僕は「嫌なことがあっても黙って耐えないといけない」と強迫観念にかられるような
いい子ちゃんではなかったので、当然、周囲の人にハラスメント講師のことを訴えた。
ところが、「お前が受験をすると言ったのだからごちゃごちゃ文句を言うな」と
まるですべての言質をとっているかのように、一方的に言葉を封じられただけだった。
僕も小学生でまだ年少で、この状況をおかしいと感じつつも確信までは持てなかったし、
また自分でお金を稼いで生きているわけではなかったから、
思考停止することを強制されるがままに従うしかなかった。

この頃の世の中はバブル経済全盛の折で、狂躁感に満ちた世界の中、
世の大人たちの頭はイケイケドンドンの発想ばかりだった。
後世の僕からすると、どうしてあのときの大人たちは、
短期間で上がった地価や株価には下がるリスクもあるという
当たり前の判断が当たり前にできなかったのか、よく分からない。
思考停止気味になんとなくで生きてきた人たちは、ただ世の中の雰囲気に流されるだけで、
楽して金もうけする方法などないという、地に足のついた判断ができなかったのだろう。

この頃から僕には体調に変化があり、
胃痛、肩こり、便秘、口臭、強度の近視、そして抜毛症、これらの症状が現れ、
また慢性的な寝不足で朝食を食べる習慣もなくなった(復活したのは社会人になってから)。
受験というのは、時間と労力の投資に対してプラスの方が多くてなんぼのものなのに、
手段と目的を取り違えた、また優先順位を間違えた、みじめで情けない毎日だった。
世の中に健康や良い生活習慣より優先すべきものなど、どれほどあるのだろうか。

そして受験はというと、受かった中学はあったものの、
それまでの成績と比べると失敗といっていい結果だった。
だがそれよりも、苦痛に満ちた塾から解放されたことの方がはるかにうれしかった。
プロセスの方があまりにひどい状況でストレスが大きかったために、
結果の方を気にするゆとりがほとんどなかったのである(この感じ方になるのがおかしい)。
そして受験が終わった後の小学校生活は本当に楽しかった。
このときがずっと続けばいいのにと思った。



そして中学から地元を離れ、広島市内の中学に通うことになった。
そうしてなんとかやっているとき、
あのハラスメント講師が広島の本校から松山校に飛ばされたと知った。
本校の一番上のクラスを受け持っていたのだから、普通に考えれば左遷だろう。
合格実績は悪くはなかったのだから、親から何かクレームが入ったのか、
プライベートで何か問題があったのか、理由は詳しくは知らない。
ただその頃はバブル経済も崩壊して不景気になりつつあり、
生徒がそれまでと同じように強気では集まらず、塾も評判に抗しきれなくなったのではないか。
つまりは、あの講師に問題があったことを塾自身が認めたようなものではないか。

なんてことはない、僕が感じていたことは正しかったのである。

この事態に、受験時に僕の訴えにまるで耳を貸さなかった人たちに抗議した。
ところがやはり、「お前が受験をすると言ったのだから文句を言うな」と反応は同じだった。
そこでやっといろいろ分かった。
この人たちは僕の言うことや状況を理解した上で、
「それでも今は、ハラスメントに耐えて、健康を損なってでもこのまま我慢すべきだ」
と判断したわけではなく(まあその判断は間違いだけど)、
自分より立場の弱い人間の話など最初から聞いておらず、いわば他人事だったのだ。

僕の中学受験時の正解は、ハラスメント講師がやっていることを塾に対して抗議し、
もし対応を変えないのであれば、塾を替えてしまうことだっただろう。
ところが自己愛の強い人は、人のために労力を使うことを極端に嫌がる傾向がある。
僕の周囲の人たちは、僕のために塾に対して何らかの対応をするどころか、
訴えの内容をまともに理解しようともせず、
僕が勉強をしたくないから文句を言っているのだと一方的に決めつけて、
自分たちは面倒なことから逃げたかったのだろう。
その結果、僕は抜毛症になってまで受験戦争に突撃することになったのだ。

 

おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。

小説『ノルウェイの森』のワタナベ君ならこう言って、

さらに言葉を続けるところなんだろうが。