9月10日に比沼麻奈為神社とほか2社をまわり、
翌日は籠神社奥宮の真名井神社です。
伊勢神宮外宮での豊受大神解放ワークを
完結させるために。
手頃な宿が見つからなくて、
相部屋になるかもしれないけれども
真名井神社の近くにあるらしい
ユースホステルを予約していました。
着いてみてビックリ。
そこから真名井神社の鳥居が見えます。
部屋も6人部屋でしたが一人だけだったので
ゆったりできました。
寝るときはいつも北枕ですが、
真名井神社が少し北西寄りだったので、
ずらして神社に合わせて横になりました。
夜中の2時頃に目が覚めて、
つながってしまったような感じで
2時間以上眠れませんでした。
寝不足気味ながら朝6時すぎには起きて、
そのままお詣りに行きました。
いろいろ説はありますが、
やはりここが伊勢神宮外宮の元宮だと思います。
神前では前回ほどは集中できなくて物足りず、
時間はまだたっぷりあるので
右側の柵の前でまた手を合わせました。
しばらくしたらご神気が感じられてきました。
最初は上から降りてくる感じで、
そのうちに胸のあたりまで下がってきて、
最後は腰のあたりで感じられました。
このパターンは初めてだったので、
新鮮でした。
豊受大神からの手応えを充分に感じたあと、
下りて行って
真名井のご神水をペットボトルに汲んでホテルに帰り、
チェックアウトしてすぐ下の籠神社に向かいました。
拝殿と左側にある天照大神の社で手を合わせ、
真名井神社のご神札を購入し、
最後に籠神社奉賛会に入会の申し込みをしました。
籠神社の関係者から紹介されていたからです。
その人には前日に初めて会いました。
今回の京都行きを知人に話している時に、
この方のことが話題になりました。
かつて、真名井神社が荒れていたことに心を痛め、
大金を集めて神域を整備した中心人物であり、
大手出版社から出版オファーがあったのに
断ったことなど。
とても興味があり、この機会を逃したら
もう会えないと思い、
連絡先を教えてもらえたので電話をし、
アポを取ることができていました。
会ってみると意外にも、
霊能者でもありました。
いろいろと面白い話を聞き、
珍しいことも体験させてもらいました。
そのあと来客があり、それが大本教関係者で、
傍らでいっしょに話を聞かせてもらいました。
話の内容はわからないことが多かったのですが、
大本がまだ活動していることを知ったのは収穫でした。
そして、かつて教団で仰がれていた人の書が
発見され手に入れた、
その掛け軸が披露されました。
すべてひらがなで書かれた味わいのある字でした。
そこにあった有名なもう一人の師の掛け軸と
並んでいるのを見ることができたのは、
そこに居合わせた私たちだけです。
ひとりさんじゃないですが、
「やっぱり、俺はツイてる」と思いました。
そして最後に、
奉賛会への入会を勧められました。
籠神社は前回初めてお詣りしたときから、
格式の高さ、風格というものが感じられました。
あまたある神社のなかでは
「別格」という印象です。
そこの奉賛会の一員になれるのは光栄であり、
願ってもないことなので、
即入会を決意しました。
奉賛会入会が今回の京都行きの
隠れた目的・意図だったのかもしれないとも思います。
そして、やることはすべて終えたので
帰途につきました。
そういえば、
京都に向かう高速道路を運転しながら
地理的な考えが浮かんできていたのでした。
アマテル神の本拠地は富士山麓ですから、
東国です。
豊受大神の出身地は今の仙台あたりの日高見ですから、
東北です。
そして、縄文時代の中心地は、
人口分布から言って、
東国と東北です。
ですから、
アマテル神と豊受大神を封印するということは、
「縄文」を封じることだったのだ
ということに気がつきました。
これが同時に、
大和朝廷の成立であり、
「弥生」の始まりです。
そして、その「弥生」の延長線上の最先端が
現在の日本社会です。
”縄文の蘇り“と言っても、
事が壮大過ぎて何をしたらいいか漠然としていますが、
「アマテル神と豊受大神の封印解除と復権」
ということであれば、
これも壮大な事ですが、
ひとつの具体策です。
古事記・日本書紀では、
男神アマテルは女神にすり替えられ、
トヨウケは名前だけは登場しますが
天照大神の食事を司る神に落とされ、
二人とも実体は完全に消されてしまいました。
日本古来の伝統否定が
「弥生」であり、
その成れの果てが
いまの日本であり、
軸が定まらず、
空虚です。
「弥生」を突き崩し、
アマテル神と豊受大神の復権が成って、
日本人の精神の軸が
定まっていくような気がします。
(外宮で豊受大神を封じている多賀宮を逆封印し、
元宮である真名井神社で豊受大神にお会いするという
今回のご神業の意味は、
ときどきしか外宮に来ることができなかった豊受大神に、
言わば「常駐」してもらうことにした
ということのようです。
これまでは多賀宮の監視の目が強くて
居心地が悪いので、
必要なときにしか外宮に居られなかったのが、
多賀宮の監視がゆるくなったので
「もう大丈夫ですよ」と
迎えに来た、と言ったところでしょうか。
アウェーだった外宮が
ホームになったといった感じでしょうか。
伊雑宮のアマテル神の場合も同じです。
これからは常駐して、
本格的にその底力を発揮して、
まずは天上界で
”縄文の蘇り“を実現してくれそうです)

