①から⑦までの要旨は、
「キリスト教はユダヤ教の本質をマネして成立した。
ユダヤ人は生き延びるために
旧約聖書の世界(ユダヤ教)を創造した。
しかし、それは自然価値と矛盾するものであり、
不自然な価値観にもとづく、偽造された世界である。
それは、古い神が民族を救ってくれなかったので
僧侶たちが古い神を仮面にして、
自分たちが隠れた新しい神となって
宗教や道徳や歴史をねじ曲げてしまった。
それが全世界に甚大な影響を及ぼしている。
その結果が現代の民主主義社会である。」
でした。
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ①
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ②
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ③
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ④
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ⑤
ニーチェにキリスト教の本質を教えてもらう ⑥
現代の民主主義にも影響していると書きましたが、
少し先走ってしまいました。
キリスト教の発生が先でした。
自然価値を否定して創り上げたユダヤ教の世界を、
ユダヤ人自身のあるグループがそれをも否定して、
新たに創ったのが「キリスト教」
だとニーチェは言っています。
『この民族は、キリスト教として、
実在性の最後的形式をも、
「聖なる民」をも、
「選ばれたる者の民」をも、
ユダヤ的実在性自身をも
否定したのである。
この事件は第一級のものである。
ナザレのイエスの名を冠せられている小さな暴動は、
ユダヤ的本能の繰りかえしである。
言いかえれば、実在性としての僧侶にはもはや
我慢のできない僧侶本能、
教会を組織せしめたものにもまして
いっそう抽象的な生存形式の、
いっそう実在性でない世界の幻想の
捏造なのである。
キリスト教は教会を否定する・・・』
『かくして疑問視された教階制度は、
ユダヤ民族が「洪水」のただなかで、
ともかくなおも存続しつづけえた
方舟であった。
これを攻撃することは、
地上いまだかつてなかった最も深い民族本能を、
強靭きわまる民族の生活意志を
攻撃することであったのである。』
『低級の民衆を、
排斥された者や「罪人」を、
ユダヤ教内のチャンダラ(最下層民)を
支配的秩序に対する反抗へと召集した
この聖なるアナキスト、
福音書に信用がおけるとしてのことだが、
彼(イエス)は
今日でもなおシベリア流刑の憂き目を
みるかもしれない言葉で彼らを招集したのであり、
一人の政治犯であった。
このことが彼を十字架にかけたのである。
その証拠には、十字架の上にそう書かれてある。
彼はおのれの罪のために死んだ。
たとえ彼は他人の罪のために死んだと
しばしば主張されてきたにしても、
彼がそのために死んだ根拠はなんらない。』
(~ニーチェ著 理想社刊
『ニーチェ全集第十三巻 反キリスト者』 より~)
ユダヤ教内の不満分子が、
ユダヤ教創設者を見習って
既存宗教たるユダヤ教を否定して
キリスト教を新たに創り上げたということです。
ユダヤ的本能の繰りかえし
だと言っています。
ユダヤ教では古い神を温存し、それを仮面にして
自分たちが実質の神となりました。
キリスト教の場合はどうだったのか?
仮面の神に祀り上げたのが
イエスだったのだと思います。
イエスは利用されたのだと言えるでしょう。
イエスキリストは人類の罪を背負って
死んだということになっています。
これは彼らキリスト教団の僧侶たちが
勝手に意味づけしたのでしょう。
ニーチェも否定しています。
その他に、「処女懐胎」や
「最後の審判」などなど。
「人もし汝の右の頬を打たば、左をもむけよ」
と教祖が言っているのに、
そのキリスト教徒が同じキリスト教徒の
異端者を火あぶりにするのは
明らかに自己矛盾です。
ローマがキリスト教に改宗したことで
世界中に広まることになった訳ですが、
あのローマを改宗させてしまうだけの
凄い力を持っていたことも確かなことです。