昨日は、神が降りてきたときの「神の視点」
を見てみました。
澄み切った視界で慈愛の心があふれてくる。
そのとき自分の意志は保留にされ、
神の意志に主導権を譲る感じ。
でも、違和感はなく
心地いい。
でも、注意が必要です。
降りてくるのが神とは限らないからです。
『神降ろしは、神道やキリスト教でもそうだが、
降りると弊害が出る場合がある。
なぜなら、降りるのがいつも
神様とは限らないからだ。
狐狸の類や悪魔だったりすることもある。
むしろそのほうが可能性は高い。
だから本当に神様が降りてきたかどうかを審判する人間、
審神者(さにわ)の存在が必要になる。
審神者が存在しても悪魔が
降りてきてしまってからでは手遅れだ。
降りたことで強くなったり異様な才能を
発揮できるようになったとしても、
その人間の人格が豹変して、
問題を起こすことにもなりかねない。
それでは意味がない。
それゆえ各宗教にもともとあった
神降ろしという術法は危険視され、
封じられてきたと聞く。
カトリックは神降ろしを封じた。
それほど自分に神を降ろす行為は危険なのだ。
他人に降ろすのは、降ろす時点で
審神者を兼ねることができるので、
途中でやめるなり、
祓うなりができる。
自分一人でやるとそうはいかない。
悪魔が降りてきたら手の打ちようがない。』
(~保江邦夫著 風雲舎刊 『神様につながった電話』より~)
自分一人でやるのは危険千万ですね。
私は以前、振り子占いに凝ったことがありました。
あるセッションに参加して教えてもらいました。
遊びで始めましたが、
その占いが当たっているかどうかを確かめたくて
客観的に判別できることで占ってみました。
当時アメリカの大統領選挙戦中で、
占うといつもクリントンではなくトランプでした。
世間一般も私もクリントンだろうと思っていましたから
信じられませんでしたが、何度やってもトランプでした。
このことは周りの人にも話していました。
結果は意外にもトランプの勝利でしたので、
この占いは凄い!と思ってしまいました。
人間、いろいろな場面で決断を迫られます。
どちらを選択したらいいか迷います。
そんなとき、正しい答えを知っている
存在がいたら頼りになります。
これほど楽なことはありません。
その存在に教えてもらえばいいからです。
私はそのとき、自分の占いは確実だと
信じ込んでしまい、何でも占いました。
ときどき当たらないこともありましたが、
信頼はゆるぎませんでした。
人が占いにはまる心情がよくわかりました。
当時また、全体に気分が浮ついていました。
きっと変なものが憑いていたのだと思います。
その変なものがトランプを当てたのでしょう。
気が大きくなり、
無謀と言えるような計画を立て
それを占って出てきた結果のとおりに
思い切った決断もしました。
でも、深みに落ちる前に
運よく目が覚めました。
被害は最小限に食い止められました。
憑いた悪いやつは悪質なものではなく、
いたずら程度だったようですが、
いい経験になって、逆に
体験して良かったと思っています。
占いに頼る人の気持ちがわかりました。
でも、判断を自分以外の他人に任せてはダメ
であることも思い知らされました。
占いのようなものは安易にやってはいけないこと。
最近、遊び限定でまた始めました。
自分の行動を判断することなどはなく、
ただ本当にどうでもいいような、
実生活には関係ないことだけで。
今回は一応結界を張って、
悪いものに入られないようにしています。
でも、一度うっかり結界を張らずにやったところ、
どうも回答が変なので、確認してみると、
やっぱり変なものが入って答えていたようです。
本当に、見えない世界には
魑魅魍魎がいっぱいいるようです。
そこらじゅうに、うじゃうじゃいる
と思って間違いないようです。
普通に占いなどをするとその悪いやつらが
入ってくると思って間違いないでしょう。
ですから、「こっくりさん」のような
興味本位の遊びは本当に危険です。
見えない世界は危険がいっぱいですが、
でもまた、面白さ・魅力もいっぱいです。
考えてみれば、危険がまったくなかったら、
それもまた退屈でしょう。
両方がある、だから
人生は楽しいのかもしれませんね。