先日 長女が14歳を迎えました
歩くのは遅かったけれど
わたしのおしゃべりの洗礼の賜物か(笑)
なにしろ言葉が早かった娘
早いうちから意思の疎通が
出来たので毎日たのしくて♡
ワケあって 毎週通っていた横浜でも
工事現場のおじさん デパートのおねえさん
どんな人にも『○○ちゃんですよー』
ベビーカーから手を振るような
かなり自己肯定感高めベビーでした
2歳のバースディ
でもね
ぐーんと遡ること 出産直後は
わたし 育てにくい娘に
ため息 イライラ 不安のオンパレード
思い描いていた
あかちゃんとの生活とは程遠く
ノイローゼ寸前だったのです
その後生まれた次女のハンディキャップ
わたしの難病発症と
まるでジェットコースターみたいな
わたしの人生
なので 長女の記憶 薄れてました
でも今ならどうして
ノイローゼ寸前育児になるほど
大変だったのか
手に取るようにわかるのです。
なので
どなたかのお役に立てばうれしいな。
14年前
3日間の微弱陣痛の末 ようやく会えた娘は
2,600gでこわれそうに細くてちいさくて
しっかし
小さいカラダとは裏腹にすごい泣き方
ほぎゃほぎゃなんて一切なし!
いつも全力で青筋立てて泣きすぎて
くちびるは真っ青になってしまうほどでした
今のマイペースな娘からは想像できないほど
寝ない 置けない 飲まない
の三重苦
そんな生活の幕開け
ちょうどその頃
父が単身赴任だったのもあり
母とまだ結婚前だった妹のいる
実家に里帰り出産をしたわたし。
食事も洗濯も
慣れない新生児との生活も
3人育てた母が面倒を見てくれ
保育士だった妹が沐浴を手伝ってくれたり
抱っこを代わってくれたりありがたく心強く。
が!そんな母に
『この子は大変だ』
と言わしめるほど
ひと月にもならない娘
わたし以外の抱っこは拒否
オットが週末必ず来てくれていたのに
パパ抱っこだと
くちびるを紫にしながら泣き続ける
週に一度必ず帰ってくる父からも
『なんだこの子は』と言われ
わたしはみるみる
自信を喪失していきました。
もちろん
悪気があるわけじゃないのはわかるんです。
両親が子育てしていたのはとうの昔
でもその時のわたしは
もうまったく余裕なし
わたしは娘を泣かせたくない一心で
食事を味わう暇もなく
おふろとトイレ以外は
常に抱っこの状態に
授乳クッションごと
そーっとふとんに置いても
肌が離れるとギャン泣きの繊細ベビーは
つねに抱っこか 生後1ヶ月なのに腕まくら
母に見てもらっておふろに入っていても
娘の激しい鳴き声が 聴こえる気がするほど
幻聴なのかわからないほど
疲弊していきました
わたしのカラダは限界を迎え
謎の湿疹が背中じゅうに出来たり
母乳が軌道に乗らずに乳腺炎で熱が出る。
娘が寝てくれているときが唯一休めるとき
でも必ず 娘の抱っこつき
腕も肩もガチガチ 手首は腱鞘炎
ずっとカラダが痛かった
あかちゃんはすやすや寝るもの
だって テレビも雑誌も
そういう赤ちゃんしか映らないじゃないか!
そう思っていたわたしは
育児雑誌を読み漁り ネットで調べまくり
ノイローゼ寸前育児の日々。
飲まない娘はいつもおなかが減っていて
いつもぐっすり寝れなくて
いつも泣いて力が入ってる
わたしは途方に暮れ
神経質な育てにくい子
だと思ってました。
どうしてこんな目に遭うのか
そんなことすら思い始めていました。
続く
自分でお弁当もごはんも作っちゃう
どうしたらそんな子どもに育つの??
たくさんのお声をいただいています
お子さんへの声かけは
こちらのLINE公式から配信してます♡
↓のバナーをクリック
インスタグラムでは
中2娘の作る【娘わっぱ弁当】UP中です!
本日もお読みいただきありがとうございます✰
食べトレシニアインストラクター
かんのともこ/横浜