ローリング・ストーンズ野郎の雑記 -168ページ目
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

2008年は甲斐バンド、2009年は中森明菜。

が今でもそういうのでしょうか?のマイブームでしたが、年が変わってもブームは続いています。
ユーチューブをフラフラしていたら、甲斐バンドの大名曲「メモリー・グラス」 を最初に歌った関西系アイドル有吉ジュン音源 が転がっていたので、はじめて聴いてみた。

ピンクレディーと同じ年にデビューしたという有吉ジュンの記憶がまったくないのは、やはり全国区ではなかったものなのか、芸能生活晩年には清純派がギトギト系に成長していたようです。

ちなみに「メモリー・グラス」のA面も甲斐作品の「ランデブー」。
僕がながいこと接してきた甲斐バンドの「メモグ」と「ランデ」は、今でいうところのセルフカバーだったんですね。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

Rolling Stone Charlie Watts Not A Beatles Fan (「ミラー」1月29日)

チャーリー・ワッツはマイルス・デイヴィスは好きだけれども、ビートルズとエルヴィス・プレスリーにはハマらなかった。

という、ローリング・ストーンズ淑女ストーンズ野郎であれば誰もが知っているイロハのイ的なエピソードがインターネット版「ミラー」に掲載されています。
また、記者がチャーリーにどんな質問をしたのかはわかりませんが、

「ローリング・ストーンズが分裂したとしても、べつにどうってことないよ」

というサラリ感もチャーリーらしいですね。

僕もビートルズにはドップリしなかったで、デジリマ盤もチビリチビリ買っていますが、アビーロードのB面↓はやっぱりイイですね。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

東京訪問団初日は、成田から内幸町のホテルに移動し、皇居や浅草を楽しんでるうちにアッというまに終わってしまったようですが、随行のタイ人通訳や受け入れ企業がシッカリしているので、僕までも獄門行きを心配する必要はなさそう。

しかし、それにしても、タイ人通訳の日本語ペラペラぶりには僕も面接時に腰を抜かしかけたし、タイ人特有の(と言っていいのか)モノオジしない図太さで、訪問団の方々ともあっというまに懇意になってしまったことには驚いた。

これが、最初に紹介された、タイ在住5年か何かの、自称日本を捨ててきたナンチャッテ通訳サンをそのまま使っていたら、今日の国際電話代も相当な金額になっていたところです。

上の動画は、タイ人通訳さんが東京に留学していた頃に大ヒットしていたという、「イノセント・ワールド」。
イノセントがヒットしていたころといえば、

「日本は猛暑でコメ不足にみまわれて、タイ米を輸入してたね」

などという話で盛り上がってしまったので、タイ人通訳サンはけっこういいオバサンのようです。
今年のバンコクの1月乾季は例年よりも雨が降ったけれど、2月はどうなるのかな。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

を筆頭に数々の迷言(名言)を発してきた、バンコクの日本人向け歓楽街の名士が不慮の事故で他界してから三ヶ月がたったころに、その名士のお店で僕が密談をかさねてきたジャパニーズビジネスマンの四年ぶり三度目のバンコクおつとめが決まった。

供養をかねて早速、名士のお店にいっしょに出かけたのだけれど、なんのかんので盛り上がってしまい、あっというまに営業終了時間の1時になっていた。
隣にいた、柴咲コウとはりあうほどのタイ人美人OLさんとは、その後の身の上話もろくにできないまま、新しい名刺を交換しただけで帰ってきました。

キッスイの日本人なのに業務上、英語名を使用する氏は、タイフルーツさん、ふぃんきらさんも面識のある人物なので、これから、いい話がたくさん出てくるようにしたいですね。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

のちに菊池桃子の愛読書としても有名になるサリンジャー著「ライ麦畑でつかえて」の存在を僕が初めて知ったのは昭和55年12月でした。

ジョン・レノンを狙撃し、犯行現場で取り押さえられた男が所持していた本が「The Catcher In The Rye」ということだった。

サリンジャーさん、最近はライ麦続編問題でメディアに名前がでることもありましたが、一昨日までは健在だったようです。

米作家J・D・サリンジャー氏、91歳で死去 (「ロイター」1月29日)ほか。


ローリング・ストーンズに関する雑記とその他