昨日次のように書きました。
人間という存在は、
「根源」から出たエネルギーが、
「霊」という媒体を通ると、
「身体」を持った人間になる。
というイメージで
身体には目があって、
外の世界を見ていますが、
「霊」にも目があって、
心の世界を見ているのだと思います。
「根源」というのはわかりにくいですが、
すべてのもの、命ある生物も、物質も、
そこから発生してくる大元(おおもと)、
「神」と呼ばれたり、「創造」とか、
「大いなる存在」などと呼ばれるものです。
ということで、万物はおおもとでは、
一体なのだと思います。
人間どうしだけでなく、
あらゆる動植物も物体も。
「根源」は目には見えないもので、
エネルギーなのだと思います。
万物を生み出す無限のエネルギー。
一方、「霊」というのは、
「根源」から分れた個々のもの。
現象を起こすために個々に分かれた
目に見えないもの。
「霊」と「根源」は元々同じもの。
「霊」は分れたもの、
「根源」は分れる前のおおもと。
だから、「霊」と「根源」は中身は同じもの。
「根源」を「神」だとすると、
「霊」も「神」です。
私もあなたもみんな「神」」。
動物も植物も鉱物もみんな。
昨日また、
「霊」にも目があって、
心の世界を見ている
そして、人間を見守っている
と書きました。
仏教で、人間を神の「乗り物」
にたとえていますが、
「霊」がちょうどこの「乗り物」に
ピッタリだと思います。
この乗り物に
「身体」を乗せる。
そして、「器」でもあり、
その中に「心」を入れている。
心を「魂」と言ってもいい。
魂は人格をあらわす。
中身の魂と合わせて、
「霊魂」。
「霊」が器で、
「魂」がその中身。
器である「霊」が
心と魂を見守っている。
乗り物である「霊」が
身体も見守っている。
人間を動かしているのは
「心」であり「魂(=人格)」だと思います。
「多重人格」という病理がありますが、
これはその人のなかに存在する
多数の人格が入れ替わり、
統制がきかずに、まともな生活が
できなくなる病気です。
心や人格を統合しているのが
「霊」だと思います。
「霊」は器として心を収容し、
同時に心を統合している。
ですから、「統合失調症」などの
精神疾患は、「霊」の統合が
きかなくなってしまった病理
なのだと思います。
病気ではない正常な私たちも、
実際は多数の人格を
持っているのかもしれません。
それを「霊」が統合し、
統制しているから
まともに生活できている、
のだと思います。
人の心の中にいる
多数の人格、
そのうち、生まれてから育ってきた
人格が主導していますが、
心の底でそれまで眠っていた別の人格が
反旗を翻すことがあります。
そして言います。
今主導している人格は
「ニセの自分」だと。
こっちが「本当の自分」だと。
ここで主導権争いが始まります。
『人生とは、
自己の最も内奥の自我と
外的自我との
絶え間ない対立である。
外的自我は、
創造によって付与された
最も内なる本性の自我とは
完全に相容れない。』
『この二つの自我は、
繰り返し牽制しつつ、
何とかして相手を出し抜いて
優勢に立とうとして
戦っている。』
(ビリーマイヤー著
『わずかばかりの知識と知覚そして知恵』より~)
「霊」はその争いを見守っています。
中立を保って、ただ見守っているだけです。