吉井川流域のジオサイト(1)旧閑谷学校の石垣 | 地質・地理と文化 ージオサイト巡りの旅-

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 豊岡から岡山に活動の場を変えて2ヶ月が経ちました。この間にもっと岡山の色々なところへ行きたかったのですが、まだ研究室の片付けも終わっていないありさまで、なかなか動けていなかったのですが、そろそろ吉井川流域の各地を見て回り、ブログにアップしていこうと思っています。

 昨日(6月4日)はその1回目として、国の特別史跡となっている旧閑谷学校(岡山県備前市)へ行ってきました。

 旧閑谷学校は1670年に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。重要文化財となっている建物などが多存在する特別史跡であるとともに、茨城県水戸市の弘道館、栃木県足利市の足利学校、大分県日田市の咸宜園などとともに日本遺産「近世日本の教育遺産群」にも認定されています。

 

 赤い備前焼の屋根瓦と周囲の森や芝生とのコントラストが美しく、この日は観光客もいなくて静かで落ち着いた時を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

庭にあるカイノキ。秋には紅葉がきれいだそうです

 

凝灰岩の石垣

さて、その中で最も私の目を引いたのは、丸みのある独特の形で積まれた塀の石垣です。

 

 

その石垣の大部分は凝灰岩という岩石が積み上げられています。これらは丈夫で、結晶が多い凝灰岩で、中に黒色のレンズがきれいに配列した部分も見られます。

 

結晶の多い凝灰岩 

 

           黒色のレンズが多い凝灰岩

 

大規模火砕流の痕跡

 凝灰岩というのは火山灰が固まった岩石ですが、このようなレンズ状の軽石ができるのは上空から降り積もった火山灰ではなく、高温のガスや火山灰とマグマのしぶきなどが高速で流れてきた火砕流と考えられています。

特に、巨大な火砕流によって熱い火山灰が非常に分厚くたまると、その層自体の圧力と熱によって内部が一部溶け、再び固まって非常に硬い岩石になります。その時に含めれていた軽石やガラス部分が引き延ばされると、このようなレンズ状の構造になるのです。これを溶結凝灰岩といい、丈夫なので石材としてよく使われます。

火砕流と降下火山灰

 

かつて存在した巨大カルデラ

 さて、このような溶結凝灰岩ができるような巨大な火砕流が発生するのはどのようなときでしょうか?

 それは一般に大きなカルデラを作るような火山活動だと考えられていますが、現在、閑谷学校の周辺に火山は存在しません。ところが1999年に石原舜三さんと今岡照喜さんという二人の研究者によって、今から8千万年~7千万年前に大きなカルデラが存在したことが発表されました。そのカルデラを示したのが下の図で、閑谷学校はその中に位置します。

 閑谷学校があるのは、図の「火砕岩」と書かれた橙色の部分で、これはこの火山活動で発生した大規模な火砕流が堆積した部分です。おそらくこの「火砕岩」のどこかで採られた石材が閑谷学校の石垣に使われているのでしょう。

 

カルデラの代表・阿蘇と比較すると

 この地質図を見ると、真ん中に青色に塗られている部分があり「溶岩」と書かれています。これはカルデラの陥没が終わった後の火山噴火で流れたものです。そこで、現在の阿蘇カルデラの内部を見てみると、カルデラの中央部には中岳という活火山があり、その周辺には阿蘇市や南阿蘇村の集落があります。

 

 このように今の阿蘇カルデラを地質時代の閑谷学校周辺ない重ね合わせてみると、8千万年~7千万年前には閑谷学校があるあたりはカルデラの中の今の市街地で、現在和気市街地になっているところには中岳のような火山があったことになります。

 このような史跡や文化的な場所も、どこかで大地の動きとかかわっているものです。ジオはいしだけではありません。こんなことを想像しながら閑谷学校を訪れて見られたら、史跡としてだけでなく、もうひとつ別の楽しみ方ができるのではないでしょうか。