「試験勉強」と「法学研究」の対抗を読む 

「試験勉強」と「法学研究」の対抗を読む 

H25年度予備試験に合格し、H26司法試験に合格しました。
法律、予備試験、司法試験のこととか書いてます。
辰巳法律研究所合格者講義
「要するにこう書けば合格。
趣旨・ヒアリングのエッセンス抽出講座」
担当してます。

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「人権総論(審査基準論や三段階審査、適用違憲論)の視点から司法試験答案の書き方を解説する書籍は多々見受けられます。しかし、人権の各条項に着目して司法試験の答案の書き方を解説する書籍はそこまでありません。」


これは、拙著「読み解く合格思考憲法」はしがき部分に記載した文章である。

もはやこのはしがきは改訂すべきであろう。


大島義則「憲法の地図」の出版によって、私が有していたこの問題意識は解消されてしまったからである。



「憲法の地図」は極めて特殊な書籍である。


第一に憲法の本なのに審査基準論や三段階審査論などの合憲性判定基準に関する総論的記述が存在しない。憲法を学びたい学生としては最も気になる部分である(ここが最も気になるというのは悪い傾向なのだが)が一切言及がない。ここには総論的に合憲性判定基準を学んだところで憲法訴訟に直接は役に立たないし、ましては司法試験憲法も十分に解くことができないことをあえて筆者は強調したかったのではないか。



第二に、では何が記載されているのかというと憲法の人権各論部分の理論構造や判例構造に関してである。
芦部憲法等他の憲法の基本書に関してももちろん憲法の人権各論条項の解説はなされている。しかし、どの書籍も憲法の人権各論条項の趣旨、規定の歴史的背景を述べ、判例を概観、もしくは判例を批判して終わり、という書籍が多かったように思われる。一方で、本書では、条文の文言解釈のところで最低限理論的背景は論じるものの、本丸は条文の文言及び現在まで存在している最高裁判例を元にモザイクアプローチ的に各人権条項から導かれる保護範囲を明らかにしていく点にあり、そこに新規性を見いだせる。そして、実務家としては条文・判例が実務に当たる中で最重要の原典であるわけだから、条文・判例に即して憲法上の権利の内実を明らかにしていくこのコンセプトはまさに実務家向けひいては実務家となるべく試験勉強に日々奮闘している学生にnarrowly tailoredな書籍と評価しても過言ではないであろう。
実務家は常の条文を思考の起点にするわけであるから、条文を起点にして体系を整理するという思考を取るのは当然ではある。しかし、不思議なことに憲法では条文はひとまずおいて違憲審査基準論や三段階審査論といった大上段の議論から演繹的に体系化を試みようとしてきたきらいがある。本書は憲法も条文から素直に解釈論を展開し、条文の中に審査基準論等従来グランドセオリーとして語られてきたことをギミックの一つにして解釈論を繰り広げようとする試みが見受けられ筆者の実務家としての矜持・強い意思が読み取れる。


第三に、本文と注の使い分けが絶妙な点があげられる。
本文では各人権条項ごとに種々存在する最高裁判例から読み取れる保護範囲、制約、合憲性判定基準はどういったものなのか、最低限理屈が通る程度の解説にとどめてある。これは最低限の知識を得たい、ないし整理したい人にとってはとても助かる。特に試験直前期の受験生は時間がない。時間がない受験生が憲法人権条項の最重要判例を概観することができる書籍はなかなか存在しないが、本書がまさにその役割を担っていくのではなかろうか(あと拙著)。
そして、注。最高裁判例調査官解説の中でも特に議論がまとまっていて、かつ、歴史的に読む価値のある極めて重要な文献を主として注に掲げられている。本文を読んでもっと理解を深めたいという読者はすぐに注に飛んで引用されている調査官解説を読めば確実に更に理解を深めることができよう。
そういった意味で、受験直前期の人、受験までまだ時間がある人とで相反するニーズに対しても本文と注を手がかりに、一冊の書籍で見事に役割分担がなされ、両者のニーズを的確に捉えているという妙味がある。


第四に、それぞれの人権条項ごとに○○条の地図と題してマインドマップを用いて憲法の人権条項の論点の体系まるでパンデクテン方式かのように整理され、可視化されている。憲法の勉強をしていて自分がいったい何を学んでいるのか立ち位置がわからなくなったときに、この地図を見れば自分が今どこに立っているのかすぐに確認できるだろう。


まとめ

以上本書の特徴的な点をあげたが、条文及び判例を手がかりにしてモザイクアプローチ的に人権条項・判例の体系化がなされており、本書の読解を通じて筆者による人権条項・判例の体系化を追体験し頭の中に自分なりの憲法の地図を描くことができれば、もう憲法訴訟(さすがに言い過ぎ)も司法試験憲法も怖いものなしといえるであろう。

※ちなみに、この追体験を自分なりに憲法の地図を描いてみせたのが拙著「読み解く合格思考憲法」であったりするので、ひとつの地図の描き方の参考例として手にとっていただけたら幸いである。


なお、筆者である大島先生とは懇意にしていただいており、上記評価はその人的関係の特殊性から純粋に客観的評価とはなりがたいことをお断りしておく。
ご無沙汰しております。

無事に実務修習、集合修習を経て、二回試験を受けきり、あとの修習生活は二回試験の発表を待つのみになりました。
合格していれば1月から弁護士として働く予定です。

さて、ツイッターでも何度も告知していたのでご存じの方も多いと思いますが、憲法の書籍を出版しました。

読み解く合格思考憲法―予備試験・司法試験短期合格者本1/3 (予備試験・司法試験短期合格者本 1)/辰已法律研究所
というものです。

内容としては、
①審査基準論など憲法判断枠組みの総論部分ではなく、表現の自由、経済的自由権などの人権各論にスポットライトを当てて答案の書き方を示す
②旧司法試験の過去問を主張反論形式にアレンジして解答解説を記載
③①②を踏まえた上での平成25年から平成27年までの司法試験憲法の解説解答を記載
④予備試験統治対策のための統治問題処理のための思考枠組みと平成27年予備試験の解説解答例を記載
といったものになっております。

①②は僕が受験生時代にこんな参考書があればいいなーという思いで書きました。
特に①のように、人権各論にスポットライトを当てて答案の書き方を解説した類書はあまりないかと思いますので、参考にしていただければなーと思います。
②については、現行司法試験では問題文が長すぎて、主張反論形式で書くイメージがわかないといった人のために、比較的事案の長さが短く、かつ良質な内容の旧司法試験を題材に、具体的な問題の考え方、答案の書き方を示しました。
③については、現行司法試験も①②で示した考え方が妥当することを体感してもらいたく、現行司法試験の問題の解説解答例の記載を行いました。ここを読んでもらえば旧司法試験と現行司法試験とでは本質的に問われていることは異ならないことがわかると思います。
最後④については簡単に、統治の書き方のようなものを示しました。現在統治の書き方について分析的に解説されている書籍はなく、予備試験で統治が出たときは捨てざるを得ない、というのは非常にもったいないなと思い、なんとか知らない論点が出ても食らいつくためにはどういった思考様式で臨めばいいのか?ということを簡単に示しました。


上記の内容は中央大学での後輩指導が下になっており、受験生の心理を理解した上で執筆したつもりです。
個人的には本書籍のレベルとしては、違憲審査基準とかはわかるけど実際に事案の特殊性をどう抽出したらいいかわからない、主張反論形式の書き方がわからない、憲法ガールに手を出してみたけど難しすぎて路頭に迷っている、といった中級者向けなのかなーと思います。
もっとも、①の部分については受験直前期のまとめとして機能するように、判例の引用や、論証例なども乗せているので、直前期総まとめとしても使えると思えます。僕も受験時代に①と似たようなものを作っていて、直前期はそれを読んでました。

以上のような内容ですので、是非一度手にとって内容を見てみてください!


加えて、書籍を出版したことを記念して以下のパーティーが開かれます。


12/6 18:00-20:00 かっぱちゃん×げんぴん 出版記念パーティー

【先着65名限定!】
かっぱちゃん×げんぴんの出版記念パーティーを開催いたします。
(日時) 2015年12月6日(日)18:00~20:00
(受付開始)17:50~
(会費)3000円
(場所)貸切パーティ専門店 ニコニコ niconico 新宿店
アクセス JR新宿駅東口 徒歩5分
電話 050-5785-5689
地図 http://r.gnavi.co.jp/2nb0vaf20000/map/

※原則としてキャンセルは受け付けておりません。ご不明な点は、 info.lawcluster@gmail.com までご連絡をください。

申し込みはこちらです。

かっぱちゃんとは、僕の書籍と同じシリーズ本で民法を書いた人です。
大学の同期で修習のクラスも同期で非常に仲良しですが、性格は正反対なやつです。
かっぱちゃんの民法もとても勉強になる良書ですので、皆様是非手に取って見てみてください。
読み解く合格思考民法

このパーティーでは僕の憲法の師匠である伊藤たける先生(憲法の流儀)、大ヒット『憲法ガール』著者である大島義則先生も参加される予定です。
このお二方は非常に頭がきれる方で、げんぴん出版記念パーティーとかどうでもいいけど、伊藤たける先生、大島義則先生と話がしたい!って方も是非是非参加してください!
昭和53年旧司法試験第1問 改題 
設問
1 Y県では,自動販売機による有害図書類の販売を規制するため,次の条例(以下「本件条例」という。)を制定した。
「第5条 自動販売機には,青少年に対し性的感情を著しく刺激し又は残虐性をはなはだしく助長し,青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めて知事が指定した文書,図画又はフィルムを収納し又は陳列してはならない。
2 知事は,前項の規定に違反する業者に対し,必要な指示又は勧告をすることができ,これに従わないときは,撤去その他の必要な措置を命ずることができる。この命令に違反した業者は,三万円以下の罰金に処せられる。」
Xは,Y県内において,DVD等の販売機を設置し,同販売機に本件条例5条に基づくY県知事に指定されたDVD数枚を販売目的で収納していた。Y県知事は、Xに対して、同DVDの撤去措置を命じたところ、Xはそれに従わなかったため、同条例違反により、起訴された。
〔設問1〕 あなたがXの訴訟代理人として行う憲法上の主張を述べなさい。
〔設問2〕 設問1における憲法上の主張に関するあなた自身の見解を、Y県側の反論を想定しつつ、述べなさい。

解説
1 総論
 今回の問題は岐阜県青少年保護育成条例事件を題材にしたものです。同判例を読み込んでいた人にとっては容易だったようにも思えますが、読み込んでないといろいろな点で悩みが生じると思います。
2 憲法上の権利の制約
 同条例によって何ができなくなっているかというと、「青少年に対し性的感情を著しく刺激し又は残虐性をはなはだしく助長し,青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めて知事が指定した文書,図画又はフィルム」(以下、「有害文書等」という。)を「収納し又は陳列」することができなくなっているわけです。このことができなくなっている主体はもちろん、販売機を持つ図書販売業者さんですね。したがって、図書販売業者さんの表現の自由が制約されている、と主張することにしましょう。
・・・と単純には話が進められない重大な問題が生じるんですね。
思想内容等を表明する自由を表現の自由と呼びますが、それが憲法上の権利として保障される根拠は①自己実現②自己統治と言われていることは明らかですね。ここでいう自己実現というのは、思想内容等を表明することによって自己の人格形成を図ること、すなわち、自律的な人生を送っていく上で必要な権利であることをさします。自己統治というのは、思想内容等を表明することで、自己の意思や考えを政治に反映させて、民主政を維持していくために必要であることをさします。
 ここでポイント。両者とも「自己」の思想内容等を表明することが重要な点になっているわけです。自分がこう思っているんだ!こうすべきだ!っていうことを表現することが大事だと。そうすると今回の販売業者はちょっと違ってくるんじゃないか?という疑問を抱かなければなりません。販売業者は、販売している図書の思想内容を表明する主体ではありません。あくまで、販売業者は表現を媒介する者としての役割しか担っていないわけです。じゃあ、他者の表明する思想内容等を自己が表明することは表現の自由に含まれないの?というと、そんなことはありません。他者の意見に同調する意見を述べることは思想内容の表明といえますからね。問題は、図書等の販売業者は一般的に、自分の考える思想内容等に近い意見を表明し、自律的な人生を送ろうとしているわけではなく、あくまで図書等を販売することで、生活の糧を得て営業を行おうとするために、図書等を販売しているわけです。本屋を想像してみてください。漫画、雑誌、ライトノベル、哲学書、物理学書、数学書、美術書etcと本当にさまざまな分野の本が販売されているわけですが、本屋さんはこれらの表現物を販売することによって、その表現物の意見や思想等に同調しようとしているわけではないですよね。もっとも、本の販売自体が表現の自由に含まれないことは、自己が図書等を販売することによって自律的な人生を送ろうという意思を否定しているわけではありません。これは、職業選択の自由で保障されるものであって、表現の自由として保障されるわけではないということを言いたいわけです。
 そうすると、販売業者の表現の自由で攻めるのはなかなか困難ということがわかりました。ではどうするか?
 有害図書等を見たい者に、視点を移してみると、有害文書等を見たい人たちが販売機によって、それを見ることができなくなっているという点で、見たい人の知る自由を制約するものである、ということがわかります。
 そこで、本条例によって制約されている権利は、成人や青少年の知る自由として、議論を進めていきましょう。
3 判断枠組み
(1)総論
 知る自由等表現の自由の規制の場面で判断枠組みを構築するための要素は、①制約されている権利が重要なものと言えるか、②制約が内容規制か内容中立規制かという点が非常に重要な要素になってきます。
 レペタ事件によれば「各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである」としており、自己の人格形成の要素、民主政の維持の要素から、知る自由が一般的に重要な権利であることは否定できないでしょう。
 今回の問題は、成人の知る自由と青少年の知る自由の二つの権利が制約されています。それぞれについて検討していきましょう。
(2) 青少年の知る自由
 岐阜県青少年保護育成条例の伊藤正己補足意見を見てみましょう。補足意見では、「青少年の享有する知る自由を考える場合に、一方では、青少年はその人格の形成期であるだけに偏りのない知識や情報に広く接することによって精神的成長をとげることができるところから、その知る自由の保障の必要性は高いのであり、そのために青少年を保護する親権者その他の者の配慮のみでなく、青少年向けの図書利用施設の整備などのような政策的考慮が望まれるのであるが、他方において、その自由の憲法的保障という角度からみるときには、その保障の程度が成人の場合に比較して低いといわざるをえないのである。すなわち、知る自由の保障は、提供される知識や情報を自ら選別してそのうちから自らの人格形成に資するものを取得していく能力が前提とされている、青少年は、一般的にみて、精神的に未熟であって、右の選別能力を十全には有しておらず、その受ける知識や情報の影響をうけることが大きいとみられるから、成人と同等の知る自由を保障される前提を欠くものであり、したがって青少年のもつ知る自由を一定の制約をうけ、その制約を通じて青少年の精神的未熟さに由来する害悪から保護される必要があるといわねばならない。」としており、青少年の知る自由の保障強度は、成人のそれに比べて低いと明言しています。知る自由の保障根拠として、様々な情報を接取することにより自己の人格形成を図ることができるというものがありましたね。青少年にとっては、様々な情報を知ることはむしろ人格形成に悪影響を生じさせかねないことから、この根拠が一定程度妥当しない。だから、青少年の知る自由の保障強度は成人のそれに比べて低いと。こういう論理構造になっています。
 (一般論として)保障根拠が妥当するから重要な権利→(本問の特殊性から)今回は保障根拠が妥当しない→だから今回のは重要な権利じゃないというステップを踏む流れは、あらゆる憲法事案の判断枠組み構築の場面で役に立つ思考方法なので、この手法はぜひ押さえておいてください。
(3) 成人の知る自由
 成人の知る自由は、青少年の知る自由のところで論じたような保障根拠が妥当しないとの議論はできません。ではここでは何の議論を展開することができるか?それは、間接的付随的規制というやつです。間接的付随的規制の定義をどう捉えればよいのか議論は多々あるところですが、付随的規制というやつに着目してみましょう。付随的規制とは、特定の法益を保護するために、その法益を害するおよそあらゆる行為を禁止する規制が、表現行為や職業活動に対しても及ぶ場合をいいます。この場合、特定内容の表現に着目した規制ではないことから、厳格審査に服さないことになります。
 今回だと、青少年の健全な育成を達成するために行うための規制が、たまたま成人の知る自由に対しても影響を及ぼしてしまったという点で、付随的規制であると評価することができます。その結果、成人の知る自由について内容着目規制ではなく、内容中立規制にあたることから、判断枠組みとして厳格審査を採用しないという帰結を導けます。
4 個別的具体的検討
 目的手段審査に移りましょう。
 原告側としては、今回掲げられた目的が科学的証明がなされていない等、立法事実が存在しないから目的審査をクリアしないんだと攻めていきましょう。これに対して被告の反論としては、科学的証明がなされている必要はないとの反論をすることが感がられますね。そこで、岐阜県青少年保護育成条例を見てみましょう。同判例では、「本条例の定めるような有害図書が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであって、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になっているといってよい。」といい、目的については問題がないと言っています。伊藤正己補足意見でさらに詳しく論証がなされているので見てみると、「青少年保護のための有害図書の規制について、それを支持するための立法事実として、それが青少年非行を誘発するおそれがあるとか青少年の精神的成熟を害するおそれのあることがあげられるが、そのような事実について科学的証明がされていないといわれることが多い。たしかに青少年が有害図書に接することから、非行を生ずる明白かつ現在の危険があるといえないことはもとより、科学的にその関係が論証されているとはいえないかもしれない。しかし、青少年保護のための有害図書の規制が合憲であるためには、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性のあることをもって足りると解してよいと思われる。」とあります。すなわち、目的審査をクリアする立法事実としては、青少年が有害図書を見ることで、精神的成熟を害するおそれにつき、科学的証明がなされている必要はなく、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性が認められれば、立法事実の裏付けとしては十分であると論じています。
 なぜ、害悪を生ずる相当の蓋然性で足りるのか、いろいろ議論はあり得るところだとは思いますが、個人的には青少年の知る自由の制約のインパクトの程度が小さいことと、当該害悪は一度生じたら回復することが困難である性質を有する点(害悪の除去の必要性の高さについては、害悪によって生じる不利益の程度×害悪の発生確率の掛け算で導かれる(泉佐野市民会館事件参照))にあるのかなと思っています。それに加えて、自動販売機での販売は対面ではないことから心理的に購入が容易であり、昼夜を問わず購入することが可能であることからすれば、販売機に搭載しないことの必要性は大きいと一言いい、販売機への搭載の禁止の重要性を語れば完璧です。
 続いて手段審査です。
 手段の適合性については、青少年に対して有害文書等を見せないことによって目的達成を促進させることは明らかなので厚く論じる必要はありませんね。そこで、手段の必要性や相当性等を見ていきましょう。岐阜県青少年保護育成条例は、「知事は、図書の内容が、著しく性的感情を刺激し、又は著しく残忍性を助長するため、青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めるときは、当該図書を有害図書として指定するものとされ(六条一項)、右の指定をしようとするときには、緊急を要する場合を除き、岐阜県青少年保護育成審議会の意見を聴かなければならないとされている(九条)。ただ、有害図書のうち、特に卑わいな姿態若しくは性行為を被写体とした写真又はこれらの写真を掲載する紙面が編集紙面の過半を占めると認められる刊行物については、知事は、右六条一項の指定に代えて、当該写真の内容を、あらかじめ、規則で定めるところにより、指定することができるとされている(六条二項)。これを受けて、岐阜県青少年保護育成条例施行規則二条においては、右の写真の内容について、「一 全裸、半裸又はこれに近い状態での卑わいな姿態、二 性交又はこれに類する性行為」と定められ、さらに昭和五四年七月一日岐阜県告示第五三九号により、その具体的内容についてより詳細な指定がされている。このように、本条例六条二項の指定の場合には、個々の図書について同審議会の意見を聴く必要はなく、当該写真が前記告示による指定内容に該当することにより、有害図書として規制されることになる」のであるから、実質的には知事が個別的に有害図書を選別して指定していく形の運用となっていないわけです。これを受けて、伊藤正己補足意見では、「有害図書の規制方式として包括指定方式をも定めている。この方式は、岐阜県青少年保護育成審議会(以下「審議会」という。)の審議を経て個別的に有害図書を指定することなく、条例とそのもとでの規則、告示により有害図書の基準を定め、これに該当するものを包括的に有害図書として規制を行うものである。一般に公正な機関の指定の手続を経ることにより、有害図書に当たるかどうかの判断を慎重にし妥当なものとするよう担保することが、有害図書の規制の許容されるための必要な要件とまではいえないが、それを合憲のものとする有力な一つの根拠とはいえる。包括指定方式は、この手続を欠くものである点で問題となりえよう。」と包括指定方式について、手段必要性の観点から問題意識を見せています。しかし、本件条例は、包括指定方式についての定めがないことから、岐阜県青少年保護育成条例よりも必要性を肯定しやくなっているので、原告としては必要性がないと攻めていくことはなかなか難しいところであることがわかりますね。
 次に、手段の相当性ですが、今回の規制によって成人の知る自由も制約されていることから、手段が過剰にすぎないのではないか、という問題提起を原告側から提示していくことが考えられます。とはいえ、成人については、販売機を使わずとも店頭等で購入することは容易なのであるから、過剰な規制とまではいえないのではないか、という形で議論はおさまると。
 あとは、付随的な論点として第三者の違憲主張適格というものがあります。要は、今回の訴訟の主体は販売者であるから、知る自由を制約されているわけではないので、それを主張していいのか?という話です。深入りするとかなり難しい議論になってしまう(違憲の主張は法律上の主張であるから第三者の権利を侵害することの主張をすることの何が問題なの?という話等様々な議論がある)ので、ここはさらっと当該権利侵害者と訴訟当事者とで特別の利害関係があればよいという規範をたて、それにあてはめて、認められる、としてしまえばよいです。
 なお、検閲や明確性の議論を論じようと思った人もいると思います。それ自体論じても間違いはないのですが、最近の司法試験は、あまりそれ自体を論じることを求めていないような傾向があります。したがって、基本的には書かず、実体的権利のところでどうしても書くことがないような場合に関してのみ書く、というスタンスをとるのがいいのかなと思います。
 全体的にただひたすら岐阜県青少年保護育成条例をしっかりと読んでいますか?ということを問うている問題でしたね。これの応用の問題が平成20年新司法試験出題の憲法です。この問題を完璧に理解できていれば平成20年新司法試験憲法も解けると思いますので、復習だと思って是非2時間計って答案も8枚制限で書いてみてください。絶対に勉強になります。なお、平成20年新司法試験憲法の解説としては大島義則「憲法ガール」が非常にわかりやすくおすすめです。


解答例
第1 設問1
1 結論
 本件条例は、憲法21条1項に反し違憲無効であるから、Xは本件条例5条の構成要件該当性が認められないため無罪である。
2 理由
(1) 憲法上の権利の制約
ア 知る自由総論
  憲法21条1項は「その他一切表現の自由」を保障するところ、表現の自由は受け手の存在を前提にしているのであるから、同条によって知る自由も保障される。
イ 青少年の知る自由
本件条例第5条は、自動販売機に、同条例が定める内容の文書、図画又はフィルム(以下、「文書等」という。)を収納し又は陳列することができなくなり、それによって青少年が販売機から文書等を購入し、それを閲覧することができなくなっている。
 したがって、青少年の知る自由を制約する。
 また、同条例によって、成年であっても、販売機から文書等を購入し、それを閲覧することができなくなっていることから、成年の知る自由も制約する。
(2) 判断枠組み
 本件条例5条は、青少年に対し性的感情を著しく刺激し又は残虐性をはなはだしく助長し,青少年の健全な育成を阻害するおそれがある(以下、「有害情報」という。)という表現の内容に着目した規制である。内容着目規制については、思想の自由市場をゆがめると同時に、個人の自律を阻害するものであることから、その合憲性判断は厳しくなされなければならない。
 したがって、本件条例5条は、目的がやむにやまれぬ利益のためにあり、手段がその目的を達成するために必要不可欠といえなければ、違憲となる。
(3) 個別的具体的検討
 本件条例の目的は、文書等を青少年の目に触れさせないことで、青少年の健全な育成に対する害悪が生じることを防止する点にあるが、文書等が青少年非行を誘発するおそれがあるとか青少年の精神的成熟を害するおそれのあるといった事実について科学的証明はない。したがって、目的を基礎づける立法事実を欠くことから、やむにやまれぬ利益のためにとはいえない。
 よって、本件条例は違憲無効である。
第2 設問2
1 第三者の違憲主張適格
(1) 被告の反論
 Xには、本件条例は青少年や成人の知る自由を侵害するという主張をする適格が存在しない。
(2) 私見
 第三者の違憲主張適格については、第三者の憲法上の権利の侵害と自己との間で特別の関係がない限り主張は許されない。
 Xは、販売機に文書等を設置し、成人や青少年の情報の受領を容易にする点で、情報受領者と特別な利害関係が認められる。
 したがって、Xの上記主張は許され、被告の反論は失当である。
2断枠組みについて
(1) 青少年の知る自由
ア 被告の反論
青少年の知る自由は、青少年が人格形成段階であることから、成人の知る自由の保護の必要性程高くなく、権利の重要性が認められないことから、原告の判断枠組みは妥当しない。
イ 私見
 知る自由の保障は、提供される知識や情報を自ら選別してそのうちから自らの人格形成に資するものを取得していく能力が前提とされているところ、青少年は、一般的にみて、精神的に未熟であって、上記の選別能力を十全には有していないといえることから、成人と同等の知る自由を保障される前提を欠く。
 よって、被告の反論が妥当する。
(2) 成人の知る自由
ア 被告の反論
成人は販売機を通じなくとも容易に文書等を購入し閲覧することが可能なのであるから、一部の入手手段の制約に過ぎず、制約の強度は小さいため、原告の判断枠組みは妥当しない。
イ 私見
 成人は、販売機以外の方法で文書等を購入し閲覧することができるのであり、特定の態様による販売が事実上抑止されるにとどまるものであるから、制約の強度は小さい。
したがって、被告の反論が妥当する。
(3) 規制態様
ア 被告の反論
 本件条例の規制は、成年の知る自由の制約については付随的規制であるから、原告の判断枠組みは妥当しない。
イ 私見
本件条例の規制は、青少年に生じる害悪に着目した規制をしたところ、たまたま成人の知る自由についても制約してしまったものである以上、成人の知る自由の制約に関しては間接的付随的規制である、内容規制ではない。したがって、被告の反論が妥当する。
(4) まとめ
したがって、青少年の知る自由に関しては、その保護の必要性が低く、成人の知る自由については、その制約強度が小さいことから、両者の合憲性判断の判断枠組みとしては、原告の主張の枠組みではなく、目的が重要で、手段が目的達成のために実質的関連性を有すれば合憲であるとする枠組みを採用すべきである。
2 個別的具体的検討
ア 被告の反論
 本件条例の目的は、一度生じたら回復が困難な害悪を未然に防止するという点で、重要な目的といえる。また、自動販売機での販売を禁止すれば、青少年は店頭でも自動販売機でも文書等の購入ができなくなるため手段適合性が認められる。したがって、実質的関連性が認められる。
イ 私見 
 本件条例の目的は、文書等を青少年の目に触れさせないことで、青少年の健全な育成に対する害悪が生じることを防止する点にあるところ、健全な育成が一度害されたら回復することは困難であるから、それが生じる相当程度の蓋然性が認められれば重要な目的が認められる。そして、本件条例の文書等が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであって、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になっているといえ、上記害悪が生じる相当程度の蓋然性は認められるといえる。また、自動販売機での販売は対面ではないことから心理的に購入が容易であり、昼夜を問わず購入することが可能であることからすれば、販売機に搭載しないことの必要性は大きいと言える。したがって、目的の重要性は認められる。
次に、自動販売機による文書等の購入を禁止すれば、青少年は文書等を見る機会が減少する直接的な因果関係が認められるため、被告の反論の通り手段適合性は認められる。
 よって、本件条例は憲法21条1項に反せず、合憲である。
                                         以上