四十九日。

人が亡くなって四十九日の間はまだこの世にいる、そして四十九日を過ぎれば魂があの世にいく。

そんな仏の教えがあるらしい。

四十九日の間は昔からあまり出かけるな。
だとか
引っ張られるかもしれないから気をつけろ。
なんておかあだったりジジババに良く言われた。

神社に行くのもあまり良く無いとされている

人ってのは生まれてから死ぬまで、死んだ後も周りに迷惑をかけてしまう生き物だ。

喪中という言葉がある。

かいつまんで言えば新年の挨拶ができないって事だ。

ただ、死んだことがない俺が言うのは説得力がないかもしれないが、亡くなった人もそこまでして喪に服してほしいとは思ってないと思う。

たくさん悲しんで
たくさん思い出を振り返って
自分の事を忘れてくれなければそれで良いと思ってくれてるはずだ。

しかし仏さまの考え方なんて俺たち人間が一生かかってもちゃんと理解できないだろうから

多分俺のこの考えは的外れなのかも。



親父が亡くなってあれよあれよと月日が流れた
本当にあっという間だ。

やっぱりどうしても亡くなった感じがしないんだ。
姉ちゃんもそう言ってた。

親父の存在は俺たち兄弟にとってかなり大きいものだった。
だからまだ生きている感じがするのだ。

あれだけ親父と喧嘩していたお母も心なしか元気が無いように思える。

やっぱり腐っても夫婦なのだ。
何十年と苦楽を共にしてきた
もちろん許せない事だったり恨むような事も多々あったはず

でも、それでも、離れる事なくしっかりと最期まで付き添っていたのだから
これはなんと言おうと愛だ

紛れもなく 嘘偽りない愛。

のはず。。。

兄ちゃんの部屋から、俺の部屋に
俺の部屋から、親父の部屋に
そして親父の部屋から、仏間になった。

生前、親父は俺が帰ってくるたびに
張り切って部屋を掃除していたらしい。

病気で苦しい時も 俺が帰ってくるたびに
掃除機をかけて コロコロもかけて
布団を出し 布団乾燥機までかけて俺を迎え入れてくれた

寝てるだけだった親父もそれだけは欠かさずやってくれた

それを思い浮かべるだけでも、なんとも言えない気持ちになる。


親父が亡くなって着なくなった服だったり色んなものを貰った。

そんな中で1つのシェーバーがあった。




それは俺が親父にあげた最初で最後の父の日のプレゼント。

高校を卒業して、社会人になった俺は父の日にプレゼントをあげた。

そんなに高くはない普通のシェーバー。

そんなに喜んでる感じはしなかったけど
お母が言うにはトラックで遠くに行く時は必ずそれを持って行ってくれたらしい。

6年も使い続けてくれた。

入院していた時もそれを使っていた。

亡くなった後、あのシェーバーをどうするか考えた

中を開けてみると真っ白いヒゲがたくさん詰まっていた。
普段なら汚い!だとか思うのだろうけど
俺には全く汚く思えなかった。

親父が生きていたなによりの証。

迷う事なく俺はそれを綺麗にして
壊れるまでどんな時でも使い続ける事に決めた。

親父が近くにいるような気がするからだ。


俺がレスラーになった時
親父から定期的に電話が来ていた。

"元気でやってるのか?"
"相変わらず母ちゃんはこうだ〜"
だとか。

でもたまにこんな事も言っていた。
"プロレスはいつまでやるんだ?"
"ある程度見切りをつけて帰ってこい"

正直こんな事言うような親父だと思っていなかったら驚いた。

親父の中でもまだ認めていなかったらしい。

俺が北海道から出て行った後でもお母に言っていたようだ。


昨年の苫小牧大会で家族が観に来てくれた時

その後くらいからそういう話はしなくなったとお母から聞いた。

俺がどれだけ本気か伝わったのかな。

それだけでも嬉しいや。


親父が亡くなって四十九日という節目
頻繁に帰省する事もなくなる。

というのも最近帰省するたびに千葉に帰るのがとても億劫になってきた

居心地が良いとかではなくて、言葉にできないモヤモヤしたもののせいだ。

俺が俺じゃなくなる
彼なのか俺なのか。

スイッチのオンオフが効きにくくなってきた

なぜそうなったのかは分からない。

間違いなく言えるのは
このままでは夕張源太というものが無くなってしまうという事だけだ。

だから俺はよっぽどの事がない限り帰省しない

親父が認めてくれた夕張源太というものを消させない為に。

これでいいのだ。


そして、彼は再び

スイッチをONにする。