前回までの話


「地方議会は市民の信頼を取り戻せるか ① (議会の「ズレた議論」)」(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11332825692.html


「地方議会は市民の信頼を取り戻せるか ② (「批判ばかり」の議会)」(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11333022706.html


「地方議会は市民の信頼を取り戻せるか ③ (「奥の院」での政治)」


http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11334644009.html


1.感謝


「市民不在政治」「密室政治」「古い議会」の打破は私・中西の選挙公約でもあり、あつ苦しくも、以上3回にわたり、


①市民から期待されない議会の問題点について分析し、


②現代議会のビジョンについてデッサンし、


③ビジョン達成の目的(あるべき議会改革)などについて第一段階(ファースト・ステージ)の提案しました。


昨年夏以来の焼き直しでしたが、


(1)最近の議会改革検討委員会に本当に議会改革をする気があるのか?という強い不信があること


(2)「あるべき議会改革」を市民の皆さんに問いたかったこと


(3)9月2日に江藤教授をお招きしての議員研修会(どなたでも参加可能です)があること(教授の意見を聞いた後の「後出しジャイケン」にしたくなかった)

から、再度まとめてみました。


他の議員の書くブログ等に比べ、重いテーマ、長く下手くそ文章であり、多くの方にご覧いただけたことに感謝を申し上げたいと思います。


2.「死の宣告」!?


もっとも、正直に書けば、議会制民主主義はすでに「死を宣告」されているように思えなくもありません。主な理由には、


①行政国家の出現(制度や仕組みが複雑多岐になった)


②首長の民選(民主主義は議会制の専売ではなくなった)


③行政過程の変化(行政も政策立案過程、執行過程において市民の声を一定程度聞くようになった)


があげられます。以上に、イデオロギー対決が終わったため議員が「左」「右」のベールに隠れることができなったことも付け加えられるでしょうか。


それでも、


①地方自治法が議会の議決を規定していること


②新しい統治のシステムができていないこと(新しい家が建つまではボロボロの家でも補修して住む方が野ざらしになるよりマシ)


③以上に関連して、「課税と税の使い道には市民の代表者の同意を要する」という世界的共通認識があること


の3点により、座して死を受け入れるよりも、より活躍し、市民に信頼され期待される議会を志向し、また模索しました。


私の示した処方箋は必ずしも正しいとは断言できません。しかし、議会改革が、小手先やマニュアル主義の改革ではなく、本当の意味で「改革」されないかぎり、市民から見放されて議会制は「死」を迎えると思います。(私見では、議会制民主主義は半世紀以内に大きく形を変えると考えています)(※1)


3.市民力

市民社会と議会との相互間にインプット、アウトプットを繰り返し、市民の声を活かすともに、市民との協働(市民社会の意見や政策提案)を通して、「奥の院」ではなく議場で議員間で討論をするというのが私の「議会改革」骨子です。


「地方にとっての戦後67年間③」でも触れたいと思いますが、「市民と協働」する議会や政治が実現すれば、その市民社会の「市民力」が問われることになります。そもそも、その社会がもつ「市民力」をこえて首長や議員が生まれることも、つくられた制度が成果を出すこともありません。(※2)自らの立場を忘れ、「若さ」に依拠して生意気なことを書いてしまいましたが・・・。


浅薄なことばかり書きましたが、高砂市で現在行われている議会改革の道しるべとなることを期待するとともに、実現していきたいと思っています。(現在、私は議会改革委員会のメンバーではありませんが。)


また、僭越ながら、以上とともに市民社会に一石を投じることもできたのであれば望外の喜びというほかありません。

   


※1 行政の監視・チェックだけならば「行政監察官」(オンブズを公的に格上げしたもの)、課税と税の使い道に同意するだけならばローマ時代の「護民官」(拒否権だけをもつ)を参考に制度を設計すれば十分であろう。


また、配るパイが少なくなったことにつき抵抗し始めた議員を封じる策として、首長政党があちらこちらで生まれている。


加えて、賛否両論あれど、議員の抵抗を廃し「決断できる政治」(?)を行っているとして、それら首長政党の躍進は著しい。





※2 後者につきR・パットナム博士(ハーバード大学教授)の研究成果が詳しくその相関関係について述べている。