1.市民の議会不信と議会のズレ

高砂市を含め地方議会の議員の多くは気づいていない気がしますが、市民の議会不信、政治不信はかなり強いように思います。この間の市民の方々との意見交換会・勉強会であらためて思い知らされました。しかしながら、高砂市議会でもこの事実を敏感に感じ取っている議員はきわめて少ないのではないでしょうか・・・?(←私・中西個人の感想です)


おそらくは、多くの議員が気づかない理由は、自らの支援者や関係者とばかり会っていることにあると思います。、また市民の議会不信の理由の一つは、議員が一部の支援者や関係者の意見しか聞いていないからであるように思います。その結果、「議会の議論」は、「一般市民社会の議論」とはズレが生じてきたのではないでしょうか。


さらに、これまでの戦後日本は雑に言えば経済的に「豊か」になることを目標としてきました。この時は、議会の議論と市民社会の議論は大きく「ズレ」ませんでした。しかし、経済的な「豊かさ」を一定程度は達成した現代、市民が望むことが多様になってきました。(「豊かさ」の意味が色々になった)このことが「ズレ」を大きいものにしていると思われます。


2.アウトプットとインプット

こうなれば地方議会は「時代遅れの骨董品」ともいえ、無用論も出てくるとは思います。しかし、課税と税金の使い道は「代表者の同意」を必要とするというのが近代以降の世界的共通認識となっています。すなわち、どれくらい市民が負担し、どのような自治体サービスを提供するかの意見を議会が集約し、そして決めなければなりません。また、市民のニーズや自治体内の課題を公の空間で取り上げるという役割もまだ果たさなくてはなりません。


そこで、このような意見集約、政策や争点を形成するという役割を議会が担うという前提で、議会改革とは「澱み(よどみ)」ともいうべき「ズレ」の解消に努めるものでなければならないと考えます。


具体的には、公聴会や参考人、またその他の制度を再評価し、活用することにより「市民社会の議論」を「議会の議論」にインプットする作業になると思います。そして、そのインプットされた内容を議会で議論しその結果を市政に反映するとともに、議会報告会などで「議会の議論」を市民社会にアウトプットする必要があります。(また、この報告会で市民の方に意見をもらいインプットするのがよい)


このように、議会と市民社会との間にインプットとアウトプットが繰り返され、その循環ができることにより、「澱み(よどみ)」ともいうべき「ズレ」が解消できると思います。


3.議会改革の現状

しかるに、現状の議会改革(議会改革特別委員会が所管)では、このインプットの議論はほとんど出てきません(皆無か!?)。「議会報告会」の開催というアウトプットの議論ばかりしています。


おそらく、「議会がどうあるべきか?」「なぜ市民に期待されなくなったか?」の根本的な問いかけや総論的な議論がないため、「何をするべきか」が明確に見えていないのだと思います。


以上のような、哲学や理念、分析を欠いたままに、他の自治体もやっているからとして「議会報告会」の開催を中心に進める議会改革をマニュアル主義の産物と私が批判する理由です。


4.最後に

これまで、高砂市議会の議会改革の現状を、マニュアル主義であり、小手先の改革であり、ときに学級会っぽいと批判してきました。 他方、昨年の夏やこれまでもこのブログ上で、自分が思う「これからの議会」について書いてきましたが、再度まとめて、ご覧いただいている皆さまのご賢察に供したいと思います。



実は、地方議会はすでに「死を宣告」されている気もしますが、ゾンビのように生き長らえる処方箋を皆さんと一緒に考えることができればと思います。

しばらくだけ、お付き合いいただければ幸いです。


次は、「批判ばかりしている」議会(!?)を取り上げたいと思います。