今、辻堂ゆめさんの『あの日の交換日記』を読んでいる。
新刊のところに平積みされていたので、辻堂ゆめさんの本は読んだことがないけれど、興味本位で買ってみた。
自作は4月25日に出るとあり、月1ペースで作品を出せる人なのか?!と警戒中(笑)
交換日記、私も小学生の頃やったなぁ…と思い出しながら読んでいたら、ふと転校当日の悲しみの強がりを思い出してしまった。
誰かが転校するとなると、クラスのみんなはその子の家に行って、最後にたくさん話して、時間になると出発する車を手を大きく振って見送る。
田舎の小学生なんてそんなものだ。
色紙を渡したり、プレゼントを渡したりして、転校する子は笑顔で去っていく。
でも、私の時は違った。
私は、クラスに仲のいい友達は数人いたけれど、大半は私のことを嫌っていたと思う。
寄せ書きには、文字より空白が目立つ。
男子はみんなに平等だから、短くてもちゃんと書いてくれるけど、女子は私のことを嫌いな子は書かない。
それで空白が生まれるのだ。
班ごとにわけられた寄せ書きには、仲の良かった子が書いて、あとは男子がちょこちょこ書いて、あとは空白。
それを6班分受け取る。
私の時は、実際に集まってくれた人も、仲のいい子たち数人と近所の男子だけだった。
この人数で、どれくらい人気者だったかが明白になる、恐ろしい儀式なのだ。
親は子供のこういう思い出をいつまでも取っておきたがる。
実家でまた、その切なさを突きつけられた私は、もらった似顔絵や寄せ書きを全て捨てた。
その中に書いてくれた仲の良かった子も、今は誰1人として連絡がつかない。
小学生の6年間はとんでもなく長く感じる。
その長い月日を一緒に暮らして、よく遊んだりしていたのに、離れるとなるとその程度だった。
転校先で友達はできたが、1年後にまた転校することになった。
この時は中学生だったのでさすがに寄せ書きなんてなかったし、入学して1年も経ってなかったので、他のクラスの人は私のことを知らない人も多かった。
その後、私は友達の作り方を忘れてしまい、本当に話の合う人としか話せなくなった。
クラスの大半に「早くいなくなれ」と思われてたなんて、ゾッとする。
転勤族は各地に友達がいるから、友達が多そうなイメージがあり、実際他の子はそうかもしれないが、私は今、友達と呼べる人は親友1人しかいない。