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「限界小説研究会」とは

About Us

私たち「限界小説研究会」(「限界研」と略)は、80年前後生まれの若手ライターや文芸評論家を中心にした現代社会/文化をめぐる定期的な研究会である。
 この研究会では主に、(1)現代思想や社会哲学、文芸批評を中心としたマッシブかつオーソドックスな言説と、(2)オタク系文化評論(サブカルチャー評論)や情報社会論などのカジュアルでアクチュアルなトピックの双方に照準し、同時代の強いるさまざまな批評的課題に対して、時に注目の論客をゲストとして招きつつ討議や読書会を重ねている。主に2006年以降、研究会名義で雑誌や書籍、ウェブを通じて多方面に活動を展開している。

1 沿革
 本研究会は、当初、本格ミステリ作家・批評家の笠井潔氏を顧問格とし、数人の若手ライターや文芸評論家の卵たちによって、「先端的なサブカルチャーやインターネット文化に大きな影響を受け、既存のジャンル規則を更新する新しい文学的想像力を備えた小説作品」について考えることを目的に、2000年代半ばに結成された。
 周知のように、本研究会の結成当時、日本の文学界、あるいは若者向けのサブカルチャーの世界では、コミック、アニメ、ゲームなどのいわゆる「オタク文化」に属するジャンル、とりわけテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の物語世界に端を発する独特の文学的/サブカルチャー的想像力に大きな影響を受けた一群の小説作品や作家たちが業界の内外で幅広い注目を集めていた。例えば、2000年代初頭にミステリ小説界で相次いでデビューした舞城王太郎・佐藤友哉・西尾維新・奈須きのこといった作家たちは、それらオタク系サブカルチャーのジャンル規則や想像力を元手に、「ミステリ」や「純文学」「美少女ゲーム」といった従来の分野を自在に撹乱するハイブリッドな表現を達成し、また彼らを全面的にフィーチャーする形で2003年に創刊された若者向け文芸雑誌『ファウスト』(講談社)は商業的にも大きな成功を収めた。そして、その流れが、2004年頃をピークとして文芸業界で湧き起こった空前の「ライトノベル・ブーム」に結実したことは未だ記憶にも新しい。
 その一方で、そうした文学的/サブカルチャー的想像力の大域的な変容に対して、同時代の優れた批評的知性もまた鋭敏に反応したことも忘れてはならない。
 例えば、『エヴァ』から派生した「セカイ系」という2000年代文学のキータームにいち早く注目し、議論の俎上に上せた笠井氏をはじめ、先の『ファウスト』の牽引役の一人であり、2000年代を通じて若い世代に大きな影響力を持った哲学者・批評家の東浩紀氏、あるいは宮台真司、大塚英志、斎藤環といった各氏がそれらのコンテンツをアクチュアルな言論の場へと開いていった。
 以上の経緯は本研究会設立メンバーであった評論家・前島賢の『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書)にも詳しいが、本研究会はそうした当時の多様な動向に密接に連動しつつ、さらに独自のアプローチを切り開くために、90年代以降、オタク系サブカルチャーとその周辺文化に決定的なインパクトを受けた20~30代の書き手によって定期的な読書会の形式を採りながら活動を始めていった。
 ちなみに、研究会の名前である「限界小説」とは、当時、文芸業界・オタク業界で、舞城や西尾らの作品群を表すために用いられた「ファウスト系(ゼロの波)」や「メタリアル・フィクション」(東浩紀)、あるいは「リアル・フィクション」といった無数の用語の近隣に置かれることを企図し、「ジャンル小説、あるいはポルノメディアでありながら、私たちの実存を描き出そうとする作品、インターネットを始めとする情報技術の浸透による直接的、間接的影響によって生み出された作品、ジャンル小説の限界、あるいはジャンル小説と文学の交差点に立つ作品」(「限界小説書評」序文より)を意味する言葉として発案された。現在の本研究会の活動が小説以外の多くのジャンルを対象としていながら、名前に「小説」という文字が冠されているのは、ひとえにそうした経緯によるものである。
 いずれにせよその意味で、本研究会は、現在無数に存在する、2000年代論壇の成果を踏まえた若いライター・評論家(志望者)による研究会や批評系サークルの先駆的存在の一つであり、また、本研究会が2006年1月から実験的に開始し、ウェブを媒介に新しい書き手たちによるオルタナティヴな知(言論)とトピックの発信形態を模索した書評系サイト「限界小説書評」は、ここ数年のうちに急速に存在感を増している無数の同人/ウェブ系媒体の嚆矢となる試みでもあったのではないだろうか。

2 活動目的
 「限界小説」の可能性の射程を図ることを目的に始動した本研究会だが、2000年代の終盤、ライトノベル・ブームが終焉し、オタク文化が一定の飽和状態に達したことを受けて、私たちは当初の活動目的は達成されたと判断した。
 取りも直さず、私たちもまた、ライターや批評家としてそうした状況や業界の動向に直にコミットしてきた。個々の執筆・出版活動をはじめ、研究会名義でのミステリ小説専門誌『ジャーロ』(光文社)やミステリを中心としたエンターテイメント小説誌『メフィスト』(講談社)での連載評論企画や、第9回本格ミステリ大賞評論・研究部門候補にもあがった野心的なミステリ評論集『探偵小説のクリティカル・ターン』(08年)、そして、「セカイ系」概念の文化論的更新を目的とした多面的な批評論集『社会は存在しない セカイ系文化論』(09年、いずれも南雲堂)などの出版企画が一定の成功を収めたことで、それは研究会内部でも了解されていた。



 したがって、私たち限界小説研究会は幕を開けた2010年代に向けて、次なる活動ヴィジョンをここに示したいと考えている。

 私たち限界小説研究会は、「小説作品を中心とし、コミック・アニメ・映画・演劇・ゲーム・アート……など、現代の幅広い表現ジャンルに深く関わり、それらのコンテンツを作る内部の人々や、それを受信する人間たちにとって有効かつ具体的に働きかける「言葉」や「フレームワーク」を提供し、さらにそれを各ジャンル間でクロスさせ、相互に活性化させていくこと」を目指す創作/批評サークルとして出発する。

 私たちの共有する問題意識はこうだ。
 現在、「ゼロ年代」とも呼ばれた2000年代が生んだ無数の新たなテクスト文化やそれをめぐる批評的言説の蓄積を糧とした新しい世代の同人系メディア=プラットフォームや、書き手たちが現われ始めている。
『ゼロ年代の想像力』で話題を集めた批評家・宇野常寛氏の主宰する第2次惑星開発委員会と同人批評誌『PLANETS』を筆頭とし、社会学者・芹沢一也氏と批評家・荻上チキ氏らによる「SYNODOS」、地域活性化研究者・西田亮介氏らによるproject「.review」、社会学者・鈴木謙介氏がパーソナリティを務める「TBS文化系トークラジオLIFE」などは、その代表だ。もちろん、その中心の一つには、東浩紀氏と社会学者・北田暁大氏が責任編集を務めていた思想誌『思想地図』とその周辺の書き手たちがいる。
 彼らをはじめとする、東氏や宮台氏らによって代表された「ゼロ年代の批評」から派生してきた言説空間が現在のテクスト文化とその言論スタイルとしておおまかに共有しているのは、おそらく(1)個々の「作品」(テクスト)の内在的な分析よりも、そうした作品群が「生成」し、「流通」する際のハブとなる「環境」=プラットフォームの構造的な分析の優位性と、(2)「作品」に対する客体的=「社会学的」アプローチの優位性の二点だろうと思われる。すなわち、現在の批評的言説にあって、作品(テクスト)に対するアプローチは、おうおうにして作品そのものに対してではなく、その形式的な条件にこそ向かいがちである。それが、多くの「擬似社会学的」だとも称されるフラットな文芸批評のスタイルへの一定の支持を与えている。
 私たちはもちろん、そうした批評的言説がリアリティを持つ時代的要因を充分すぎるほど理解している。したがって、そうした批評的スタイルやパブリッシングの有効性を否定するつもりはない。
 とはいえ、一方で、私たちが危惧しているのは、現在のテクスト文化や個々の作品に接するそうした人々のフラットな語り口が、いちように個々のジャンル内部の「作家」や「読者」に充分に資する形で届いているとは言い難い状況にあるのではないか、と思うからだ。私たちが現在置かれている批評的スタイルの趨勢は、多層化しハイブリッド化する現在の文化的条件をきわめて的確にフォローするものである一方で、むしろ多くの重要な細部や視点をも失っているのではないか。
 あるいはこうも、言い換えられるだろう。2000年代にわたって、同時代に現われた新しい文化を分節化するための無数の魅力的な見取り図を生み出し、一つの強力な言説空間を築いた批評的言説――俗に「ゼロ年代の批評」と呼ばれるものは、その強力さや繊細さのゆえに、いまやその「外部」の読者に向けた波及力を失ってもいるのではないか。
 ありていにいえば、私たちはもはや「批評のための批評」をやるつもりはない。また、「批評の読者のみに向けられた批評」をやるつもりもない。だとすれば、私たちはこうした趨勢からは一定の距離を置いて、少しずつでも、新たな方向性を模索すべきだと考えている。



 そして、私たちが以上のように考えるのは、ごく自然な理由がある。
 まず、私たちはアカデミシャン(社会学者)ではない。したがって、状況に対して(擬似)社会学的な提言をやることに最初から意味はない。
しかし、一方で私たちには、例えば「作品」を生成/流通させるための環境=プラットフォームに注目する以前に、個々の「作品」を構想し、執筆し、市場に送り出す現実のプロの作家(クリエイター)たちがいる。あるいは、彼らをサポートし、実地の市場の論理の中で無数の「作品」を日々制作し続けている、編集や広告の業務に携わる人間がいる。すなわち、私たちはまず批評的言説を生み出す以前に、身も蓋もない市場や創作の環境に置かれ、仕事をし続けている作家/クリエイターやその近傍にいる人間がいる。
 そればかりではない。メンバーのプロフィールをご覧いただければわかるように、その構成員は実に多彩だ。ミステリやオタク系の分野はいうまでもなく、本研究会には複数の日本SF評論賞受賞者がいる。TRPGのゲームマスターをつとめゲーム専門誌で執筆をこなし専門書の翻訳をこなす人間がいる。ノベルゲームのプロデュースを行う人間がいる。新譜レビューやビジネス書のコラムを連載する人間がいる。大学院で映画史を研究し、映画批評を手掛ける人間がいる。
つまり、私たちの研究会では、(1)「作品」(テクスト)を主体的に生み出し、また、(2)無数の多様なジャンルの内部事情に精通し、そのジャンルの作家/クリエイターや読者に「届く」議論をできる人間が集まっている。そして、それらの情報を相互に伝えあい、有機的に討議しあう機会を確保している。
 私たちは、現在の研究会の持つこのゆるやかでしなやか、かつ個々のジャンルにおいては徹底して厳密さを備えた性格を積極的に捉え返したいと思っている。したがって、私たちは今後の研究会のコンセプトをひとまず「エクリヴァンécrivain」(作家、文筆家)の(ための)集団だと規定することにした。むろん、この場合のエクリヴァンとは「作家主義」や「作家性」などという時のロマンティックな意味合いで用いているのではなく、具体的に文字列や諸々の記号を刻みつけ、テクストを作る実践的な「書くひと/創るひと」としてのエクリヴァンである。私たちは、日々、創作し続けているエクリヴァンや今後エクリヴァンになりたいと思っている人間たちのための言葉や考え方のツールを作っていく。
 こうした私たちの目論見は、現在の趨勢の中では少なからず「反動的」で「ロマン主義的」にも映るだろう。
しかし、私たちは一部の狭隘なコミュニティに属する、適度に「知的」な特定の言葉を消費する人々のみに向けて書く言葉にこそ背を向けるべきだと考えている。繰り返すように、私たちはあらゆる文化的資源を「フラット化」(トマス・フリードマン)する「批評のための批評」の飽和状態にはとりあえず関心がない。私たちの信念は、あくまでプラグマティックに、リテラルに、コンクリートに、やっていくことである。そう、徹底して「ポジティヴ」(実効的)に!



 したがって、本研究会――「限界研」では、これまで通りの連載企画や出版企画のほかに、無数の「書くひと/創るひと」の、「書くひと/創るひと」による「書くひと/創るひと」のためのこれまでにない企画を、これまでにない方法論を使って積極的に展開していくつもりである。無数の方向を向いた研究会メンバーの専門領域に対する知識と、2000年代文化が達成したウェブの各種サービスやパブリッシングの「チープ革命」がそれらを可能にするだろう。
 また、限界研ではそんな私たちとともに活動していく「書くひと/創るひと」、あるいは彼らをサポートする新しい書き手も随時求めている。いずれも、私たちの活動に少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ気軽にアクセスしていただきたいと思う。
 現在も、限界研では新たなプロジェクトを進行中である。新たな企画や情報は、随時公式ブログにて発表・公開していく予定だ。私たちは、研究会の一つひとつの野心的な試みが2010年代の文化を私たちなりのやり方で活性化し、豊かなものにしていくだろうことを確信している。

2010年4月吉日 限界小説研究会



研究会の主な活動歴

・書評系サイト「限界小説書評」(2006年1月~その後、休止)*アーカイヴ原稿を本ブログで順次公開予定
・連載ミステリ時評「謎のむこう、キャラの場所」(2006年4月~2009年4月、『ジャーロ』光文社)
・連載ミステリ評論「ミステリに棲む悪魔――メフィスト賞という『想像力』」(2007年8月~2009年12月、『メフィスト』講談社)
・評論集『探偵小説のクリティカル・ターン』(2008年1月、南雲堂)*第9回本格ミステリ大賞評論・研究部門最終候補
・連載ミステリ評論「謎のリアリティ ミステリ×モバイル×サバイバル」(2009年6月~ 、『ジャーロ』)
・評論集『社会は存在しない セカイ系文化論』(2009年7月、南雲堂)
・トークイベント「セカイ系のクリティカル・ターン」(2009年8月、於・青山ブックセンター)
など

探偵小説のクリティカル・ターン/著者不明

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社会は存在しない――セカイ系文化論/限界小説研究会 編

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会員一覧

笠井潔(かさいきよし)

1948年東京生まれ。1979年に『バイバイ、エンジェル』で第五回角川小説賞受賞。
主な小説に『ヴァンパイヤー戦争』、『哲学者の密室』、『群集の悪魔』、『天啓の器』、など。評論は『テロルの現象学』、『国家民営化論』、『例外社会』など。


小森健太朗(こもりけんたろう)

1965年大阪生まれ。東京大学文学部哲学科卒。
1982年『ローウェル城の密室』江戸川乱歩賞候補、1994年『コミケ殺人事件』でデビュー。主な著書に『ネメシスの哄笑』『マヤ終末予言「夢見」の密室』『大相撲殺人事件』『グルジェフの残影』『魔夢十夜』など。
翻訳書コリン・ウィルソン『スパイダー・ワールド』など。
『探偵小説の論理学』で第八回本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞


飯田一史(いいだいちし)

1982年生まれ。ライター。「SFマガジン」で新譜レビュー(隔月)、「Quick Japan」で「“ビジネス書なんか読まない”文化系のためのビジネス書入門」、第2期「エクス・ポ」で「ライトノベル人類学」連載中。


岡和田晃(おかわだあきら)

1981年生まれ。ゲームライター/文芸評論家/翻訳家(五十音順)。2008年から限界小説研究会に参加。SF集団「Speculative Japan」メンバー。専門誌およびウェブサイト等に、主に西洋社会史に関係するアナログゲーム作品についての記事執筆・翻訳多数。2009年「「世界内戦」と わずかな希望――伊藤計劃『虐殺器官』へ向き合うために」で第5回日本SF評論賞優秀賞を受賞。
著書に『アゲインスト・ジェノサイド』。また、グレアム・デイヴィス『ミドンヘイムの灰燼』ほか訳書が多数ある。主な評論に「青木淳悟――ネオリベ時代の新しい 小説(ヌーヴォー・ロマン)」(『社会は存在しない』所収)、「SFとミステリ あるいは「リセットの利かないゲーム」」(「ジャーロ」2010年1月号)、「〈地図〉を携え、〈地図〉の彼方へ」(「R・P・G」4号)、「夢からさえも拒絶 され――アラン・ロブ=グリエ『グラディーヴァ マラケシュの裸婦』」(「Speculative Japan」)


蔓葉信博(つるばのぶひろ)

1975年生まれ。ミステリ評論家。2004年デビュー。『ジャーロ』『メフィスト』『ユリイカ』などに寄稿。「竹本健治『キララ、探偵す。』解説」、「中村佑介と広告表現」(『ユリイカ』10年2月臨時増刊号)など。


藤田直哉(ふじたなおや)

1983年札幌市生まれ。SF・文芸評論家。2008年に日本SF評論賞・選考委員特別賞を受賞してデビュー。東京工業大学価値システム専攻博士課程在学中。
主な論文に「消失点、暗黒の塔」(『SFマガジン』2008年6月号)「セカイ系の終わりなき終わらなさ」(『社会は存在しない』)「ひぐらしのなく頃には何を浄化したのか?」(『パンドラ』3号)「格差社会ミステリーの二つの潮流」(『本格ミステリー・ワールド2010』)「ゼロ年代におけるリアル・フィクション」(『ゼロ年代SF傑作選』解説)などがある。


渡邉大輔(わたなべだいすけ)

1982年生まれ。映画史研究者・文芸批評家。2005年にデビューし、同年から限界小説研究会に参加。以降、『Quick Japan』『flowerwild.net』『本格ミステリー・ワールド』『映画芸術』などに文芸評論・映画批評や書評を寄稿。
主な論文に「<セカイ>認識の方法へ」(『波状言論』22号)、「青春の変容と現代の「死霊」」(『群像』07年5月号)、「自生する知と自壊する謎 森博嗣論」(『メフィスト』07年9月号→本格ミステリ作家クラブ編『本格ミステリ08』)、「地図のように仮面のように」(『ユリイカ』08 年10月号)、「 世界は密室=映画でできている」(『早稲田文学増刊号 wasebun U30』)など。

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