力が宿っている「念」 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

『言葉の力とは、その言葉に込められた

「念」によって決まるのです。

 

心の底から出て来た言葉には

最初から力が宿っているのです。』

 

(~和佐大輔著 幻冬舎刊

 『テトラボッドに札束を』より~)

 

 

これは10日ほど前にも、

インターネットでの「影響力」を左右する

要素として取り上げたものですが、

 

この言葉が頭から離れません。

 

 

 

「念」というのは、「信念」や「念願」など

いちずに思う強い気持ちを表します。

 

心の奥底にある一途な思い、

 

「ニセの自分」に押しやられ、

押し込められていた「本当の自分」が、

 

なかなか壁を突き破ることができずに

鬱積している強い思い。

 

「怨念」のように、

「執念」のように、

 

あきらめずに、表に出てくることを求める

強い思いが反応しているのだと思われます。

 

 

 

一部が表面に出始めているけれども、

まだ、古い殻がこびりついている感じ。

 

「本当の自分」が動こうとしても、

古い殻が邪魔をしていて、

 

思い通りに動けない、

もどかしい思い。

 

 

 

脱皮の最終段階なのかもしれません。

最後の力を振り絞ろうとしているようです。

 

それで念頭から離れないのだと思います。

 

これが殻をすっかり投げ棄てて、

思う存分に動きまわることができたら、

 

本物の力を発揮するのだと思います。

 

そのとき、言葉には力が宿り、

自分の世界を世に現し、

 

世の中を突き抜け、

自分の世界を確立し、

 

「影響力」を行使することが

できるようになるのだと思います。