2024年3月5日(火) 一生の傷口 | 雪解けの先に広がる足跡

雪解けの先に広がる足跡

ADHDの夫とHSPの私。
2022年冬に北海道へ移住。
日々のできごとを綴っています。




少し恥ずかしいことだけど、私は「ありがとう」と「ごめんね」を言うのが苦手だ。

それは、親密な中であるほど苦手だ。

友達や親友だったら言えるのだけど、夫を含めて家族になると言えない。

親族なら言える。

近い人ほど言えない。


なぜかはわからない。

なぜかはわからないけれど、私の両親からも、一度もその言葉たちを聞いたことはない。


去年1年間、両親と一緒に暮らして顕著になった。

この人たちは感謝と謝罪をしない。

それが嫌だなと思ったので、私はきちんと言えるように努力し始めた。


1番は夫に対して。

一般的に見るとかなり少ないと思うけど、私の中ではずっと15年言えなかった言葉を口にし始めたのである。

自分では、かなり頑張っていると思っていた。


でも、それは夫に伝わっていなかったようだ。


私の両親は「ありがとう」と「ごめんね」を言わない、という話題になった時、

「唁も言わないよね」と一言、言われた。


ここ1年余りは頑張って言っていたのに、伝わっていなかった。

努力しないと出ない言葉を絞り出していたのに、伝わらないのでは、やっぱり言う意味なんてないと思った。



昨日、コーヒーを淹れてもらった。

我が家のコーヒーマシンは夫にしか扱えないので、コーヒーが飲みたい時には淹れてもらう必要がある。

それを受け取った時、たまたま口から「ありがとう」が出なかった。


「ほら、言わんと」


夫は幼い子供をしつけるように、私に「ありがとう」の催促をした。


「…ありがとう…」

「言えたじゃん」


これだ。

この余計な一言が、私を殻に閉じ込めたのだ。


「ほら、ありがとうは?」

「ちゃんと言えたね、えらいね!」


そんな子供にかけるような言葉を、年上である私に向かって発したのだ。


普段、ADHDの夫には、普通の人が普通にできることができないといった事例が数多くある。

私にはできないことが理解できないので、初めのうちは

「どうしてわからないの?」と言ってしまっていた。


ADHDの人には、どうしてわからないのかがわからないので、そういう言い方はNGなのだ。

少しずつ学んで、そういう言い方はしないようにしてきた。


それを去年、私の両親が隙間なくぶつけたものだから、夫の心もズタボロだったはずだ。

実家を出られてよかったね。


次の問題は私。

2人きりになったのだから、「ありがとう」が言えない私だけが悪者だ。


夫は自分ができないことを棚に上げて、私が「ありがとう」を言えないことについてとても意地悪な攻め方をしてきた。


「そういうとこだよ」


私からすると、【わかってる】。

わかってるから治そうと努力してきた結果が、今なのだ。

0だった「ありがとう」が1日1回に増えただけでは、満足いかないか。



私らHSPという性質上、

「あ、この人今私がありがとうって言うか言わないか実験するためにコーヒーを淹れてる」というようや予測は簡単にできる。

そう思ってるんだろうなーと思いながら「ありがとう」って言うのは、言われた方は嬉しいだろうか。


「言え」「言え」と催促されて言われた「ごめんね」に、本当の謝罪の心が入っているだろうか。



そんな実験をされているのを知ったら、もうなにもしてもらいたくなくなる。

コーヒーだって自分でインスタントを淹れるし、ご飯だって自分で作れる。

運転だってできるし、掃除だって自分でできる。

「ありがとう」を言わなければいけない環境をできるだけ排除したくなった。



と同時に、これを書いているのは眠れない3:30なのだけど、夫は寝ていて、明日になったらケロッとしているかと思うとやってられないと思う。

夫が今、私に「ありがとう」を求めていないか、それを気にしながら会話をしていたら、一生笑えないと思う。


ADHDの自分がどうしてもできないことは、協力してやっているのに、そんなことすっかり忘れているのだろう。

ADHDは許されてHSPは許されないなんてことは、あってはいけない。


心理学なんて勉強する意味がないと豪語しているが、夫のような人の気持ちを察することができない人は勉強したほうがいいと思う。


夜寝る前にも私は気持ちが真っ暗だったので、返事は頷くことしかしていなかったのだけど、夫は陽気に話しかけてくるし、オナラをして笑っているし、人間性を疑ってしまった。



『唁も言わないよね』という一言をどうして口にしたのだろう。

これがなければ、夫が

「唁は今日も言わないなー」と思っていようが、レアな「ありがとう」が出た日は喜ばしいのではないだろうか。

「ありがとう」と言うまで離さないみたいなやり方は、とても汚いし、こちらのストレスにしかならない。

言える時と言えない時があるのだ。

給食を食べるのが遅いからといって5時間目まで食べさせられているようなものだ。



元々口数の少ない私はさらに口を閉ざすだろう。