昨晩テレビを何気なくみていたら
「世界がもし100人の村だったら」という番組が放映されていました。
チャンネルをとめて妻と二人で観ました。
内容は、貧困層の子供の実態を特集したものでした。
ごみ山でごみを拾い、生計を立てているフィリピンの12歳の少女。
13歳で子供を生んだ、スラム街に住むアルゼンチンの少女。
鉱山で過酷な労働をする11歳のボリビアの少年。
涙を流しながら観ていました。
こういう番組を観ると、なんとも言えない虚しさが残ります。
彼らに比べればほとんどの日本人の悩みなど、たいしたことないなと。
ただ感情論だけで片付けられる問題ではないですね。
親も同じラットレースで疲れ果て、病気や死で、レースが続けられなくなり、
幼い彼らも、生活のために否応なしにラットレースに参加する。
生死をかけたラットレースです。
先進国の人間の定義する「ラットレース」とは明らかに次元が違います。
自分の頭を整理しようとしましたが、やっぱりあのような現実をどういう風に処理
すればよいのか、答えが見つかりません。
母親と弟二人を養うために、ごみ山でゴミを拾い続ける少女の夢は
「お金持ちになって、家族みんなで暮らしたい」 でした。
