ここであなたは、
健康という状態はどういう状態のことだとお考えですか?
それぞれ健康観が違うというものがありますが、WHO世界保健機関では、健康とは肉体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではないと定義しています。
ただ病気していない、弱っていないというだけでは健康とは言えません。
ストレスを抱え込んでいるとか、人間関係を悩んでいるといった精神的な面、社会の中で自分の役割を認識し果たせているかどうかという社会的な面、さらには自分の好きなこと、楽しいと思える趣味、自分の居心地の良い居場所、いきがい、やりがいを持って意欲的に生きていることだと思います。
この地球に生まれ
真の本意で生きる意味や真の人生の役割をどれだけの人が知っていて人生を十分に開花させて、周りの人に愛を広げていくことができるでしょうか?
そして「すべてのことには理由がある」といいます。
何かが起こると、その時にはそれがなぜ起きたかわからなくても、時の経過が過ぎていくと、いつか、その理由は明らかになってくることがあります。
僕の小さい頃の場合もそうでした。
ちょうど父親の転勤から実家に戻ってきたばかりの小学2年生の時でした。
前学校のクラスメイトからのお別れのメッセージを一人家の中で読んでいたとき、突如、家の近くにある川の方へ行きたくなる衝動に駆られたのです。
僕はそれに従い、家を出て近くの川へ向かいました。それを見終わった後の帰り際、一瞬の出来事でしたが、それは、あらゆる描写を超える出来事でした。
・・・交通事故でした。
自分の周りにいくつもの光の玉が温かく包み込んでいることに気が付きました。
下を覗き込むと自分の肉体が横たわっているのが分かりました。
特に痛いとか辛いとかそういうものは感じず、反対に何も言えない心地よさを感じていました。
いわゆる臨死体験というのをしたのです。
ふと家に帰ろうという気持ちが湧き出て
家がある方向に目を向けた瞬間
何かに吸い込まれるような形で、そのあと意識が戻るとそこは病院のベットの上でした。
それは二学年に入学する前の出来事でしたので
普通なら新学期を皆と学校生活が始まるはずでしたが、僕は病院での生活から始まったのです。
頭を怪我していたので、歩くのもめまいがして辛かったのを記憶しています。
病院を退院し学校へ行く頃には、もうすでにクラスでは、それぞれ友達の輪を形成しているように、そこに溶け込んで一緒のように友達になるということがなかなかできないでいました。
さらには、交通事故による後遺症なのか
身体的に活発に動けなくなっているのと
物事を覚えるのがうまく出来なくて、突然記憶が真っ白になることも多々あり
学校での勉強ができないでいました。
3人兄弟にの一番上で生まれ、両親からは弟と比較されることが多かったです。
自分は身体がうまく動けないこと、勉強ができないことを恥に感じていました。
楽しく学校生活を送ることが出来ず
家では「宿題しろ!勉強しろ!」と
自分でやりたいこともできない
「自分ってダメなやつなんだ」と劣等感を感じていました。
この時期の僕は、生きることは何だろうか
「死」や「無」に対する恐怖、生きることの辛さをとても感じた時期でした。
そんな僕に転機が訪れたのは、高校生の時でした。
というのも新しい環境である高校生活では
「強い人間になろう!」と決めていたからです。
当時の僕がしていたことは、強い人間のフリでした。
とにかく嘘でもいい
「自分はこうなんだ!」
「自分はこうなる!」
と言い切り、あとは目の前のことを努力することでした。
え!?精神論かよ?と思いますが
そう言いながら、しっかり身体を鍛えていったのです。
当時は筋力トレーニング室があって、バーベルやダンベルを使って身体を鍛えていました。
次回自己紹介その2へ続く>>>