最近、イギリスに留学していた時に知り合った人と
再会する機会に恵まれている。
再来週にも留学中の友人が日本を訪れることになり、
会う予定になっている。
ただ、メッセージで
「その週は私の誕生日です!お祝いできたら嬉しいな!!!」と言われ、
(お祝いって何。。。。?シャンパン開けるってこと??
え?何を期待してるの???)となり、
別にご馳走は、そもそもするつもりだったんだけど、
誕生日のお祝いって人によってレベルが違うので、
永遠にモヤモヤし続けているという話です。
私個人としては、誕生日はお祝いをされたくない寄りの人間で、
SNSからも誕生日情報は全て隠すように努めています。
ここからは個人攻撃ではなく、本当に個人としての意見であるので、
変な感情を抱いてほしくないという前置きをしつつ、
(そういう前置きをしながら、個人攻撃であるケースもあるので、
世の中は難しいですね。)
SNSで誕生日に気づくような間柄の人に、
誕生日を祝われても別に嬉しくないという考えが第一にあります。
まず、「誕生日を祝う」という行為自体が
「その人が生まれてきて嬉しい、生まれてきてありがとう」という
感謝を込めて行うものだと考えています。非常に重い考えです。
その最たる例として挙げられるのが、
「親から子への誕生祝い」であり、
「子から親の誕生祝い」ということでしょう。
あなたが生まれて嬉しい。
あなたがいなければ私がいなかったありがとう。
ということだと考えています。
しかし、成人になるに連れ、子は親から自立し、
人生のステージは移っていくわけです。
そして、家族よりも友人や恋人と会う機会が増えていくにつれ、
本来の主旨が形骸化し、
「トリアエズ トモダチ タンジョウビ イワウ」という、
短絡的な誕生日祝いになっているのではないかと推測します。
私としては、形骸的な誕生日祝いよりかは、
日ごろから遊んでくれるとか、食事をしてくれるとか、
何気ない気遣いをしてくれるとか、そういうことの方に
重きを置きたいので、長期的な視点で見たときに、
誕生日というものは点でしかなく、重要性は低いわけです。
そのため、自分に対して誕生日祝いをしてもらう必要が無いと考えています。
ただ、お世話になっている相手に、
好意を示す手段として誕生日を祝うというのは効果的であるため、
近しい友人や恋人の誕生日は「お祝い」というほどのことはしませんが、
食事をするとか、手紙を送るということはするようにしています。
(牧場物語でも誕生日にプレゼントを渡すと効果が高いですよね。あれと同じです。)
こうした、自己の誕生日に対する考え方とは別に、
もう1つは誕生日に対する価値観の差異により、他人ともめたく無いため、
自分の誕生日を祝ってもらいたくないという考えもあります。
図示すると、世の中の誕生日に対する主義は四分類することができ、
以下のようになります。
厳密には、「誕生日を祝いたくないけど、祝われたい」という人間も
いるかもしれませんが、そういう人は世の中の摂理から逸脱している人間なので、
除外します。
このうち①について、私は「誕生日過激派」と呼んでいます。
このゾーンに属する人は「誕生日過激派」が全員を占める
グループに属していない限り、誕生日を祝うことを推奨していません。
このグループで年間を通じてひっきりなしに行われるのは、
誕生日を祝う連鎖です、一度誕生日を祝ったら最後、
永遠にそのループから抜け出すことはできません。
私はそういうグループを見たことがありますが、
やはり過激だなと常々感じていました。
こうした集団は、誰の誕生日のほうが豪勢だった、とか、
手がかかっていた、といったやはり本来の誕生日の主旨からは逸脱したことで、
揉めたりするケースも散見されます。これも形骸化の弊害ですね。
(私の誕生日にはビデオメッセージが無かった!!!!とかもあります。)
そして、この「誕生日過激派」と相性が悪いのが、
②誕生日を祝ってもいいし、祝われなくてもいいの「日和見主義者」です。
この二つの主義は非常に相性が悪いです。全体的な相関性は以下の通りです。
②はそもそも積極的に祝われに行かないスタンスなので、
①と対立することがありません。
③の「日和見主義者」は、「誕生日過激派」ほど誕生日に対する
情熱が無いくせに、祝われることに疑問を感じません。
「まぁ、なんか祝ってくれるみたいだし、いっか~。」
くらいにしか考えていません。
誕生日過激派に祝われたら、永遠のループに取り込まれるとも知らず、
両手を広げて誕生日祝いを享受します。
しかし、そうするとどうなるでしょうか、
誕生日過激派としては、もちろん誕生日を祝ったのだから、
こちらの誕生日を祝ってもらえると信じています。
ただし、日和見主義者としては、
実は誕生日にそこまで重きを置いていないケースが多いです。
誰かが企画してくれたら。とか、タイミングが合えば。
くらいにしか考えていません。
その結果、誕生日過激派の誕生日を祝わないことにより、
両者間で揉めたりします。
こうしたことが世界で多分1秒に1回くらいの頻度で発生していると、
非常に強いバイアスの上で確信しています。
ちなみに、②と③の間においては、誕生日に対する比重が重くないので、
双方揉めることはありません。
④は地蔵なので、どこふく風です。
私は「誕生日過激派」に対して、
ネガティブなイメージを持っているかというとそういうことではなく、
個人の思想なので尊重するべきだと思っていますが、
その誕生日無限ループには取り込まれたくないので、
誕生日を祝われることは積極的にお断りしています。
何事も人には大切にしたい主義主張があります。
「クリスマス過激派」とか、「記念日過激派」とか、
クリスマス過激派に巻き込まれて、テロを受けた結果、
破局に至ったケースも今までありました。
そんな私は「お正月過激派」です。
お正月最高ですよね。あと3か月もしないうちにお正月です。
身を清め、おせち料理の準備をしながら、除夜の鐘を聞く。
痛みを少し感じるピリッとした寒さの中で飲む、甘酒がたまりませんよね。
あー!早くお正月こねえかなーーーーー!!!!



