こんにちは!
最近目の焦点が合いづらい良玄です(>_<)
そんな話を同級生としていたら
それ老眼始まってるよ
とのこと…
今年が本厄の満41歳
よく先輩方がおっしゃっていたことが
自分の身にもやはり来たのかも
眼球を鍛えるトレーニングとかあるのでしょうか
メガネ二本持ちの日も近いかも
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さてそんな今回のテーマは
坐禅の工夫
(座禅のポイント)
です
前回の記事で坐禅の仕方を書いたので
今回はその坐禅をする上で大切な心構えを
紹介したいと思います
そもそも「工夫」も実は禅の言葉で
修行に専念すること
といった意味があります
要するに
一般的な創意工夫の意味とは少し違い
一心に坐禅に取り組むこと
がそのまま工夫であるわけです
そのため座禅のポイントはずばり
余分なことを考えずに
ただ坐ること
であります
ただ坐るなんて簡単なこと
に思われがちですが
実はこれがなかなか難しい
何も考えようにしよう!
と思うと
何か考えてしまうのが人の性
ではないでしょうか
それに加えて
坐禅をすると集中力が上がる
坐禅を続ければストレスが軽減する
などなど
何かを求めて行う坐禅も
実は坐禅とは言えません
坐禅は何か目的を持って行うのではなく
まず坐ってみて
後からスッキリしたことに気づく
というのが坐禅のご利益でもあります
要するに
ご利益を先に求めるのではなく
後から付いてくるイメージです
そのため例え求めた結果が得られなくとも
不平不満を言ってはいけません
あくまで結果は後から得られるもので
坐ることに大きな意味がある
それを踏まえて行うことが
実は坐禅をする上での
とても重要なポイントなのです
よく言われる
坐禅とマインドフルネスの違い
も実はここにあります
マインドフルネスは手法なので
ストレス軽減のためであったり
集中力の向上であったり
幸せに生きるためであったりと
何かしら目的を持って坐ります
もちろんこれも大切で
マインドフルネスは確かに
これに対する効果はあります
けれども坐禅は
先に求めるということをせずに
後からやってくる結果を
そのまま全て受け止める
というイメージです
ですので
足が痛いし腰は痛いし
すごく疲れて逆にストレスを感じたとて
坐禅はそれもしっかりと受け入れるわけです
坐禅をしてストレスが増えては
元も子もないわけですが
ただ坐っていれば
自ずと心は落ち着いてきます
(お寺で行われている坐禅会の様子)
そして何より坐禅は
仏教という宗教なので
信じる心がとても大切です
その信じる心は何かと言えば
仏の心と書いて仏心であります
誰しも必ずこの仏心を持っている
それをまず大前提として信じて
仏の心を実現していくのが
坐禅の醍醐味であります
心から信じることができれば
必ず安らかな境地を得ることができます
だからこそ坐禅は間違いがなく
最強で最高の幸せになれるツールなわけです
一日一度は静かに坐って
身と呼吸と心を調えましょう
臨済宗妙心寺派の生活信条の先頭に
この言葉は書かれています
嘘をついたら胸が痛む
人を傷つけたら悪いなと思う
そして人を助けたらホッコリする
これはすべて仏の心があるからこそ
私たちが感じる素直な気持ちです
花を美しいと思う心も
人の幸せを願う心も
相手を妬んでしまう心だって
仏の心であります
大切なのは
その仏の心に正直になること
そのためにまずは
しっかりと自分の心を見つめること
妬んだり恨んだり怒ったり
できればそう言ったものは無くしたいもの
けれどもふとした時に
そういった負の感情は出てきてしまいます
そんな時こそ前回も紹介した
二念を継がない!
あの人がムカつくなと思ったら
その人を困らせようと思うのが二念
あの花が美しいなと感じたら
それを私が独占しようがダメな念
そういった二念を継がないように
坐禅がトレーニングとなり
日常生活でもそうならないよう
工夫できるようになるわけです
何かしら負の感情を抱いたときこそ
そうだ!坐禅しよう!!
であります
坐禅の時間を上手く利用することで
自分の心を見つめる習慣を身につけ
いつでもどこでも安らかに生きられるよう
仏の心を大切にしていきたいものです
そうすれば自ずと苦しくも楽しく
辛くとも何とかなるさの境地で
自分に正直に生きられるように思います
良玄合掌
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