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宮城県多賀城市の被災地へ  後編 by 山中コ〜ジ

$GENETO-宮城県多賀城市

多賀城市到着後、約一時間程度被災地を見学し、今回お会いすべき人物 鈴木貴資氏との待ち合わせ場所へ向かいました。

お会いし、僕たちが来た理由を説明する等、多少の会話をした後、被災者の宿泊施設へと連れて行って頂きました。

施設には津波で流されたアルバムや位牌などが保管されたハウスや、援助物資が入った体育館、被災者が宿泊している館等、ひとつずつ案内していただきました。
また、現場でボランティア活動しているメンバーの方もご紹介頂きました。

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実際に色々なお話を聞きましたので、現場の話を伝える意味でもできるだけ書こうと思います。

震災後は特に治安が悪化したらしく、日本人や外国人の強盗や強姦などメディアが取り上げない実態があったということ。
当時は警察機能も麻痺していたが、その中でも警察が精一杯できるだけの事をしようとしていても、メディアによって悪いイメージで放送されたりと混乱状態のせいか、状況はなかなか好転しなかった。
また、平等に支援物資を行き渡らせる事が前提という行政が、被災者に支援物資を配給せず、被災者は飢えたり寒さに凍えたりと、悲惨な状況だった。
しばらく経って、他府県の有志による支援物資が被災地に入り込んだり、行政の配給が始まったりで、やっと被災者に行き渡る様になった。
常にメディアで取り上げられる有名な被災地とは違い、多賀城市や有名ではない被災地には、義援金や物資、ボランティアが来なく、地域差が出ているということ。

また、被災者とは家を無くした方を指すらしく、インフラが完全に遮断された家の住人は、被災者として見なしてもらえず、行政からの配給はもらえなかったそうです。


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誰が間違っていた、正しかったという話ではなく、当時誰もができるだけのことをした結果、良い側面もあれば悪い側面も出て来たという事でしょう。
つまり、正解は絶対に無いということでした。

その上で鈴木氏達ボランティアは、行政では行き届かない被災者に向けた活動をされています。
こんな時だからこそ、責任問題におびえる事無く、人間としてとるべき行動をとるというスタンスで、取り組まれています。
それが、個人レベルでできる最大の利点でもあるでしょう。


その他にも、支援物資よりも義援金をお送りする方が良いという事も分かりました。
それは、地元の業者から様々な物資を購入出来るということ、そこには雇用がうまれるということ。
そして止まっている経済が、活発に動き出すということでした。
そういった意味で、被災者の為の仮設住宅においても、極力地元の木材で、地元の大工さんに作ってもらいたいと話されていました。

滞在時間は本当に少なく、数時間しか被災地に居る事はできませんでしたが、忙しい中、色々なところへ連れて行ってくださり、色々な現状を話してくださいました。
最後に「被災地で何が起こっているのかを、京都に戻ったら是非とも多くの方々に伝えてほしい、そして、被災地のことをいつまでも忘れないでほしい」と話されました。

僕たちが被災地に対して、何を感じ何を理解し、何をすれば良いのか、改めて考えさせられました。
(写真をクリックすると大きくなります)


後日、鈴木貴資氏から送って頂きました礼状です。
今回義援金を僕達に託してくださった方の為にも、掲載させて頂きました。
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義援金をくださった方々をご紹介いたします。
(アイウエオ順)

稲垣 栄子(薬剤師/AS2
京都アートカウンシル
Gustav Klim(クリム兄弟AS2
黄 文斤(ゲームクリエイター/AS2
近藤 泰岳(写真家/AS2
坂梨 大雄(アンティークきものやAS2
東條 バレエ
原 麻由美(Ripple JoeAS2
萩 由梨絵(画家/AS2
谷口浩則(株式会社セイシン)
竹本 新吾(soto DesignAS2kuu~
竹山 奈乙雪(タケヤマアトリエAS2
門谷 和泉(office MON/AS2京都アートカウンシル
山下 麻子(GENETOAS2
山中 コ~ジ(GENETOAS2京都アートカウンシル
山中 悠嗣(GENETO
匿名希望者数名


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山中コ~ジ





小山幸容展ー花が目覚めるとき2011ーにいきました by 山中悠嗣

現在銀座の中山画廊で開催されている「小山幸容展」に行きました。

$GENETO-小山幸容

この日は、オープニングレセプションで多くの方が集まられていました。
小山幸容氏といえば、今月末にはTANADAピースギャラリーでもインスタレーションをして頂きますが、僕自身は、小山氏の作品を見ること自体初めてでした。

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華道家として著名な方なので、お花がメインの展示と思いこんで伺ったところ、お花はメインであるモノの、立体レリーフの様な作品とお花を融合させた作品の展示でした。
レリーフは、綺麗な矩形の立体物を組み合わせて作られており、平面的な中にも奥行きを持たせてあり、花とレリーフが対比的な存在でありつつもお互いを引き立て合う心地の良い作品ばかりでした。

レリーフ自身は変わらないモノ、そこに生ける花によって毎回違ったストーリーが生まれるような作品でした。
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花の見せ方一つでもこんなに違って見せられるのかと発見があり、月末のTANADAでもインスタレーションは凄く楽しみに成りました。
残念ながら、僕は京都で実際に作品を見ることが出来ないのですが、皆さん是非、京都での展覧会にも足をお運び下さい。

銀座 中山画廊での展覧会は5/21までです。
「小山幸容展ー花が目覚めるとき 2011ー」の詳細はコチラ

京都のTANADAピースギャラリーでの展覧会
「小山幸容展 ”花の造形展-Feelings good-"」の詳細はコチラ

両展示に是非是非足をお運び下さい。

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山中悠嗣

宮城県多賀城市の被災地へ  前編 by 山中コ〜ジ

宮城県多賀城市の被災地へ行きました。
そもそも行くことになった理由は、ひとつのメールをGENETO BLOG(3月24日)に掲載した事がきっかけでした。
それは、宮城県多賀城市で今回の震災で被災された方からのメールでした。

このメールを掲載した事で、僕の知人数名から義援金が手元に届きました。
そこで、僕の関わっている様々なイベントから集めたお金をその地域へ送ろうということになりました。

最初に動いたのはAS2(アートを肴に酒を飲む)です。
その後、京都アートカウンシルが加わったりで、京都の一部ではあるものの、ひとつの力になりそうな動きです。
今回はそんな事からある程度集まった義援金を現地にお届けする事と、現地の状況についてしっかりと知って来ようという想いからでした。

そんな事から、AS2メンバーで他にも活動をしている有志で被災地へ行きました。
近藤泰岳/竹本新吾/門谷和泉/僕の4名です。

京都から目的地までは約800キロあり、行くのに12時間かかりました。
途中、車中泊をしながら行きました。

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高速道路を走っていると北陸辺りから救援の車とすれ違いだしました。
だんだん被災地へ行くんだと、実感が湧いてきます。

宮城県に入ると、高速道路から津波で押し流されたエリアが見えだしました。
テレビでは見ている被災地の様子ですが、実際に見ると言葉を失います。

宮城県多賀城市内は、一見復興したかの様に見えます。
しかし、よく見ると建物一階の硝子が全て割れていたり、軒に車が引っかかっていたりしていました。
海岸近くまで車を走らせると、道路の脇には津波で流され大破した車の残骸がそこかしこに見えます。

4名とも複雑な気持ちで車窓から被災地を見つめました。
途中、車から降り何も無くなってしまった住宅地の後を歩きました。

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これほどまでに自然は恐ろしいものなんだと実感します。
巨大な津波は、情け容赦なく人や住宅や車など、人の生活感や思い出など全て、何も無かったかの様に流しています。
残ったのは微かな残存の様なもの。
自然は本当に人間では操作できないことを、痛感させられます。

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誰かが戦争の後みたいだと、テレビを見ながらつぶやいていましたが、何とも言葉で表現し難い風景であり、ただただ心を整理するばかりでした。

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実際に行く事で分かった事は、津波で流されたエリアから通りを隔てると、全く何もなかったかの様な風景だった事です。
勿論でしょうが、津波が来たか来なかったかは、紙一重の場所もあったという事です。
ほんの少しの差が人の生死を分けたんだと。
日頃感じない事ですが、死や生という誰もが持つ運命は、如何に我々のすぐ側にあるものかを実感しました。
(写真をクリックすると画像が大きくなります)


GENETO BLOG(3月24日)



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山中コ~ジ