劇想からまわりえっちゃん ブルー『もう一度、僕を孕んで』を観てきました。 | 劇団「無題」公式ブログ

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稽古の様子だったり、団員紹介だったり・・。

おはようございます、こんにちわ、こんばんわ、お疲れ様です。

 

小林です。観劇してきました。観劇ブログを書くのは7月ぶり…随分間が空きました。

 

今回は私の敬愛する団体の公演です。

劇想からまわりえっちゃん ブルー『もう一度、僕を孕んで』

 

あらすじ

家族に、肌が触れる。
主人公の鈴木剛士は、祖母の危篤の知らせを受け久々の帰省。
家族という坩堝は千差万別。それぞれに匂いがあり、鈴木家のそれは剛士にとってどうも臭う。
死を待つ祖母、寡黙の母、婿養子の父、遺産目当ての叔父、発情期の犬、偽善者の弟。
嫌いだ!
お腹の音がぐぅと響くリビングで、こいつらも生きているのだと思い知らされる。

 

 

人はね、人間はね、自分を見るのが不愉快なのよ。

もっと根源的に陰陽とか+-ぐらいハッキリと反発し合う習性を持つ故の恐ろしく暗い共感性。

毎度、えっちゃんの中に明確に並行同位体の自分を見つけてしまうから恐ろしい。

もちろん、作品は面白かった。

観劇前にゴジラ-1.0を観てきたのですが、「家族」がメインである作品を連続して観ると、片や大仰で、片や重く… 

主人公、友人2人の「お前らと居る時が落ち着く」は1人が持つ側面や憧れが

3分割されているからこそのシンパシーに思えてならなかった。

 

潜在的なマザコンについての解説は劇中のシャアで事足りてるのでそれは良いか。

と同時に母もまた女だからこそ義父は妻だけを愛しているのだ。他は「家族だから」

義父も義父で別に女だからと態度を変えないのも結構ポイントだったなぁ、と。

良く思っていない“義理の息子”の彼女だからが1回しかない絡みで出すし、出せているのは業が深い。

自縛をする母もまた…というか玉一さん、今が一番美しい。凄く綺麗だった。パジャマのゴワっと具合も良くて。

 

役者同士の接触が多いと観てる側はなまじ人間な分、想起する。

実に効果的に働いていた。風呂に向かえば、喘ぎ声を出せば、直接触れれば、犬が踊れば…

ダンス以外で運動量を心配になるのは初めてだった…そんな今作のダンスも運動量と歌詞のセンスが炸裂でした。

 

主役の1人とも言えるシャルロット。「祝儀の礼には及ばない」と同じ方なのは驚いたが。

ベッド上での踊りも、事前にUPされていたダンス動画で(奥で何故寝てるんだ?)と思ったらこういう事か、と

怪演と思ったのはジュニアを演じた桑田佳澄さんかなぁ…アレは、何だ?

人犬も狂人伯父も普通に見える特異さは凄い。本当に『そうとしか見えない』な方だなぁ、凄い

 

そして最後。邪悪なハーレム玉に呑まれて満足げな醜い諸星あたるの様な主役。

ハーレム物って、主役が羨ましそうじゃ無いほどに面白いと思うのです。

邪悪すぎてハーレムが霞んで吹き飛びました。で、賢者タイムかの様な「ママ」の引き…

余韻に浸る間もなく客への配慮かのようなカーテンコールへ。化かされたかのような時間…

 
縦軸である「祖母の危篤」は、この年になると限りなく、あの一家と気持ちは同じだな、と。
この点だけで急に笑えず、回想し、蘇る己の中の『お気持ち』。
これにより汗や唾や体液とは違う4D演劇をやらかしてる。
モラトリアムって言うのは側面の一つであって、全面がそうである人も居れば、そうでない人も居るし、無い人も居る。
全面がそうだった「死」や「葬式」についての感情も、年を重ね世間を知ることで薄れて離れて。
大人になるというよりは、全面だったものを取っ払ったり、割ったり、変えたりして、側面の一つにすことで
傷つく量をせいげんする。賢しいけれど、産まれた時から文明に囲まれた生活をする私たちにとって、
今の世界はあちもこっちもどっちも棘ばかりで、そりゃ武装の一つもしない事には、辛くてたまらない。
昔とは違うアプローチで大人にはなりやすい。なれているかは別の話だが。
 
嘘だろって事を毎度観せてくれる。久しぶりの観劇がえっちゃんで良かった。
さて、物販のシールをどこに貼ろうか…