へ出演する様になります。

そういう意味では今回の美代吉は大正時代の源之助の数々の当たり役の中で最後を彩った役となりました。

 

 

左團次の縮屋新助と源之助の美代吉

 
そして脇では前幕に続き歌六が好演し
 
歌六の魚惣の自身の内の場よりも美代吉の内の場の方がよくしてゐた。
 
とこちらも江戸っ子らしさを十分に出して評価されています。上述の二月大歌舞伎では曾孫に当たる当代の歌六がこの役を演じ良い味を出していただけに不思議な縁を感じる物があります。
また、初演のこの時は現在の上演では見られない場面として序幕の魚惣内の場の後に永代橋が落ちた事をお祭番付に見立て壽美蔵、亀蔵、莚升、由次郎等が番付売りを演じて客席に配るという演出もあったそうです。
 
この様に初演にも関わらず左團次、源之助、歌六と主要所がどれも好演し、脇を固める左團次一門も珍しい世話物系の新作を難なく呑み込んで演じた事もありこの公演の中で最も見物の受けが良く当たり演目となりました。
 

五百羅漢

 
大切の五百羅漢は左團次一座お馴染みの現代劇で小説家の田村西男が書き下ろした新作演目です。
陰惨な名月八幡祭の後とあって肩肘張らず楽しめる様に架空の寺である羅漢寺を舞台に様々な悩みを抱える人が出会い蠢くちょっと不思議なドタバタコメディとなっています。今回は丸茂慶之介を左團次、伊勢屋支店信吉を壽美蔵、喜作爺を左升、目連尊者を鶴蔵、住田家芸者おさわを松蔦、おたかを雀右衛門、隅田屋女房お鯉を源之助がそれぞれ務めています。
因みに舞台に出て来る羅漢像は強欲な坊主が全部金にしてしまった為に代わりに生身の人間を替え玉(?)に置いているという設定で、他の羅漢像も小道具ではなく実際の役者達が上演中身じろぎもせずに演じているという考えたら少し異様な絵面だったそうです。劇評でも可哀想な三階の役者達について
 
阿羅漢の木像になってゐる人々の兀座して動かざる形に特に敬意を払って置く。
 
とその労を労って(?)います。また名題の役者達についても
 
壽美蔵の信吉が際立ってよかった(中略)左升の説明者は、何もしないで、却て、妙であった。鶴蔵の目連尊者は真面目なるを称すべきか
 
とある程度好評だったそうです。
8月公演とあって段四郎がいない分普段の大切の舞踊ではないちょっと変わった出し物とあってか見物の受けは意外と良かった様です。
 
この様に一番目の堀川波の皷こそ改変により今一つな部分があったものの、他の演目は押しなべて出来が良く、不入りだった7月公演とは正反対に20日間ずっと大入りという記録を出し見事挽回に成功しました。
この後歌舞伎座は9月を芸術座に貸し出し、10月に久しぶりとなる東京の役者の襲名公演に臨む事になります。