近江八幡('18.10.22)
日牟禮(ひむれ)八幡宮。
本殿の手前に独立した拝殿がある。
確か、長浜八幡宮もそうだった。
あと、拝殿じゃなくて舞殿だが、鎌倉の鶴岡八幡宮も似た配置だ。
右手には能舞台。
「日觸詣」(ひむれもうで)という演目があるそうだ。
拝殿と能舞台の手前に、菊が展示されている。
七五三で来るお子さんのために、拝殿にアンパンマンとばいきんまん。
この神社には、大きなお祭りが2つある。
4月の八幡まつりでは、巨大な松明(たいまつ)が作られ、そこに火がつけられる。
応神天皇が当地に行幸した際、松明を使って道案内したのが始まりと伝わる。
それが西暦275年の出来事というから、驚くほど昔の話だが(応神天皇は当社の祭神・誉田別尊(ほむだわけのみこと)のこと)、とにかく八幡まつりは、古くから当地で行なわれてきた。
絵馬舎に、八幡まつりの松明が展示されている。
その隣に展示されているのが、昨日、旧伴家住宅で見たのと同じ、3月の左義長まつりのダシ。
近江八幡の城下町は、豊臣秀次が八幡山城を築く際、安土から町ごと引っ越して形成された。
安土から来た人々は、元から当地で行なわれていた八幡まつりの荘厳さに驚き、これに対抗すべく、安土のお祭りをこちらでも行ない、やはり松明で作られた左義長を奉納するようになったそうだ。
絵馬舎に掲げられた絵馬の中に、「西村太郎右衛門安南渡海之図」と書かれたものがある。
これも昨日、市立資料館で解説文を見たが、西村太郎右衛門は江戸時代初期の近江商人。
安南(ベトナム)に渡って財を成したが、日本がいわゆる鎖国状態になり、帰国できなくなった。
太郎右衛門は絵師・菱川孫兵衛に依頼して、日牟禮八幡宮に絵馬を奉納した。
その絵馬は現存し、重要文化財となっている。
これがその絵馬かと一瞬思ったが、よく見ると、「紀元二千六百二年明治節」という文字がある。
1942年(昭和17年)に、太郎右衛門をたたえて描かれたもののようだ。
本殿に参拝。
日牟禮八幡宮は991年(正暦2年)に、宇佐八幡神を勧請して八幡宮となった。
神社自体の歴史はもっと古く、西暦131年、成務天皇が武内宿禰に命じて、地主神の大嶋大神をまつったのが始まりだという。
天満宮、秋葉神社、八坂神社、恵比須神社など、摂末社に参拝。
八幡宮を後にする。
日牟禮八幡宮
午後2時少し前。月曜だけど観光客が増えてきた。少し暑くなってきた。
八幡宮の外に、稲荷神社と琴平神社あり。
八幡まつりに奉納される太鼓を模したモニュメントあり。
稲荷神社の境内に、実物の太鼓が保管されているのが見えた。
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
・第221回 豊臣秀次と恋人の聖地(近江八幡)
・第220回 近江商人にあやかりたい(近江八幡)
・第219回以前
・安土、近江八幡(第218回~)
・彦根(第215回~第218回)
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