墨染 ('22.6.11)
墨染寺から直接は行けないが、すぐ南隣に欣浄寺(ごんじょうじ)という寺があり、こここそが、深草少将邸の跡だという。
おそらく架空の人物と思われる少将に、屋敷の跡地があるというのも不思議だ。
ただ、少将の恋に似たような、一途ながらも実らない恋を経験した人は多いだろう。
というか自分もそうだ。リアル深草少将だ。
そんな人々を象徴する存在として、深草少将の話をモチーフにしたゲームを作ろうと思い、その取材を兼ねて、少将の史跡(?)を訪ねようと思ったのだ。
しかし……。
門が閉まってて入れない。
本堂の拝観が予約制だという情報は得ていたが、庭園の写真が載っているブログがけっこうあるので、境内には入れるもんだと思っていた。
小野小町と深草少将の供養塔も、深草少将姿見の井戸も見えない。
池らしきものがわずかに見えた。
小野小町に門前払いさせられた深草少将に、門前払いさせられる始末。
まあそもそも予約制のお寺なんだから、入れなくて当然ではあるのだが。
良く解釈すれば、深草少将または、彼に似た失恋を経験した古人たちの念が、私を彼らと同じ目に遭わせないために、ここへ近づけないようにしたのかもしれない。
……今さら遠ざけられたところで、もう遅いんだけど。歳も歳だし。
(※ 後で調べたら、裏からだったら入れたみたいだけど、どのみち予約してないし、門が閉まってる所に裏から入っていいものかどうかも微妙)
もと来た道を戻って戻って、JR藤森駅まで、とぼとぼと歩く。
最後の上り坂がきつい。
駅に近づいたときに、ポコペンピンポコペンピンと、電車接近メロディーが鳴る。
嫌な予感がする。
JR藤森(ジェイアールふじのもり)
午後1時59分、JR藤森駅着。
案の定、1時59分発の電車があり、それを乗り逃がしていた。
2時15分発の城陽行きを待つ。
墨染の撞木町(しゅもくちょう)には、江戸時代頃、花街があったらしい。
(今は碑しか残っていないらしいので、立ち寄らなかったが)
大石内蔵助が山科に住んでいたとき、ここで遊んでいたとされる。
『東海道中膝栗毛』にも「爰(ここ)はすこしの遊所ありて」と記され、弥次さん喜多さんが、おしろいで顔を真っ白くした女の、強引な客引きを振り切っている。
悲恋によって命を落とした、深草少将の邸宅があったとされる場所のすぐ近くが、後に花街となっているのは、皮肉というか何というか。
まあ、後といっても九百年も後なんだけど。
ちなみに、弥次喜多はここから都に向かって北へ歩き、途中で「藤のもり」という所を通っているのだが、ここに稲荷山と稲荷の社がある。
「現在の伏見稲荷大社の場所でまつっていた舎人親王を藤森に遷座した」という藤森神社の伝説とあわせて考えると興味深い。
藤森という地名が移動したわけではないようだけど、遷座したという経緯から、江戸時代には稲荷のあたりを藤森ともよんでいたのか、それとも十返舎一九が勘違いしたのか。
京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第239回 アジサイと刀剣とモテない男子(JR藤森、墨染、醍醐)
・第238回 崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真(今出川、北野天満宮、北野白梅町、円町→京都)
・第237回以前
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