本物の日本人とは? ② | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

11月30日読売新聞朝刊一面の見出しは『トマホーク最大500発購入 「反撃能力」準備加速』でした。アメリカ・北朝鮮共同作戦の効果があからさまに出てきました。今年になって北朝鮮がやたらとミサイルを発射してきて、日本で早期警戒アラートをけたたましく鳴らした理由がこれでわかります。これらの茶番劇はすべて、アメリカから兵器購入、それに対して日本国民から反対意見が出ないようにするためでしょう。

 

 

前回、今の日本人は周りに

過剰に合わせて生きているのに、

 

縄文人は人に合わせるなんてことはしなかった、

ということを見ました。

 

 

 

確かに、日本人は

を大切にします。

 

まわりに目を向けて、

できるだけ合わせようとします。

 

聖徳太子が言った「和を以て貴しとなす」

 

これが活かされて

日本人の性質が形成されてきたようです。

 

 

 

そして、これこそが日本人だと思われてきましたが、

本当にそうでしょうか。

 

よく考えてみると、

 

「和を重要視する」ということは、

「現実は和の状態ではない」

 

ということなのではないでしょうか。

 

現実が「和」ではないから、和を大切にしようと

聖徳太子が言ったのでは?

 

 

時は、弥生時代、古墳時代を経て、

飛鳥時代に入っていました。

 

それまでには血なまぐさい事件も

たくさん起きていました。

 

現に聖徳太子の子孫も

痛ましい運命をたどっています。

 

4人の妻を持ち、

14人の子がいましたが、

 

後の政争でみな

粛清されてしまったようです。

 

とてもではないですが、

平和とは言えません。

 

 

では、そんな「平和」だった時が

あったのでしょうか?

 

それはありました。

その平和を実現していたのが、

 

他ならぬ、

縄文時代です。

 

縄文時代の遺跡からは

殺し合いをした形跡が見つかりません。

 

聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と言った時、

「縄文時代の和に帰ろう」

 

と言いたかったのかもしれません。

 

 

それはともかく、

では、

 

そんな争いのない縄文人たちは

「和」を尊いと思っていたでしょうか。

 

私は、彼らは尊いなどと

考えてはいなかったと思います。

 

それどころか、

そもそも、

 

縄文人には「和」という

概念すらなかったのではないでしょうか。

 

「争い」があって初めて、

対比される「平和」という概念が生まれてきます。

 

縄文人にとっては平和が普通であり、

当たり前のことだったでしょう。

 

ですから、彼らは

「和」などということには思いも及ばずに、

 

「和」そのものの状態で

暮らしていたのだと思います。

 

 

そうやって1万年以上

平和に暮らしていましたが、

 

大陸から渡来人がやって来て

大陸人の血が混じるようになり、

 

渡来人の繁殖力に押されて、

「日本列島人」は変質してしまいました。

 

大陸人DNAが縄文人を圧倒して

80%以上を占めてしまい、

 

私たちは韓国人や中国人と

ほとんど同じ顔かたちになりました。

 

80%以上なのですから、

当然です。

 

 

ところが、

心・精神は大きく異なります。

 

大陸人は自己主張が強いのに、

日本人は控え目です。

 

両者を分けているもの、

それは、

 

われわれの中に残っている

縄文人DNAであることは間違いないでしょう。

 

 

奥底に押し込められてしまった

少数の縄文人DNAは、しかし、

 

凝縮された地球の中心核のように、

 

われわれ日本人アイデンティティの

中核を成しています。

 

それは、縄文時代だけではなく、

 

その前の時代を含めると3万年以上も存続した

「原日本人」のDNAでもあります。

 

 

その原日本人が「本物の日本人」だとすると、

 

弥生人の後裔たるわれわれは

「ニセ日本人」です。

 

今のわれわれは「ニセモノ」ですが、

 

われわれのアイデンティティの中核、

「縄文のこころ」を完全に取り戻した時、

 

われわれは

「本物の日本人」になります。

 

 

そしてそのとき、われわれは

縄文人を超えているでしょう。

 

なぜなら、弥生から現代までの、

縄文とは異質の大陸文明を、

 

われわれは消化し

身につけているからです。

 

そのとき、われわれは縄文人を超える

多様性を身につけていることになります。

 

 

大陸文明を理解し、

それに対処できる経験を積みました。

 

多様性がありながら

しっかりとした持った時、われわれは

 

「進化した本物の日本人」として

世界に貢献していくことができます。

 

この混乱した世界に

調和をもたらす使命が、

 

われわれ日本人にあるのではないか

と考えています。