エピソード 中年の星「伊能忠敬」 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

 

伊能忠敬といえば、日本史の教科書にも出てくる、

日本で最初に全日本地図を完成させた偉人です。

 

人生50年と言われた時代に、55歳から測量に出て

74歳で亡くなるまで20年近くも日本全国をまわり、

死の3年後に「大日本沿海輿地全図」が完成しました。

 

上総国(現在の千葉県)の名主の家に生まれ、

下総国の伊能家に婿入りした忠敬は、

天文学や暦法、測量に興味を持っていましたが、

名主としての任務をしっかりと果たしました。

 

当時採用していた暦に誤差があることが問題になり、

幕府で改暦事業を計画しているうわさを聞き、

忠敬は今がチャンスと、家督を息子に譲り、

自分は隠居して江戸に出て、改暦に関わりたい

と希望に燃えました。

 

領主はなかなか隠居を認めませんでしたが、

たびたび願い出てようやく許しを得ました。

 

50歳でようやく隠居し、すぐに江戸に出た忠敬の

若さを示すエピソードが2つ。

 

まず一つは、幕府天文方で改暦事業のために

採用されていた高橋至時に弟子入りしたこと。

その高橋至時は当時32歳で、自分より20歳近くも若い

暦学の師に教えを乞うたことです。

 

必要な知識を得るためには、年齢には関係なく、

どんなに年若な人にも謙虚に教えを乞うのは、

柔軟な、若い心を持っていた証拠です。

 

もう一つは、四人目の妻を持ったことです。

 

(正式な妻は一人目と三人目で、

二人目と今回の四人目は内縁の妻。

一人目は病気で、三人目はお産で死亡)

 

志を持っていたので、気力、体力が

高いレベルで維持されていたと思われます。

 

隠居後、今で言えば定年退職後に、余生に、

以前から興味があったことに注力し、

日本史に名前が残るような偉業を達成する。

 

それはわれわれにも決して不可能ではない。

「人生にもう遅いはない!」はずです。

教科書に名が載るかどうかは別として、

夢を実現するには充分時間はあります。

 

伊能忠敬は中年の希望の星です。