私はそもそもオーディション番組は好きな方だと思っていて、
プデュシリーズは少なくとも初回は見ます。
No No Girlsというのは、ちゃんみなプロデュースのオーディション番組であり、
今年1月までyoutube等を通じて放送されておりました。
私はもう30代半ばの中年男性なので、
ちゃんみなに関する情報もほぼ持っていなく、
かつ、No No Girlsのオーディションコンセプト
見た目・体型・声・年齢等に「No」をつきつけられたり、
自分自身を否定してきた参加者たちを、
才能を殺さないで、
世界で活躍できるガールズグループへと導いていく
というのも、なんかちょっと偽善ぽいというか、うがった目で見ており、
でも、暇だから見てみるかと思い見始めたわけです。
まず、最初から参加者のレベルの高さに驚きます。
とりあえず、歌がみんなうまい。
当たり前なんだけど、なんかちょっと普通のオーディションと
ベクトルの違う歌のうまさ。
また、通常のオーディションと異なる点は、
体型で様々で、容姿にフォーカスされてない。
要するに、容姿が画一化された美の概念に囚われてない。
言葉で読むのと、映像で見るのは、インパクトが全然異なるのですが、
私はそのことに結構な衝撃を受けたわけです。
一方で、韓国系のオーディション番組になると、
みんな細くて、可愛いことが、暗黙の基準として存在するので、
逆にその基準値から少し外れた、若干太ってる子や、かわいくない子がいると、
「太くない?」とか
「歌はうまいけど、かわいくないから落ちるね。」とかが、
無意識的に声に出てくるわけです。
しかし、No No Girlsは、
私が今まで見ていたオーディション番組の異常性と、
歌とダンスで表現するスキルがいくら高くても
容姿を理由に表舞台に上がることができなかった人がどれだけいたのか、
ということを気づかせ、
オーディション番組におけるルッキズムの時代は終わった。
と思ったわけです。(私の中で)
と、軽々しく「ルッキズムの時代は終わった。」と思いつつ、
そもそもルッキズムって何だっけ?
と自問自答し始めたわけです。
結論としては、
「ルッキズム」は拡大解釈されすぎて問題の本質がよくわからなくなってる。
ということがわかりました。
元々の「ルッキズム」という言葉は、
学術的には「外見に基づく偏見や差別」と定義されています。
そのため、広義な意味のルッキズムでは、
肌の色、外見から判別される性別、人種、障害者であることによる、
偏見や差別も含まれることになります。
(もちろん、それらはセクシズムや、レイシズムという分類にもなるわけですが)
今日議論される「ルッキズム」は
自分の外見が原因で不当な扱いを受けているが、
性別や人種といった問題では回収できないこと、と定義されます。
なので、外見を理由に「不採用になった。」とか、
「昇進させてもらえなかった。」とかが、
学術的な「ルッキズム」の例にあたります。
また、ルッキズムについては
「許容されて残っている最後の差別」という言い方がされることもあるようで、
まぁ確かに考えてみれば、
「外見的に魅力のない人」というカテゴリを作って、
そこに属する人の差別を禁止する法律なんかは作れないですし、
誰もそのカテゴリに入りたくないので、実質的な対処が難しいわけです。
他方、広く昨今一般的に使われている「ルッキズム」は、
「いろんな場面で外見を評価されること自体の不当性」
を指していると考えられています。
言い換えると、「外見至上主義」にあたります。
水原希子が「ルッキズム」に触れていて、
「お前が言う?」みたいになったことがありましたが、
自身のインタビューでも丁寧に「ルッキズム(外見至上主義)」と
注釈が加えられています。
(ただ、水原希子くらい美人じゃないと、外見至上主義を批判できないという
裏返しでもありますね。)
※以下、参照
この「ルッキズム(外見至上主義)」という言葉はSNSの普及と共に
インフレ的に拡大した概念であると考えられ、
一般人も大衆に顔を晒し、見た目が大事な評価の一部となっていることが原因でしょう。
ここでの「ルッキズム(外見至上主義)」は、
外見の良さだけが最大価値であるかのように語られることへの違和感が
人々にあるから浸透したものだと考えられますが、
そうすると本来的な「ルッキズム」の問題が見えにくくなるという弊害があります。
水原希子め!!!!!!!!!!!!
さて、No No Girlsにおける、
「ルッキズム」の時代は終わった。という用法についてですが、
これは学術的な意味での正しい使い方と自分では理解しております。
従来(少なくとも私が見ていた)オーディション番組は、
外見に基づく選考基準による、不公正な差別が存在していたわけです。
「ルッキズム」の積極的な肯定ですね。
それは、エンターテインメントの性質上、
差別ではないという反論もあるかもしれませんが、
パフォーマンスが人々を鼓舞することや勇気づけることにあるとすれば、
容姿は必要条件ではないでしょう。
しかし、その「ルッキズム」の選考基準を外すだけで、
スキルに溢れた、今までチャンスをもらえなかった候補者が集まってくるし、
素晴らしいガールズグループが生まれた(私の感想)というのは、
「ルッキズム」の時代の終わり。だと言えます。
No No Girlsからデビューした「HANA」が
これからどれだけ世間に認知されていくかまだわかりませんが、
彼女たちが新しい形のガールズグループとして活躍することは
ルッキズムを含む、不公正な差別を受けた人たちに、
勇気と感動を与えると思っています。
ご興味ある方は是非youtubeで。
参考文献:現代思想 2021年11月号 特集=「ルッキズムを考える」














