今回はまた歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。
大正7年8月 歌舞伎座
演目:
一、堀川波の皷
二、日高川恋の蛇籠
三、名月八幡祭
四、五百羅漢
前回の7月公演の不入りを受けて今回は座組を一新し8月公演には定評のある左團次一座とこれまた夏場の無人の公演では幾つもの傑作を生み出してきた源之助、そして脇に歌六と大阪から1月の襲名公演以来7ヶ月ぶりとなる雀右衛門を呼んで新鮮な顔触れで臨みました。
参考までに雀右衛門が出演した1月の歌舞伎座の筋書
主な配役一覧
そして発車したばかりだった京都行き夜行列車は爆発の直撃を受けてしまい幾つかの客車は全壊してしまいました。
そしてその列車こそ左團次一門が乗車している予定の列車だった為に第一報が松竹に届いた時には
「爆発に巻き込まれ左團次死亡」
と誤情報が伝わり大騒ぎになったそうです。
しかし、よくよく調べると左團次、松蔦、壽美蔵といった主要な役者たちは偶然にも1本前の京都行きの列車に乗れて出発していた事で難を逃れていて、事故にあった列車には小團次、荒次郎、杵屋勝四郎、巡業の主任の4名だけが乗っていて、その内小團次と主任だけが重傷を負いました。
その結果、九死に一生を得たものの、重傷を負った小團次は8月公演には間に合わず已む無く休演という形になりました。
鴈治郎が断固として演出変更命令を拒否した浪花座の筋書
そしてこの演目も原作にあるお種と源左衛門の艶事の部分に指導が入ったらしく、秀葉はなるべく物語の展開を破壊しない様に源左衛門とお種の直接の性行為の場面を削り、その代わりお種に関係を迫る床右衛門という男が酒に酔ったお種と源左衛門との間にさも関係が合ったかのように床右衛門が周囲の者騒ぎ立てたが故に話が大きくなり、責任を感じたお種が自害するという脚色を施しています。
その為、本来なら憎き妻の敵である源左衛門が紛らわしい行為をしたものの不義密通をした人間ではない事になってしまい仇討の意義が薄れてしまう事から原作にはある仇討の場面もカットされ彦九郎が仇討を決意する所で話が終わる展開となりました。
仕方がないとはいえ、この改変は舞台にも影響を及ぼしたらしく
「何分姦通を題材にしたものだけに、その筋の検閲が厳しく、お種が酒の上の間違ひから、仇し男の源左衛門との色合に入る描写を省略したので、頗るこの場が曖昧の物になり富士田音蔵の独吟も引立たなかったと。」
と言及されています。
そして改変による最大の被害を受けた雀右衛門演じるお種は
「女主人公をお種を雀右衛門がしてゐるが、序幕の成山邸よりは、彦九郎内の方がよく演じてゐた。序幕に張物をしてゐる時、謡の声を聞いて、我夫が帰ってきたと、うっとりする處など今一工夫あるべきだった。酒を飲む件なども酔ひ方にも少し物足らぬ心地がした、殊に幕切れに、床右衛門が入ってきてからは、己れの罪に一向気附いたやうに見えぬは、よく原作を解しなかった為めであらう。併し、二番目の妹の玉章を見て怒るところから、最期の自害まで、十分に働いて結構であった。」
とやはり改変された前半部分は雀右衛門の演技もあって不評でしたが、後半に入ってからは何とか持ち直したと一長一短の評価となっています。
対して妻を男に奪われた上に自害されてしまい仇討を誓う彦九郎を演じた左團次は
「別に難をいふ處も無い。欲をいへば少し年が若すぎて見えた。」
と可もなく不可もなくといった評価になっています。
二番目の名月八幡祭は池田大伍が河竹黙阿弥の八幡祭小望月賑を基に書き下ろした世話物系の新作となります。
昨年のコロナ渦直前の二月大歌舞伎で上演された事もあり記憶に新しい方も多いかと思いますが黙阿弥の書いた八幡祭小望月賑の骨子をそのままに話を整理してシンプルな悲劇として描いた物にしただけに演じやすく戦後も度々上演されてきました。
今回はその初演に当たり、縮屋新助を左團次、美代吉を源之助、魚惣を歌六、兼吉を壽美蔵、松本女房おつたを松蔦、魚惣女房おたけを雀右衛門がそれぞれ務めています。
劇評ではまず演目そのものの評価について
「縮屋の美代吉殺しを脚色されたものである。所謂コナレタもので、そして新味も加はった。佳作であった。」
と名作を上手く換骨奪胎して生まれ変わらせた新しい演目だと好意的な評価を受けています。
そして、田舎出故にまんまと騙されて全てを失い終いには錯乱し江戸っ子を呪い美代吉を斬殺する殺人鬼になる縮屋新助を演じた左團次については
「左團次の縮屋新助は、魚惣は内でヂット舟の美代吉を見送ってゐる味ひや、乱心した後の、仲町裏の場などは眼立って良かった。美代吉殺しは、相手が少しヨタヨタしてゐるので遣りにくさうに見えた。」
「最後の永代橋の場で、抜身を下げたままフラリと出て、ぢっと刃を月に透かして見、思ひ返して突如大地へ棄てる處に最も同優の苦心があった」
と老いた源之助の美代吉相手に殺しの場では少し手こずった所はあるものの概ね好意的に評価されています。
対してヨタヨタしていると書かれてしまった美代吉を演じた源之助は
「源之助の美代吉は、江戸っ子気質の悪気は無いが、相手に由ってその時々も変化してゆく、心理状態が明瞭に現はれ無ったのと、情味に乏しい欠点はあったなれど、相応に演じてゐた。」
と所々欠点はあったようですが、得意の世話物における確かな腕もあって無意識に男を破滅に追い込む罪な遊女を演じきりこちらも評価されています。
少し先のネタバレになりますがこれまで短期間ながらも数々の名演を見せて来た源之助ですが配役面での不満と帝国劇場及び市村座との相互出演協定により必要な時に応じて他の劇場の役者を出演させることが出来る様になった事や歌舞伎座専属役者の世代交代、更には松竹が吾妻座に続く浅草進出の要として経営権を手に入れ改築し開場した御国座の不振などなど様々な理由もあって次の10月公演を最後に大正3年から4年に渡り続いて来た歌舞伎座への出演を取りやめ御国座へ出演する様になります。
そういう意味では今回の美代吉は大正時代の源之助の数々の当たり役の中で最後を彩った役となりました。
左團次の縮屋新助と源之助の美代吉