スパン | 一毛録 - Genkairo Official Weblog -

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古美術 玄海樓店主のきまぐれブログ

とうとう…

日経平均株価が史上最高値を更新してしまいました。

昨日の終値はなんと「39098円」!

 

勿論バブル期の1989年(平成元年)12月29日の終値最高額

38915円を超えたのです。

 

世の中またもや経済バブル期なのか?

いやいや、米国の半導体関連からこのような好調な内容となり、

買い注文が殺到し、結果的にこうなったと見られています。

 

記念にパシャリ

ちなみに右下に弊店の宣伝が出ています(笑)

 

実感のないままこのような事態となっている訳ですが、

当方なんぞは投資どころか

今だに品物仕入れの資金繰りに追われており、

株式どころではありません。

 

証券取引所ビルに居ながら・・・にしてです。

 

 

「株価の値動きはスパンが・・・」などと言われますが、

本日は「スパン」の話。

 

もともと「スパン」とは「SPUN」の場合、

英語の「SPIN」の過去形および過去分詞形で

紡いだり回転するといった意味ですが、

日本でよく使用されるのは「SPAN」、

手のひらの幅のことを指す古英語の「SPANN」が

のちに様々な物理量の単位となったと考えられています。

 

建物の柱と柱の間の距離、つまり間隔を指すのですが、

物理的な幅、距離、長さ、または

時間的な幅、距離、長さ、をもさします。

 

つまり、

様々な種類のスパンがあり、各々それぞれ様子も感覚も違っている、

ということです。

 

地球の誕生から未知の消滅までのスパン。

宇宙に存在する星を呼ばれるものの発生と滅亡、

ビッグバンと呼ばれる宇宙の誕生や、ブラックホールなどの

まだまだ未知なる形状やそのスパン。

 

人間の想像を絶する巨大なスパンがあるのです。

 

それと比較してみます。

 

生物と呼ばれるモノの誕生から消滅までのスパン。

更に人類が誕生してから現在まで、およびこの先滅亡までのスパン。

もっと更に、一個人の一生のスパン。

 

どれほどちっぽけでしょうか。

どれだけ一瞬でしかないでしょうか。

 

我々人類はこのちっぽけな一瞬にまた

一喜一憂している訳です。

 

「近いうちに大地震がくるかもしれない」

 

いつの日かきっとくるでしょう。

 

「近いうちに日本が危ない」

「世界戦争が起こる」

 

論じる人が後を絶えません。

 

そりゃ、

いつの日かきっと人類は滅亡するのでしょう。

 

それは壮大な想像を超えた歴史が物語っています。

 

人類が刹那的思考でどうこう論じ、対策をしたところで

この宇宙的感覚からみた現在の人類的価値観は

残念ながらどうにもなりません。

 

今声高に叫ばれているSDG’sや環境問題、

宇宙開発(といっても所詮上空数百キロメートルでしかない)、

人間の欲望のみで世界を牛耳ろうとする連中

(所詮目の先の利欲であり亡くなればおしまい)、

戦争を画策し争うことでまたもや利を得ようとする連中、

 

目の先しか見えないから「陰謀論」を語るのでしょうか。

訳の分からない宗教やスピリチュアルな思想や思考、

よく分からない○○セミナーに参加・・・、

囚われすぎですね。自己がありません。

 

もう、ホント、「しょうもない」、と思いませんか?

 

・・・いやあ、

小さい!小さい!

 

スパンが違うのです。

 

気を大きく持ち(勘違いしてはいけませんよ)、

前向きに愛を以て人と接し、素敵な人生を送ろうではありませんか。

 

 

「不労所得」

 

この言葉が使われ出してもうかなり時が経ちました。

 

頭から否定はしませんが、

不労所得が多くなり、その人口が増えると

世の中どうなるでしょう。

勤労というものにヒトは興味を持たなくなり、

どんどんヒトがヒトでなくなってしまうことでしょう。

 

かつてはPC、携帯電話、スマートフォン、SNS、

近年は、ネット○○、VR、AI、自動●●と呼ばれるものが

凄まじい勢いで発生してくる・・・。

 

年配、ご高齢の方々は更に

時代に付いて行けなくなります。

置いてけぼりをくらうのか。

 

そんな世の中、果たして何のために・・・。

 

一部の連中が刹那的利を得、快楽を得、

表面上人類にとって便利となるが故に、

あたかも最良のものであるかのように認知させることで

民衆をマインドコントロールしているのです。

 

もう、惑わされるのはやめましょう。

価値観は常に変動し、変化します。

現に当時は当たり前だったことが

現在ではダメだ、となってしまったことが

随分たくさんあります。

時代によって価値観は変わるのです。

当然です。

 

真理を見出し、歴史を勉強、認識する事で

信念を持ちましょう。

 

与えられ続けてばかりでは

人生、面白くないですね。

 

善きもの、佳きものを信じましょう。

生み出しましょう。

 

 

恐らく、

お経であったり、

宗教的教義とは

太古からこのようなものでなかったか、

 

と思うのです。

 

となると

やはり煩悩に満たされた人間には

この先も未来永劫語り継がれて、

到達しない目標として存在してゆかねばならないのですね。

 

 

ああ・・・

本日はちょっと疲れました。

 

また明日から出仕事が続くので

これくらいにします。

 

また改めて。