テラヘルツと阿久遺跡 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

調べてみると、

 

「テラ」

基礎となる単位の1兆倍の量を意味し、

 

「テラヘルツ」

1兆ヘルツ(Hz)の周波数であり、また

 

「テラヘルツ鉱石」

というものがあり、

 

水晶を高温で熱して作られた

珪素99%以上の人工鉱石です。

 

 

テラヘルツ鉱石は、

 

1秒間に約1兆回振動する

「テラヘルツ波」を放ち、

 

その振動数の高さから

自然治癒力や免疫アップに活用されているようです。

 

 

 

 

今回「テラヘルツ」に注目したのは、

魂のアーティストMiかえるさんに描いていただいた私の絵に

 

「テラヘルツ鉱石」

最後に付けられたからです。

 

 

 

 

ZOOMで話をしているときMiかえるさんから

 

「テラヘルツ」

「あきゅう遺跡」

「山寺ゆうじさん」

 

などの言葉を聞き、

聞いたことがあるような気がしていました。

 

あとで本棚を見てみると、山寺雄二さんが

majoさん・木内鶴彦さんと共著で出している

 

『異星人と縄文人と阿久遺跡』という本があり、

その中に「テラヘルツ」が出ていました。

 

読んでいたのに

印象に残っていませんでした。

 

それで本をもう一度読み直してみると、

縄文遺跡について重要なことが書かれていました。

 

 

『(majo)2016年9月に故・葦原瑞穂氏が

「阿久復活プロジェクト」を立ち上げて

 

同年に交通事故で亡くなられたので、

プロジェクトが停滞していたのです。』

 

(山寺雄二・MAJO・木内鶴彦著 ヒカルランド刊 『異星人と縄文人と阿久遺跡』第一刷90ページ) 

 

 

『黎明』の著者である、あの葦原瑞穂

「阿久復活プロジェクト」を立ち上げていた!

 

もっと早くに反応すべきところでした。

 

(発掘されたときに撮られたと思われる写真)

 

 

葦原瑞穂が阿久遺跡を高く評価するだけでなく

復活への行動を起こしていたとは、

 

余程のことです。

 

 

私は縄文土器や土偶を

博物館で見たことはありますが、

 

縄文遺跡には

行ったことがありませんでした。

 

千賀一生氏が「縄文の秘密は

その円形集落にある」と言っていたこともあり、

 

葦原瑞穂が並々ならぬ関心を示していた

阿久遺跡のことを知り、

 

比較的近くにあったので、

先週行ってきました。

 

 

阿久遺跡のある長野県諏訪郡原村は

山梨から少し入ったところにあり、

 

それほど雪は降らないところだと思いますが、

先週の新潟を中心とした強烈な寒波の影響でしょうか、

 

すでに雪が積もっていました。

 

 

阿久遺跡には大きな

環状集石群(ストーン・サークル)がありますが、

 

中央自動車道建設工事の途中で発見され

発掘されました。

 

結局そのまま埋め戻して、

その上を高速道路が通っています。

 

 

なので、見えるのは

ただの山林です。

 

でも、感じられる人には

その凄さがわかり、

 

縄文人から

メッセージを受け取ったりもするようです。

 

 

majoさんによると、

 

『永留(=葦原瑞穂)さんが「中心はどこか?」と言うので、

見てみたらそこは

 

エネルギーが高すぎて、

あるいは強すぎて生身では入れない…

 

天にあるがごとく、地にもある…

次元を超えた穴が見えました。

 

 

その後、別の能力を持った友人にお願いして

 

分散している「エネルギー(オーラ?)」を

中心に集めてみました。

 

そしたら、そこから光が出てきたのです。

その光は「絶対調和」を表していました。』

 

(同上92ページ) 

 

 

『未来に行かれた縄文の方々から

伝わるイメージでは、

 

阿久遺跡は

「絶対調和」のエネルギーを放出していて、

 

そのエネルギーは自分たちの集落という

小さな範囲を守るためではなく、

 

タマ(地球)と他の星々の

正常な運行を司るような

 

役目の一端を担っていたと…

 

彼らから、

 

己(おのれ)がではなく、

「セ(全体、みんなという意味の宇宙語)」

 

という大きな、たおやかなイメージが伝わり、

とても感動しました。』

 

(同上94ページ) 

 

 

凄くスケールの大きな話です。

単なる「遺跡」ではなさそうです。

 

 

ストーンサークルが埋まっている

と思われるところを歩いてきましたが、

 

雪が積もっていて

ゆっくりはできませんでした。

 

今回は下見のようなものです。

また機会を見つけて行ってみようと思っています。

 

 

葦原瑞穂自身が阿久遺跡について

何と言っているのかを次回見てみたいと思います。