先日、ノーベル賞の発表があり、
日本出身の方々が立て続けに受賞されましたね。
いやはや素晴らしい!
ニュースでは、受賞者の方々の
「国籍」 「受賞のベースは何処か(日本or米国)」 「帰属意識」
などに重きを置いてましたね。
つまり、代えるところの 「国籍」 「民族」 「アイデンティティー」でしょうか。
ま、小難しい研究内容を説明されても視聴者はチャンネル変えてしまいますからね。。
”この事”を機に、二重国籍の是非についての論議が再燃しているそうです。
私の友人にも、成人後の国籍選択を迫られた”ダブル”(世間的には”ハーフ”ですね)
の友人がいるのですが、
苦悩はなかったものの、
かなりの苦痛だったとは言ってました。
表記上とは言え、見慣れてきたものが消えてしまうわけですからね。
日本で二重国籍が採用されたら、
<”均質性”>に拠り所を求める人々が多いですので、
色んな意味で作用・副作用が大きいなぁ、と思います。
話は逸れますが、
例えば私のような人間は、
(複数の言語・文化に触れている人間とでも定義出来ましょうか。)
日本では<ボーダレス>と表現したりしますが、
韓国では<境界人>(境目に存している人間) と表現されるようです。
なんとも、お国柄が出ますね。。。
(私にとってはどちらでも変わりはありませんが・・・)
現時点での個人的な感覚ですが、
曖昧さや、ファジーな感覚でバランスを取ってきた日本において、
2重国籍なる可視的な要素を取り入れることは、
決して消極的な歩みではないように思います。
by 張