『なぜ日本だけが成長できないのか』を読む | ロジカル現代文

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 森永卓郎著『なぜ日本だけが成長できないのか』(角川新書 2018)を読みましたので、その感想です。


 経済の本でこんな面白い本を読んだのは、初めてでした。
 昔も経済関係の本は読みましたが、これほど面白い本はまあありませんでした。

 日本人なら誰しもこれだけ長くつづく、トンネルの出口が見えない経済状況を前にして、いったいこれはどういうことなのかと考えない人間はいないのではないでしょうか。

 日本は先進国だから経済成長できないのだという話も聞きますが、G7では2倍3倍の成長をしている国がある中で、日本だけがマイナス成長だという話も聞きます。

 この30年の間に、世界経済は成長し先進国も経済成長しているなかで、なぜ日本だけが成長できなかったのか。この経済ミステリーの謎解き、犯人捜しをしているのが本書です。
 面白くないわけがないという本でした。

 この日本経済を転落させた主犯は誰かというと、小泉純一郎総理大臣と竹中平蔵金融担当大臣の二人だというのが森永氏の結論です。といきなり真犯人を明かしてしまいました。

 本来ミステリーの紹介で犯人を明かすネタバレは禁じ手ですが、じつはこのミステリーには最後に「大どんでん返し」がありますので、そちらのほうの種明かしはしないことにします。

 森永氏の推理によるこの大どんでん返しはじつに驚くべきことで、もしこれが真実であれば日本の国がひっくり返ってしまうような大スキャンダルであり、日本経済を地獄に引きずり込んだ真の原因です。

 このことは読者の皆さんが直接自分の目で確かめていただくとして、話を「真犯人」に戻します。


 小泉・竹中の二人がどのようにして日本経済を転落させていったのか。
 これを物語る森永氏の記述は、人気俳優のテレビドラマなどより100倍もおもしろいものです。

 さて風貌からして狐と狸の小泉・竹中の二人に、われわれはまんまと化かされてしまったわけで、今さらながら忌々しいかぎりです。

 まず森永氏は、日本経済がいかに落ち込んだかを世界との比較で示しています。

 〈日本経済が長期低迷していると、よく指摘される。確かに日本の統計だけをみていると、そう思えるだろう。しかし、世界との比較でみると、日本経済は低迷どころか、とてつもない転落をしているのだ。
 国連統計で、世界のGDP(国内総生産)に占める日本の比率(GDPシェア)をみると、1970年には6.2%だったが、その後上昇を続け、1995年には、17.5%に達した。世界経済の2割近くが日本だったのだ。ところが、その後、日本のGDPシェアは転落を続け、2010年には8.6%になり、2016年には6.5%となっている。つまり、この21年間で、日本のGDPシェアは、3分の1に落ち込んだのだ。逆に言えば、この21年、日本経済が世界並みの、つまり普通の経済成長をしていたら、我々の所得は3倍になっていたことになる。〉(p10)

 ここで指摘されていることは非常に重要で、この数字が事態の深刻さを物語っています。

 森永氏は日本経済の空洞化は三つの段階で進んだと考えています。

 〈日本経済の空洞化は、3段階で進んだことがわかる。第1段階は、1986年以降に、日本企業が海外生産比率を上げていく海外移転。第2段階は、1990年のバブル崩壊以降、日本企業の株式を外国資本が買いあさり、外国資本による株式保有増。そして第3段階が、日本企業そのものが二束三文で外国資本に叩き売られた不良債権処理だ。
 この3つは、それぞれ単独の現象のようにみえるかもしれないが、実は、この順序も含めて、大きなシナリオで結びついている。グローバル資本とその先棒をかつぐ構造改革派の日本人は、実に30年がかりで、日本経済を転落させていったのだ。〉(p15)

 この第3段階において、日本を外資に叩き売ったのが、例の狐と狸の二人だったのでした。歴史というのは不思議なもので、絶妙のタイミングでその役どころにぴったりの人間を登場させるものですね。


 小泉純一郎は、「自民党をぶっ壊す」という台詞とともにわたしの記憶には登場します。この台詞を聞いたときにわたしがまず感じたのは、「胡散臭いな」ということでした。

 自民党員のくせに、よくも利いた風な口がきけるもんだ、自民党が嫌ならさっさと党員をやめてみろ、と思ったものでした。


 小泉政権は自民党をぶっ壊すどころかその勢力を拡大しました。嘘ばっかりです。
 そして結局、小泉政権がやったことは、「日本国をぶっ壊す」ことだったのですから、ふざけています。


 当時わたしは理解していませんでしたが、このときの小泉純一郎の言葉の真意は、「自民党の主流派をぶっ壊す」ということであったようでした。そういう内輪の話にすぎないものを、「自民党をぶっ壊す」などと粋がっていただけでした。

 

 自身が保守傍流の党員であったからこういう怨念のような言葉になったのでしょうが、われわれの耳には自己矛盾した台詞にしか聞こえませんでした。

 「抵抗勢力」も記憶に残っている台詞でした。
 いまだにどんなメリットがあったのかよく分からない郵政民営化などということをさもさも大問題であるかのように取りあげ、反対者には「抵抗勢力」というレッテルを貼ったのでした。

 

 「構造改革」を唱え自らを「改革派」と称して、あたかも義は自分たちにあるかのように強弁しました。しかしその正体はアメリカ資本のお先棒担ぎ、にすぎなかったのでした。

 

 「小泉劇場」とも言われました。

 改革派対抵抗勢力の戦いは、「アンパンマン対バイキンマン」の戦いとして、国民にもてはやされたのでした。

 問題は民営化の中身ですが、民営化の是非の議論よりも国民は「小泉劇場」の観客にされていました。

 一週間ほど前、七月三十一日に日本郵政の社長が、かんぽ生命の不適切販売問題について会見し、謝罪しました。
 これにつては今後全契約の約3000万件について顧客に不利益が出ていないか調査するということですが、なんという無益なことをしているのかと呆れます。

 不適切販売が生じてしまうというのは、まさしく民営化のデメリット、弊害でしかありません。

 

 (後日、わたしは郵貯の預金200兆円の3分の1、70兆円がアメリカの債権に投資されていることを知りました。郵貯にある莫大な日本国民の預金にアメリカ資本が目をつけた、これが郵政民営化の本質でした。このお先棒を担いだのが小泉竹中だったのです。)

 また当時、「感動した」という台詞も有名になったものでした。
 貴花田関が怪我を押して優勝したときのものですが、「感動した」などというのは小学生相手に言うような礼をを欠いた台詞で、聞いていて不快感を覚えたものでした。


 そして2002年9月、小泉純一郎は日本を食いものにしようと待ち構えているアメリカのハゲタカの前で、アメリカの言いなりに「覚悟して不良債権処理を加速」すると、薄ら笑いをうかべながら得々と宣言したのでした。

 〈小泉首相は、日本の国会や国民に不良債権処理の方針を説明するまえに、米国の新自由主義者たちに、抜本的な不良債権処理の断行を宣言したのだ。誰がどう考えても「問題企業」を米国に生贄として差し出すという宣言だったのだ。〉(p49)

 ハゲタカにしてみれば、鴨が葱をしょってのこのこと出てきてくれたわけで、この光景をあの世で見ていた太平洋戦争の英霊たちは、歯軋りしてこの男を「売国奴」と罵っていたことでしょう。

 今年の十月には消費税が8%から10%に増税され、その税収は25兆円ほどになるようです。一方、企業の法人税は減税されていて、その減税分を消費税が埋め合わせる形になっています。
 大企業の収益は以前の2倍に増え、そして株式の配当は以前の5倍に増えていますが、これがごっそりアメリカのハゲタカに貢がれるわけです。

 日本人がいくら「カローシ」するほど働いても、マイナス成長しかできない理由がここにあります。


 小泉政権のおかげで非正規雇用が拡大し、労働人口の4割を占めるという異様な事態になっています。現在われわれ一般庶民が苦しめられているわけですが、その苦しめられている庶民に一番人気のあった総理大臣が小泉であるということに、歴史というものの恐ろしさを感じて背筋が寒くなります。


 
 このとき問題となった「不良債権」の実体とは何だったのでしょうか。

 〈バブルのピークとなった1991年の商業地の市街地価格指数は、195.5(2000年=100)だった。それが、2005年には60.6まで下がっている。14年間で、実に69%の値下がりだ。担保の掛け目を8割とすると、1991年に100億円借りるためには、企業は125億円の担保不動産を差し出さなければならなかった。ところが、その不動産が69%値下がりすると、担保不動産の価値は39億円しかなくなる。企業が借りている借金は100億円、担保不動産の価値は39億円で、差し引き61億円の担保不足が生じる。これが「不良債権」と呼ばれるものの正体なのだ。〉(p37)

 これについて、さらに重要な指摘を森永氏はしている。「逆バブル」です。

 〈1985年3月、商業地の市街地価格指数は、108.1だった。バブル発生前の地価だから、これが平時の地価だと言ってよいだろう。これが1991年には、195.5まで上昇した。バブルの発生で2倍近くに上昇したのだ。ところが、バブルが崩壊して、地価は、元の108.1に戻ったのではない。例えば、2005年には60.6まで下がっている。これは平時よりも44%も低い地価だ。こうなるとバブルのピークに借金をした企業だけでなく、平時に借金をした企業も、担保割れを起こす。日本中が、不良債権だらけになってしまうのだ。その意味で、バブル崩壊が明らかになっていたにもかかわらず、わざわざ逆バブルを発生させるように、総量規制に踏み切った大蔵省と、強烈な量的金融引き締めを続けた日本銀行は、やはり日本経済たたき売りの主犯と言ってもよいだろう。〉(p38)

 ここにもお膳立てをした犯人がいました。「大蔵省(現財務省)」と「日本銀行」ですね。

 こういう状況を認識していたため、森永氏は不良債権処理など急ぐ必要は全然ないということを当時から主張していました。

 〈2005年の地価は、平時の1985年の水準を大きく下回っている。これが逆バブルで、不当に安い地価がついていたのだ。(中略)バブルが必ずはじけるのと同様に、逆バブルも必ずはじける。だから不良債権処理のような余計なことをせずに静観していれば、少なくとも逆バブルによって発生した不良債権は、時が経てば雲散霧消してしまうのだ。
 だから、私は不良債権のことは気にせず、銀行は融資を続けろとずっと主張していた。(中略)その代わりに、デフレを止めて、地価を本来の水準に戻すことが優先されるべきだと、私は言い続けたのだ。〉(p38)

 このときに限らず、日銀というのは肝心なときに決まって失敗ばかりやっていますね。
 財務省にしても、まるっきり財政の改善になっていない消費税の増税をやっていますし、今またそうですが。


 ところで小泉政権の2004年、奇妙な事件が起こっていました。
 当時WBS(ワールドビジネスサテライト)という経済番組のコメンテーターをしていた植草一秀氏の「痴漢事件」です。

 この事件はテレビで大きく報じられ、わたしもニュースで知って驚きましたが、当時はわたしもただたんに興味本位でみているだけでした。
 しかし、今から振り返ってみると、これはそうとう奇怪な事件だったと思わずにはいられません。

 以下、Wikipedia の引用です。

 〈2004年(平成16年)4月8日午後3時頃、早稲田大学大学院教授の職にあった植草は、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして鉄道警察隊員に東京都迷惑防止条例違反(粗暴行為の禁止)の容疑で現行犯逮捕された。植草は逮捕直後に容疑事実を認め、謝罪したものの、その後「手鏡は持っていましたが、覗いていません」と否認に転じた。本人のブログによると、捜査段階では一貫して品川駅エスカレーターの防犯カメラ映像の記録を確認することを求めたが、その映像は既に廃棄されていたという。
 2004年(平成16年)6月17日、初公判が東京地裁で開かれた。植草は「起訴事実は真実ではございません。この法廷の正義に誓って無罪、潔白です」と全面的に争う姿勢を示した。一方、検察側の冒頭陳述によると、植草の自家用車の中から女子高生の制服のような服装をした女性が写ったインスタント写真やデジタルカメラ画像が約500枚見つかり、また植草の携帯電話からも同様の画像が見つかったという。同年8月30日、植草は霞ヶ関で記者会見し、「手鏡はテレビ出演時に身だしなみを確認するため持っていただけです。天地神明に誓って潔白」だと改めて身の潔白を主張。一旦は容疑を認めたことについては、そうすれば情状酌量が得られるという警察からの強い提案があったからだ、と語った。2005年(平成17年)2月21日、検察側は植草に懲役4ヶ月、手鏡1枚没収を求刑、弁護側は改めて無罪を主張し、裁判は結審した。〉

 この事件の奇怪さは、まず被害者が被害を受けたとして訴えてもいないのに逮捕されているという点にあります。

 つぎに、その逮捕が「現行犯逮捕」であったという点です。駅の雑踏の中で現行犯逮捕するためには、特別に目をつけていなければなりません。つまり尾行している必要がありますが、なぜ尾行していたのかがかなり怪しい。

 さらに、「現行犯」としていかなる犯行を行っていたのか。
 「女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとした」ということですが、こんなことが現行犯になるのか、驚きです。これが痴漢になるのなら、エスカレーターを下から見上げて、たまたま短いスカートの中が見えたら現行犯で逮捕されてしまいます。


 デジカメかスマホで撮った写真が残っているというのなら、現行犯ともいえるでしょうが、「手鏡で覗いた」ということを誰が証明できるのでしょうか。逮捕した「鉄道警察隊」の証言しかありません。
 防犯カメラの映像が廃棄されていたというのも、十分怪しい。

 また、「自白」の件も、「そうすれば情状酌量が得られるという警察からの強い提案があったからだ」というのはその通りだったと思われます。これが「鉄道警察隊」のやり方であり、自白させてしまえば思うつぼだからです。
 まして、どういう訳か「尾行」していた「鉄道警察隊」ですから、弱味につけ込んでそうするに決まっています。

 この事件の当時、わたしは植草氏の書かれた文章を読んでいて、非常に優秀な学者であることは知っていました。
 WBSのコメンテーター数人の意見を集めた本が出版されていて、たまたまそれを買って読んだのですが、その中で唯一記憶に残っていたのが、植草氏の文章で、そこで氏は○年○月、景気は回復すると日付の数字を出して予測していました。後の経済統計の発表でその予測された日付がぴたり合っていたので驚いたことを覚えています。

 経済学者の経済予測ほどあてにならないものはありません。当たるも八卦、当たらぬも八卦程度のもので、当たった試しがないと知っていたからです。

 これを的中させるのは相当優秀な人だと思いました。

 最近この事件のことを思い出すたび、何か裏があったのだろうと考えていました。
 当時はわたしも分かっていなかったのですが、植草氏が竹中平蔵金融担当大臣の「論敵」であったということを知って、わたしの疑いは確信に変わりました。

 つまり、植草氏は「はめられた」のでした。
 裏で糸を引いていたのは狐か狸か、あるいは禿鷹の差し金かも知れません。

 さて、本書の最後には「大どんでん返し」があるのですが、そこで暴露されているある重大事件の真相にくらべれば、この植草氏の事件の裏程度のことは、当然あってもおかしくないものだとわたしには思われます。

 重大事件というのはじつは「日航123便墜落事件」のことですが、この事件に関する森永氏の推理は正しいのではないか、残念ながら正しいのではないかとわたしには思われます。
 ここで氏が引いた一本の「補助線」は、この三、四十年の日米関係、対米従属関係のあり方をじつにくっきりと照らし出すものであり、わたしなどにも十分腑に落ちるものだからです。


 読者の皆さん、ぜひ本書を読んで、この大どんでん返しを確認してみてください。
 今年の夏ももうあと数日で、その重大事件の発生した日がやってきます。