昨日は保江邦夫氏の「神がかり」の様子を見ました。
合気道の神が保江氏に降りてきて、
保江氏がその神を門人に移すと、
その門人が超人的に強くなり、
屈強な相手でも投げ飛ばしてしまう。
その神が降りてきたときの感覚について
今日は見てみたいと思います。
『ある門人を相手にしていると、
僕の視界の中で、見ている景色が
またゆるやかにグニャと揺らぎ、
同時に清らかで透明な景色に変わったのだ。
これは何だと思い、そして気がついた。
これが神の視点だった。
植芝盛平の伝記に書かれていた
”黄金体に化す”という体験はこれではないかと。
その感覚はなんの準備もなしに
一足飛びにポーンとやって来た。
徐々に来たのではない。
突然、ポーンと入ってきた。
澄んだ視界になった瞬間、見えるすべてに、
愛おしさ、慈しみのような感情が湧き上がった。
畳、壁、もちろんそこにいる人間にも、
いやどんなものに対しても、その感情が湧き出てきた。
そこに猫がいれば猫にも
そういう気持ちが湧いただろう。
空から落ちてくる雨にさえ
限りない愛おしさを感じた。
視界に入るあらゆるものに無条件の愛おしさ、
慈しみのような感情が湧いたのだ。』
神が降りてくると、自分と入れ替わる間、
ゆらゆらと揺れて視界がゆがみ、
神が完全に移りきると、
透明で澄んだ景色に変わる。
そして、すべてのものに愛おしさと
慈しみのような感情が湧いてくる。
神の視点は崇高な感じですね。
一度は体験してみたいものです。
また、サムハラ神社での場面では、
『彼女が「手を出して!よかった、たぶん先生のところへ行ったよ」
と言った瞬間から神様は僕のところにやって来た。
実際、その瞬間から今度は僕が変わった。
僕はそれまでの自分の魂が
丸ごと缶詰に入れられてしまったようになった。
缶詰にされた僕の魂は
僕の右肩の上あたりに置かれている。
僕の体と心を操っているのは
それまでの僕ではなくて、
何か違うものだった。
サムハラ龍王かもしれない。
とりあえず僕、保江邦夫はお役御免になった。
もちろん記憶はしっかり残っている。
それまでと今の自分に違和感があるわけではない。
缶詰に入れられてしまったという感覚はあるが、
束縛されている感じはない。
むしろ心地よい。』
(~保江邦夫著 風雲舎刊 『神様につながった電話』より~)
一時的に”乗っ取られる”ような
感覚のようです。
でも、意識はしっかりしていて、
違和感はなく、むしろ心地よい。
でも、これがもし変なものが入り込んできたら
恐いですね。
次回はそのあたりを見たいと思います。