ローリング・ストーンズ野郎の雑記 -72ページ目
ローリング・ストーンズ野郎の雑記

地下鉄と高架鉄道が交わるターミナル駅の午後7時。

いつからこんな様相になったのか、そんなに昔のことではないと思うのだけれども、日本でいうところの定期を忘れて小銭も持ち合わせてない時にアソーク駅、スクンビット駅に降り立った日には、もう地獄です。
長い行列に並んでオセロゲームのコマみたいなチケットを買ってようやくホームにたどりついても、電車の中も中央線なみのギューギュー詰め、一本、二本見送りも珍しくない。

・タイ人はカバンを持たない

などとエラそうなことを書いていたのもついこの前のような気がするのですが、今ではカバンを持ってない人のほうが珍しい。
ただ、バックパックを背負ったままの人も多いので、「混雑時には手に持つ」というマナーが確立されるのも、そう遠い未来のことではないのかも知れません。

そんな、都市生活者のライフスタイルの激変をおぼろげに感じ取っているところに、満員電車のドアの真ん前でゴルフのキャディバッグを抱えながらフンばり続け、温厚な国の人々からアカラサマに迷惑がられてた初老の男性一名。
ゴルフ料金コミコミ平均1,000バーツの時代のバンコクに置き去りにされてしまった、コリアンなのかな、日本人なのかな。
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昭和40年代の芸能情勢はほとんど知らないのですが、

・ナベプロ、ホリプロにあらずは芸能人にあらず

みたいな空気の中で、営業力が強大ではない芸能会社の歌手でも大手をふって出演できるように、と始まった歌番組というよりも情報番組だったんですよね?
ざっと、記憶に残ってるところでは、

・世良公則&ツイスト、7千人「宿無し」
・初出演松山千春の大演説で、遅れてやってきた山口百恵歌えず
・甲斐バンド、水割り片手中継
・松田聖子、「おか~さ~ん」
・松任谷由実、おそるべきミニスカ
・忌野清志郎と教授のキッス

と番組スタート後の数年、中森明菜がまだデビューする前のころなんですが、甲斐、ユーミン、清志郎の出演時エピソードは紹介されていません。
番組隆盛時の思い出話よりも、なぜ、番組が終わったかの回想に興味があったけれども、元号が平成に代わった1989年といえば、すでに歌謡曲、ニューミュージックはほとんど聴いてなかった自分を思い出しました。

↓次の帰国の時に、いちじるしく値崩れしていたら買ってしまうカモ。

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「女たち」デラックス・エディション、タイではまだ入荷されていないようです。

英国レコード・コレクター誌のカバーストーリーは、1978年から1979年にかけてのキース・リチャーズ。


ラーン・タイ。

と称するインターネット・ソースは星の数ほどあれど、今のところはモッド先生のユーチューブチャンネルがその最高峰にして決定盤。
「海老」も「貴女」も同じ「クン」になってしまうカタカナ発音連発でも、社交性の高いタイの人に、

「●●サンはタイ語うまいネ~ パサ・タイ・ケン・マー」

とヨイショされてマンザラでもなさそうなオジサンたちのタイ語も、モッド先生の動画レッスンでホンモノになること間違いナシ。
個人レッスンも一時間800バーツなり。

しいて注文をつけるなら、上の動画のBGMは柏原よしえチャンにしてほしかった。
しかし、現在は↓なフーなんですね…

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という具合で今度は「運命の人」がドラマ化されてますね。

日米政府間の密約暴露という英雄的行為を、下半身事情のダラシなさでフイにしたアラフォー男の名誉回復。
それが、小説とドラマの骨子なのかはまったく興味がないし、やはり、「白い巨塔」や「不毛地帯」と比べると、作品の世界観と登場人物のスケールダウンは否めません。

新聞人ギライだった時の総理大臣ニクシのあまり、ネタの横流しという最低最悪の手段に走り、情報ソースを守れなかった言論人に感情移入することはムツカシイ。
面白そうなのは、今なお政財界のドン気取りの昭和40年代の渡邉ナニガシをモデルにした大森南朋ぐらいかな。