六月大歌舞伎 第三部観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は1ヶ月ぶりに観劇について書きたいと思います。

 

六月大歌舞伎 第三部観劇

 

 

実は5月は足を骨折してしまい、観劇に行けずじまいで終わった上に折った直後が六月大歌舞伎のチケット販売直前で病院通いなどでドタバタしている内に第二部をまんまと買いそびれてしまい止む無く第三部のチケットを取りました。

 

 

 

京人形

 

戦前は芸風が良く言えば玲瓏、悪く言えば冷たいと言われていた四代目片岡我童が得意役とした他、歌舞伎役者初の女名題役者であった尾上菊枝や何と十五代目羽左衛門が六代目菊五郎、七代目幸四郎と度々演じていて戦後は菊五郎と幸四郎双方のやり方が残り現在に伝わっています。

 

この演目は演じる役者にもよって衣装も違えば踊りもちがったりとかなり自由度の高い演目で今回は染五郎が初役で演じる為か踊りも鏡を入れて太夫らしく踊る所と鏡を抜いて人形らしく踊る所はロボットみたく踊っているのが特徴です。

 

主な配役一覧

 

左甚五郎…白鸚
京人形の精…染五郎
奴照平…廣太郎
井筒姫…玉太郎
栗山大蔵…錦吾
女房おとく…高麗蔵
 

ご覧の様に今回は玉太郎を除けば高麗屋一門(と親戚の廣太郎)で固めた座組になっています。

個人的な事で恐縮ですが幸四郎については割かしよく観てたのですが染五郎になると観るのは2年前の8月の東海道中膝栗毛以来で今回は初めて彼の女形役を見る事になりました。また白鸚についてもこれまた丁度2年前の月光露針路日本を観て以来でした。

 

まず染五郎の京人形の精ですが上記の様に太夫の踊りと人形の踊りを分けていたのですが初役故か太夫としての踊りも変に才気走らずに教えられた通り演じてるのか何処か淡白で堅く、ぎこちない人形の踊りが本当にぎこちない感じでした。彼も連獅子とかは演じているものの、女形としての踊りは殆ど経験がないので仕方ないと言えば仕方ない部分がありますが二枚目としての柔らかみを出す上ではこういった舞踊は必要なのでこれに懲りずに経験を積んでほしい物です。

 

対して甚五郎の白鸚はというとラ・マンチャの男踊るイメージは無いものの彼は元々松本流の二世家元であり、何気に歌舞伎の踊りもこなせる人で今回もその下地を活かして実にこなれた雰囲気で演じています。ただ実弟の二代目中村吉右衛門が健康問題で休演になっている通り白鸚も今年78歳と祖父七代目幸四郎と並ぶ高齢であり、一時心配された歩行に関しては今回特に気になる所は無かったものの、所々台詞廻しの点で苦しそうな部分が見受けられるなど弟同様に彼もまた老いの影は隠しきれていません。

来月の7月にはこれまた身替座禅を務めますが松竹も吉右衛門の一件があった中で安易に彼を使うのは考え物だと思います。

 

日蓮

 

続いての日蓮は猿之助主演の新作物です。意外に思えますが歌舞伎と日蓮は割かし相性が良く戦前から

 

・日蓮記

・法海佐渡旦

・日蓮聖人辻説法

・日蓮

・日蓮上人

・社頭諫言

・法難

・瀧口法難

 

といった感じで何人もの作家によって幾つもの演目が書かれています。

 

七代目松本幸四郎の日蓮

 

特に二代目中村梅玉が得意とした日蓮記は日蓮宗の本山である身延山久遠寺のある山梨でこそさっぱり受けませんでしたが、大道具が作った豪勢な大仏も話題を呼んで大阪、京都、名古屋では大入り満員の大当たりとなり彼最大の当たり役となったほどでした。

 

さて、今回はというとそれまで多くの演目で描かれてきた日蓮の後半生ではなく蓮長と名乗っていた前半生に焦点を当て天台宗の宗徒であった彼が法華経を唱えて独立するかに至るまでを彼の内面心理を交えて進行する形を取っています。

 

主な配役一覧

蓮長後に日蓮…猿之助
成弁後に日昭…隼人
善日丸…右近
麒麟坊…弘太郎
道善房…寿猿
賤女おどろ…笑三郎
日蓮母梅菊…笑也
阿修羅天…猿弥
伝教大師最澄…門之助

今回はスーパー歌舞伎Ⅱをやってる猿之助だけに下座を用いずBGMを使用し、また海老蔵がよくやるプロジェクションマッピングも用いて一幕で日蓮の内面心理や現実を忙しなく移動して話が進みます。

まず良かった点から言うと

 

・あまり取り上げられない日蓮の前半生を描いた事

 

・この手の宗教物に見られがちな善悪二元論にはしていない事

・プロジェクションマッピングを利用して場面転換を無くして話を途切れなくしていること

 

・海老蔵みたいに意味の無い宙乗りに走らない(笑)

 

と言った点が挙げられます。

一方で悪かった点としては

 

・プロジェクションマッピングを利用する為に構造物をどかす事が出来ず幾つかの場面で見辛かったり、動きに制約が生まれた事

 

・日蓮の内面心理を描く為に出てきた阿修羅と善日があまりに唐突に登場してくる為に筋書などを見ない方には1匹と1人が一体何なのか分からない事

 

・スピードを重視するあまり猿之助の長台詞が多く、笑也や笑三郎、右近を除いてはあまりキャラが立たないまま終わってしまう事(門之助の最澄は御馳走レベル、高齢とはいえ道善房の寿猿に至っては通行人レベル)


といった点が挙げられます。
またこの前の明治座で海老蔵のKABUKUが差別だなんだと問題になる中で昔だと非人に当たる賤女おどろについて描いているのはかなり際どいですがこれといって問題にならないのは日蓮の教えが非人も救われるというのでも無く現世に生きるこそ幸せという部分であるから故だと言えます。しかし、それを伝えるのであれば何もおどろを登場させなくても良く、更に言うとおどろの話の過程で1年前に有名な辻説法(これも近年本当に行われたか疑問視されていますが)で出会ったとなっていますがこの演目の時系列を考えるにこの頃の日蓮はまだ辻説法を行うはるか前の時期であり時系列的な矛盾が生じています。

また、おどろとのやり取りだけでは冒頭でさらっと触れてるだけの他宗派の排斥するまでに至る部分を説明するには時間が不十分で猿之助の日蓮や右近の善日丸の渾身の長台詞も何処か独善的に聴こえがちでした。

これらの欠点はコロナ下での制約もあるでしょうが再演するのであれば他の演目なしで上演時間を増やして修業時代の苦悩を入れるなどして整理しておどろの話は中編なり後編で入れれば分かりやすくなって良いのではと思います。

 

この様に意欲作故に所々批判しがちになってしまいましたが、これ単体にせず二代目左團次が上演した実録忠臣蔵みたいに幾つか章に分けて上演すれば面白くなりそうな素材ですので続きを期待して見るのも一興だと思います。

 

もし、奇跡が起きて第二部が観劇出来たらまた投稿しますので誰かチケット余っていたら是非ご連絡下さい(笑)