“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”の粉砕 -3ページ目

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”の粉砕

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

前回のつづきです。

 

 

 

「Jomonさん」こと、雨宮国広さん

丸太小屋づくりのアルバイトから

大工になりましたが、特別に

大工道具にこだわりがあったようです。

 

それで一般建築では飽き足らずに

「宮大工」になり、格段に道具を

増やしていったところが、

 

 

『このような伝統的ものづくりの世界でも

効率が求められるようになり、潮流は、

機械が主体であることがよくわかった。

 

私はちょうどその頃から、

機械道具や鉄の道具を使うものづくりに、

なぜか腑に落ちないものを感じていたのだ。

 

それが何かを気づかせてくれたのが、

石斧であったのだ。』

 

(雨宮国広 平凡社 『ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋』17ページ) 

 

 

運命的とも言える石斧とは

大工道具のイベントで偶然に出会います。

 

古代の道具を復元して実際に木を斬る

実験をしていた大学教授とそこで知り合い、

 

石斧の原材料になる原石を

送っていただいたそうです。

 

道具のマニアである雨宮さんは

石斧を試行錯誤しながら作りましたが、

 

小さい頃作った石斧が

まったく使い物にならなかったこともあり、

全然期待していなかったそうです。

 

 

『我が家の隣にある作業場には、

日頃木づくり練習をするために、

栗の木の原木丸太が、

所狭しと置かれている。

 

私は、その栗の丸太を作業台の上に置き、

石斧を振り下ろした。

 

「コーン」、

 

私の心は青空になった。

 

一点の濁りもなく、どこまでもどこまでも

青く深い光に満ちた。

 

「これだー!これだったんだ」

 

このひと振りの一瞬の世界で、

私は覚悟できたのだ。

 

「この道具と共に生きる」と。』

 

(同上14~15ページ) 

 

 

縄文大工になるのが

運命で決めてきた道だったのでしょう。

 

一瞬でそれを悟ったようです。

 

 

 

 

『その後、石斧研究を続けていたが、

案の定、仕事は一つも入ってこない。

 

現実の社会では、

仕事の依頼はないのだ。

 

生きていくにはとても大変な選択であったが、

あきらめることはできなかった。

 

すると、石斧と出会ってから六年後、

縄文大工として腕を試される

「縄文小屋づくり」の仕事が

舞い込んできた。

 

依頼者は、縄文時代のイルカ猟や

環状木柱列(円形の巨大な柱の列)

で有名な、石川県能登町にある

「真脇遺跡縄文館」であった。』

 

(同上35~36ページ) 

 

 

 

 

石斧を使った縄文大工の仕事が、

今この時代にあるはずがありません。

 

六年後に縄文小屋の仕事が舞い込んで

きたのは奇跡のようなものです。

 

仕事がないまま

よくも六年も持ちこたえたものです。

 

普通の人の理性では六年どころか

一年も耐えられません。

 

 

雨宮さんは現実的な理性よりも、

魂の声に従ったということでしょう。

 

魂の声に忠実に生きる人、それが

雨宮国広さんです。

 

迷いなく、魂の命じるままに生きる人は、

一種の無敵状態です。

 

いずれ、縁を引き寄せてしまいます。

 

 

能登の縄文小屋が完成してほどなく、

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

で声がかかり、今のプロジェクトに

つながってきました。

 

 

無心で、魂の命じるままに生きる、

それが雨宮国広さんの才能

のように思います。