テクノ・リバタリアンを読み終えて思う聖徳太子の17条憲法学ぶことが日本では成功への近道? | zum2のブログ

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この世は人生の学び舎、「人は変われる自分は変われた」と言えるように奮闘中

前回ブログで「テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想」(著者は橘玲氏)という本を買い連休中に読み終える予定と書いた自分だが読み始めるとあまりにも興味深い内容で一気に読んでしまい何せこの本のなかで出てくる人物一人一人がそれぞれ一冊本が書けるほど濃い人たちなのでこの本自体がダイジェスト版というか要約みたいなもの、この本をキッカケに一つ一つ調べて考え始めたらいくら時間があっても足りない、ただ一つ引っかかったのは冒頭部分で著者は科学とテクノロジーの進歩で彼らが信奉するリバタリアニズム以外のすべての思想は過去の遺物になったと書いているがその科学とテクノロジーの進歩の産物であるAI は人が欲したから作られ存在している、彼らがそんなものを作ることが出来たのも多くの人々が欲したからで極論すれば人類が生き続ける限り人の数だけ思想は存在する、すべての思想が遺物になったとは自分は全く思わない

 

著者がテクノ・リバタリアンと呼ぶ人々は国籍こそ違えどいずれもアメリカで成功し個人的な自由と経済的な自由を至上のものとする科学とテクノロジーの進歩により自分たちの思い描いた世界を実現しようとしている人々のことであるが彼らがここまで成功することが出来たのはアメリカならではの事情がある、アメリカは建国当時プロテスタントが中心となって作った国だが以前産業革命に関する本を読んだときに産業革命にキリスト教の宗派であるプロテスタントの人たちがいかに重要な役割を果たしたか書いてあったのだがそのなかでプロテスタントにとって才能は単に自分自身を満足させるためのものではなく神様からの授かりものとして世の中のために使い使われるべきもので神様から授かった才能を活かす仕事に就き怠惰や気まぐれや驕り高ぶりに陥ることなく勤勉に働き社会貢献することこそ正しき道であると書いてあったような気がする、この本の中に出てきた人テクノ・リバタリアンの人たちは彼らがたとえ神様を信じていなかったとしても非常に宗教的な人たちのように自分には思えたしアメリカがいくら自由の国だとしても彼らが受け入れられ成功出来たのはそうした下地があったからではないのか

 

内容についてはまだまだ調べ考えなくてはならないことが多くて一言では言えないが本に出てきたテクノ・リバタリアンの人たちはとても人間らしい人たちだと自分は感じたしどれほど賢く才能があり社会的に成功していたとしても人間である以上苦しみからは逃れられないのか同じ人間だなとホッとした、実をいうと内容よりも著者があとがきに「自由」を恐れ「合理性」を憎む日本人と書いたことに一番驚いた、こんな表現をするなんて著者はいままで日本で働き暮らしてきてよっぽど腹が立つことがあったに違いない、日本人はとかく閉鎖的だ村社会だ外国人嫌いだと言われることが多いが自分はそれは世界と日本の一部の人々がどうすれば日本人が受け入れるのか方法を知らないだけかあえて無視しているからだと思っている、日本ほどいったん入り込むと開放的で外国人を受け入れる土壌のある国はないと自分は考えている(それがわかっている日本通の外国人から「日本人はチョロい」と思われてそうでそれはそれで問題だが、ニュースで世界で起こっている人種民族宗教国同士の対立の深刻さ根深さを知るたび世界で対立を解消して平和に至ることがいかに困難であるか思い知らされる)


もし自分が日本のことを知らない海外から来た人に日本とは日本人とは何かと問われたら1400年前に日本を日本足らしめた聖徳太子がどんな人でどんなことを成し言ったのか理解することが日本を理解することに繋がると説明するだろう、なかでも聖徳太子の17条憲法は1400年に渡って日本人の精神を形作ってきたともいえるもので第一条の和を以て貴しとなす(無益な対立をやめて和をもって議論しあえば物事の道理は互いに分かり合えるのではないか)をはじめとしてその内容を時代に合わせて解釈し行動するのが人種国籍問わず日本で成功する近道だというのが自分の考えだ

 

 

外遊中フランスのパリで開かれたOECDの閣僚理事会での基調演説で岸田首相は「AIは人類全体に影響を及ぼす革新的技術であり、多くの国が共通の認識を持つことが重要」「広島AIプロセス・フレンズグループ」には、約50の国と地域が参加し、ルールづくりについて議論する。」と語ったのことだが

 

 

 

今後日本ではアメリカのビッグテック企業はじめ外資系企業の国内への投資が増えAIの進歩と普及も加速しそうだが成功するかどうかはAIを推し進める企業がどの程度日本人使う側のことを理解しているのか近江商人の「買い手よし・売り手よし・世間よし」ではないが「日本人・法人ユーザーよし」「AI運営企業よし」「世界よし」三方ヨシ精神のモノを作り運用出来るかどうかにかかっている、昔なら技術と利用方法の押し付けで普及せず日本企業が付け入る隙もなくはなかったのだがどうだろうか(TwitterがXになってからの運営の不味さをみていてそう思ったのだがこのままではとさすがに考え直したらしい、自分もX再開しただけに利用者としてちょっとホッとしたが日本人としては残念だ)

 

X日本法人トップ「アニメ・映画を世界に」…悪質「インプ稼ぎ」はアカウント削除やAIで対策

X(旧ツイッター)日本法人トップの松山歩・代表取締役(47)が読売新聞のインタビューに応じた。「日本のアニメや映画をXを通じて世界にどんどん発信していく」と述べ、日本発の動画配信を強化する方針を明らかにした。「インプ稼ぎ」と呼ばれる収益目的の投稿については、AI(人工知能)を活用した対策に努めると強調した。

 

 

テクノ・リバタリアンを読み終えて思うAIに聖徳太子の17条憲法学ぶせることが日本では成功への近道?すべてのAIは人が求めたから作られ存在している、どれほど優秀なAIが作られようともそれは変わらない、人とAIの決定的な違いは人が持つ「生存本能」であり「生きる生きよう」とすることこそ人間の存在意義がある、「人生と出会いを諦めない世界がどうなろうと私は生きる」自分をはじめ多くの人にとって彼らが開発するAIやロボットが人に寄り添い生きる手助けになってくれることを願うってことで