昭和に愛された 「屋上遊園地」 はなぜ消えた?
少子化だけではない理由
* マグミクス (5月5日) より *
◉ 屋上遊園地はハレの日を楽しむ場所だった
かつて、デパートの屋上には小さな遊園地がありました。
休日ともなれば、ゆったりとした動きのカートやジェットコースター、絶叫マシーンから親子の嬌声があがり、併設されたゲームコーナーにずらりと並んだメダルゲームやビデオゲーム、クレーンゲームには小銭を握りしめた子どもたちが群がっていたものです。
豆汽車や小さな観覧車には、多くの家族連れが乗り込んで穏やかなひと時を楽しみ、大きなドラえもんの像を見た子供が歓声を上げて大喜びする光景もよく見られました。
ミニ四駆やRCカーのレースが開催されることもあり、自慢のマシンを披露しようと、多くの子供たちが会場に詰めかけました。
大きなデパートともなればステージが設えれており、ウルトラマンや仮面ライダーをはじめとする特撮ヒーローのショーや、新人アイドルや演歌歌手のコンサート、ときには芸能人やプロ野球選手を呼んでのトークショーなども開催されていました。
デパートの屋上遊園地は 「ハレの日」 を楽しむ人びとが集まる “ 憩いの場 “ として、楽しい思い出をたくさんくれた場所だったのです。
店によっては、うどんやソフトクリームなども売られており、青い空を見ながらお腹を満たした記憶をお持ちの方もいるのではないでしょうか。
そんな屋上遊園地も現在では極めて稀な存在となりました。
2023年の時点で常設の屋上遊園地は松坂屋の大阪高槻店と名古屋店、金沢市の大和香林坊店、松山市のいよてつ髙島屋、長崎市の浜屋百貨店の5か所でしたが、浜屋の屋上遊園地は2024年5月6日に幕を閉じることとなりました。
屋上遊園地は、あと4つしか残っていないのです。
なぜ、屋上遊園地は数を減らしているのでしょうか。
ひとつ目の理由としては、1970年代にデパートで大規模火災が連続して発生したことを受けて消防法が改正され、屋上の半分を “ 避難地域として確保する “ ことが義務付けられた点が挙げられます。
そのため、観覧車やジェットコースターといった大型の遊具の設置が難しくなり、魅力が減少し、客足が遠のく結果を招きました。
◉ 屋上から下の階のレストランへ····デパートの 「商売の形」 が困難に
ふたつ目の理由は “ 少子化 “ です。
いまから50年前、1974年に生まれた子供は200万人以上いましたが、2023年生まれの子供は75万8631人と、ほぼ3分の1にまで減少しました。
屋上遊園地はシャワー効果という 「最上階に集客力のあるイベントや店舗を誘致して最上層に誘導し、そこから下層へ降りていく途中で買い物をさせる」 戦略の元に作られた経緯があります。
家族みんなでイベントに向かい、終わったら下の階のレストランで食事をし、おもちゃ売り場で買い物をしてもらう商売の形が、子供の減少により困難となりました。
また、バブル崩壊後にステージイベントの開催が激減したこともあり、デパート側に屋上遊園地を維持する意味が、ほぼ失われてしまったのです。
3つ目の理由としては、機材メンテナンスの難しさがあります。
屋上は当然ながら風雨にさらされます。
屋内にある機材と比較すると劣化が早く、塗装もしばしば禿げるため、頻繁な手入れが必要です。
屋上遊園地の衰退に伴い、遊具を扱う業者も減少し、メンテナンス技術を持つ人員の確保も難しくなったのも閉鎖の要因になったと思われます。
屋上遊園地が最盛期を迎えたのは1970年代とされています。
現在では、遊園地 (テーマパーク) としては東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) など、大型の施設が人気を博しています。
また、イベント会場としては東京ビッグサイトや幕張メッセをはじめとする、天候に左右されず “ 屋内で “ イベント開催ができる施設が整っています。
もはや屋上遊園地が、かつての栄光を取り戻す日は来ないのでしょう。
それでも、楽しみにしていた屋上遊園地でのイベントの開催日が晴れていた時、大喜びではしゃぎ回った記憶を覚えているのは、人として “ とても大切なこと “ だと思えるのです。
『 デパートの屋上遊園地 』
拙者も子供の頃に、家族4人で行った記憶がぼんやりと残っています。
皆さんは、デパートのレストランで何を食べていましたか?