雪解けの先に広がる足跡

雪解けの先に広がる足跡

ADHDの夫とHSPの私。
2022年冬に北海道へ移住。
日々のできごとを綴っています。

人の誕生日を忘れられない特技を持つ私。

今日は以前お世話になっていたクライアントの担当者の誕生日だ。

でも、私はこの人にいい印象がない。

最初はよかったけれど、最後の最後で積み上げてきた信頼を全てぶち壊してくれた。

あまりにも私に対して失礼すぎる人だった。

私が今まで頑張ってきたものをなかったかのように、出社最後の日には他のお世話になった人に挨拶もさせてくれず、エレベーターまで強制見送りをされて、私はそこから存在を消した。

 

正直、仕事のできない人だった。

会社に所属しているから給料がもらえてるわけであって、フリーランスになったらなにもできないだろうな、と思いながら私は自分の仕事に集中していた。

私は頑張っていいものを作ろうとしていても、彼のせいで崩れたりすることがある。

そういうのは本当にやめてほしかった。

 

そんな彼も定年を待つ年齢になったはずだ。

親の向かいに家を、親が建ててくれて、妻子とともに暮らしている。

この人に苦労の相談をしても、「大変ですね」という言葉しか返ってこないAIのような人間だった。

 

 

さて、そんなイラつきを思い出すのはこの辺にして、今日の話。

昨夜、辻堂ゆめさんの『あの日の交換日記』を読了した。

辻堂ゆめさんの作品は初めて読んだが、過去作も次回作も読みたくなる面白さだった。

今回のミステリーは、「事故で亡くなった」という回想はあれど、ミステリーなのに誰かが殺されたり、血が飛び散ったり、犯人を探したり、対峙したり、そういう要素が一切ないのだ。

それでいて伏線というものはちゃんと張られていて、ちゃんと回収する。

作者は東大出身だという。

 

私は東大出身者と一緒に仕事をしたこともあるけれど、仕事内容は一緒で、やってみたら特別すごいというわけでもなく、東大だからといってすごいすごいと周りが騒ぐのは間違っていると思っていた。

まぁ、仕事内容が理系だったら、私はまったく手が出ず、彼女が本領を発揮したかもしれないけれど。

 

でも、今回の本を読んで、東大に入る頭を持っている人の思考回路の凄さを思い知った。

グロいのが苦手だけれど謎に触れたいという人におすすめの本だと思った。

 

 

 

 

 

さて、今月の1日、エイプリルフールの日に嘘だと言ってほしかったけれど、私は歯医者に行った。

詰め物が取れたので作り直してもらう予定だった。

 

Uターン人間の私には、学生時代に通っていた相性の悪い歯医者が近所にある。

そこに行くと、歯医者が嫌いになるので、自分で新規開拓することにした。

病院や歯医者は、自分で探して納得の行く所に通うべきだと思う。

親に言われて、とか、昔通っていたから、とか、それでは自分の体を自分で守っていることにはならない。

 

目をつけていた歯医者は評判が悪かったので(笑)、違う歯医者にしてみた。

そうしたらそこが夢の中にいるようないい歯医者で、「歯医者が嫌い」「嘔吐反射が強いから怖い」という私の希望(問診票に丸をつけたこと)をちゃんと考えてくれる先生だった。

 

受付はすべて機械。

受付の人は基本的に中で歯科助手をやっている。

私は初めてだったので、何から何まで教えてくれた。

 

その先生は、私の詰め物が欠けやすいのは(数年前にも欠けた)、自律神経が整っていないから食いしばりが原因だと言った。

でた、また自律神経か……。

そう思ったけれど、耳鼻科なんかの先生が

「自律神経の問題ですね。薬出しておきます」というのとは訳が違い、その整え方を教えてくれたのだ。

薬ではなく、自分の努力でできる方法で。

 

「日月さん、あなたの場合は今ここで詰め物を治しても、またすぐに欠けてしまいます。なので、1か月間の宿題を出します。まず、お風呂はシャワーではなく浴槽に使ってください。そして、夜寝て朝起きてください。そしてお昼くらいに15分、昼寝をしてください。それだけで全然変わってきます。治すのはそれからにしましょう。」

 

なんと、私の欠けた詰め物は、1か月放置されることになった。

 

「とりあえず今日は型取りや麻酔もせずに、仮歯だけ入れます。新しい歯医者に来るのに、きっと昨日の夜から緊張していたと思いますので、今日いきなり苦手な型取りなんかはやりませんから」とのこと。

図星すぎて苦笑いするしかなかった。

 

先生は、次回の予約はしなくていいと言ったが、そんな甘いことを言われると私は予約を先延ばしにして仮歯が取れるまで来ないと思うので、1か月後に予約を入れてもらった。

歯医者は苦手だけれど、歯は大事だと身を持って実感したので、東京時代もほとんどサボらずに行った。

寝坊したり、どうしても行く気になれない時や、コロナが怖かった時は休んだけれど、そこは型取りも上手で先生も治療が上手く、患者の話をよく聞いてくれるところだったので、歯茎が腫れたとか、ガマ腫ができたとか、そういうことでも診てもらった。

予約もすぐに入れてくれたし、とてもいい歯医者だった。

 

今回も、歯以外でも相談できる先生だといいな。

そんなわけで、1か月間は仮歯が取れないように気をつけて過ごしているところ。

 

ちゃんと宿題を実践しようとはしているが、昨日は浴槽に浸からなかったし、今日は早起きもできなかったので良くない日だ。

体がだるくて起きられなかった。

私はもともと夜型人間なので、早く寝て早く起きるということが疲れてしまうのだ。

人には人の生活リズムがあるとは言うけれど、やっぱり朝起きて日光に当たると気分がよくなるし、できることならそうしたい。

だから頑張ってみている。

 

最近病院にいくと、必ず「免疫が下がっているからですね」と言われる。

皮膚科の発疹も、婦人科の膣炎もそうだった。

免疫を上げるには、やはり日光を浴びることが大事なのだ。

私の仕事は極端に運動不足になるので、そこも考慮して生活しないと健康とは程遠いなと思った。


今、辻堂ゆめさんの『あの日の交換日記』を読んでいる。

新刊のところに平積みされていたので、辻堂ゆめさんの本は読んだことがないけれど、興味本位で買ってみた。

自作は4月25日に出るとあり、月1ペースで作品を出せる人なのか?!と警戒中(笑)


交換日記、私も小学生の頃やったなぁ…と思い出しながら読んでいたら、ふと転校当日の悲しみの強がりを思い出してしまった。


誰かが転校するとなると、クラスのみんなはその子の家に行って、最後にたくさん話して、時間になると出発する車を手を大きく振って見送る。

田舎の小学生なんてそんなものだ。

色紙を渡したり、プレゼントを渡したりして、転校する子は笑顔で去っていく。


でも、私の時は違った。


私は、クラスに仲のいい友達は数人いたけれど、大半は私のことを嫌っていたと思う。

寄せ書きには、文字より空白が目立つ。

男子はみんなに平等だから、短くてもちゃんと書いてくれるけど、女子は私のことを嫌いな子は書かない。

それで空白が生まれるのだ。


班ごとにわけられた寄せ書きには、仲の良かった子が書いて、あとは男子がちょこちょこ書いて、あとは空白。

それを6班分受け取る。


私の時は、実際に集まってくれた人も、仲のいい子たち数人と近所の男子だけだった。

この人数で、どれくらい人気者だったかが明白になる、恐ろしい儀式なのだ。


親は子供のこういう思い出をいつまでも取っておきたがる。

実家でまた、その切なさを突きつけられた私は、もらった似顔絵や寄せ書きを全て捨てた。


その中に書いてくれた仲の良かった子も、今は誰1人として連絡がつかない。


小学生の6年間はとんでもなく長く感じる。

その長い月日を一緒に暮らして、よく遊んだりしていたのに、離れるとなるとその程度だった。



転校先で友達はできたが、1年後にまた転校することになった。

この時は中学生だったのでさすがに寄せ書きなんてなかったし、入学して1年も経ってなかったので、他のクラスの人は私のことを知らない人も多かった。


その後、私は友達の作り方を忘れてしまい、本当に話の合う人としか話せなくなった。


クラスの大半に「早くいなくなれ」と思われてたなんて、ゾッとする。


転勤族は各地に友達がいるから、友達が多そうなイメージがあり、実際他の子はそうかもしれないが、私は今、友達と呼べる人は親友1人しかいない。




少し恥ずかしいことだけど、私は「ありがとう」と「ごめんね」を言うのが苦手だ。

それは、親密な中であるほど苦手だ。

友達や親友だったら言えるのだけど、夫を含めて家族になると言えない。

親族なら言える。

近い人ほど言えない。


なぜかはわからない。

なぜかはわからないけれど、私の両親からも、一度もその言葉たちを聞いたことはない。


去年1年間、両親と一緒に暮らして顕著になった。

この人たちは感謝と謝罪をしない。

それが嫌だなと思ったので、私はきちんと言えるように努力し始めた。


1番は夫に対して。

一般的に見るとかなり少ないと思うけど、私の中ではずっと15年言えなかった言葉を口にし始めたのである。

自分では、かなり頑張っていると思っていた。


でも、それは夫に伝わっていなかったようだ。


私の両親は「ありがとう」と「ごめんね」を言わない、という話題になった時、

「唁も言わないよね」と一言、言われた。


ここ1年余りは頑張って言っていたのに、伝わっていなかった。

努力しないと出ない言葉を絞り出していたのに、伝わらないのでは、やっぱり言う意味なんてないと思った。



昨日、コーヒーを淹れてもらった。

我が家のコーヒーマシンは夫にしか扱えないので、コーヒーが飲みたい時には淹れてもらう必要がある。

それを受け取った時、たまたま口から「ありがとう」が出なかった。


「ほら、言わんと」


夫は幼い子供をしつけるように、私に「ありがとう」の催促をした。


「…ありがとう…」

「言えたじゃん」


これだ。

この余計な一言が、私を殻に閉じ込めたのだ。


「ほら、ありがとうは?」

「ちゃんと言えたね、えらいね!」


そんな子供にかけるような言葉を、年上である私に向かって発したのだ。


普段、ADHDの夫には、普通の人が普通にできることができないといった事例が数多くある。

私にはできないことが理解できないので、初めのうちは

「どうしてわからないの?」と言ってしまっていた。


ADHDの人には、どうしてわからないのかがわからないので、そういう言い方はNGなのだ。

少しずつ学んで、そういう言い方はしないようにしてきた。


それを去年、私の両親が隙間なくぶつけたものだから、夫の心もズタボロだったはずだ。

実家を出られてよかったね。


次の問題は私。

2人きりになったのだから、「ありがとう」が言えない私だけが悪者だ。


夫は自分ができないことを棚に上げて、私が「ありがとう」を言えないことについてとても意地悪な攻め方をしてきた。


「そういうとこだよ」


私からすると、【わかってる】。

わかってるから治そうと努力してきた結果が、今なのだ。

0だった「ありがとう」が1日1回に増えただけでは、満足いかないか。



私らHSPという性質上、

「あ、この人今私がありがとうって言うか言わないか実験するためにコーヒーを淹れてる」というようや予測は簡単にできる。

そう思ってるんだろうなーと思いながら「ありがとう」って言うのは、言われた方は嬉しいだろうか。


「言え」「言え」と催促されて言われた「ごめんね」に、本当の謝罪の心が入っているだろうか。



そんな実験をされているのを知ったら、もうなにもしてもらいたくなくなる。

コーヒーだって自分でインスタントを淹れるし、ご飯だって自分で作れる。

運転だってできるし、掃除だって自分でできる。

「ありがとう」を言わなければいけない環境をできるだけ排除したくなった。



と同時に、これを書いているのは眠れない3:30なのだけど、夫は寝ていて、明日になったらケロッとしているかと思うとやってられないと思う。

夫が今、私に「ありがとう」を求めていないか、それを気にしながら会話をしていたら、一生笑えないと思う。


ADHDの自分がどうしてもできないことは、協力してやっているのに、そんなことすっかり忘れているのだろう。

ADHDは許されてHSPは許されないなんてことは、あってはいけない。


心理学なんて勉強する意味がないと豪語しているが、夫のような人の気持ちを察することができない人は勉強したほうがいいと思う。


夜寝る前にも私は気持ちが真っ暗だったので、返事は頷くことしかしていなかったのだけど、夫は陽気に話しかけてくるし、オナラをして笑っているし、人間性を疑ってしまった。



『唁も言わないよね』という一言をどうして口にしたのだろう。

これがなければ、夫が

「唁は今日も言わないなー」と思っていようが、レアな「ありがとう」が出た日は喜ばしいのではないだろうか。

「ありがとう」と言うまで離さないみたいなやり方は、とても汚いし、こちらのストレスにしかならない。

言える時と言えない時があるのだ。

給食を食べるのが遅いからといって5時間目まで食べさせられているようなものだ。



元々口数の少ない私はさらに口を閉ざすだろう。