近江八幡('18.10.22)
引き続き、近江兄弟社メンターム資料館。
創業者ウィリアム・メレル・ヴォーリズの足跡がパネルで紹介されている。
ヴォーリズは1880年、アメリカ・カンザス州レブンワース出身。
1905年、滋賀県立商業高校(現・県立八幡商業高校)の英語教師として来日する。
放課後のバイブルクラスが人気だったが、2年で解職となる。
(本願寺別院があるくらい仏教の強い土地だったので、宗教対立があったそうだ)
しかしその後も近江八幡に留まり、1910年にいったん帰国したあと再来日。
ともに来日した建築家レスター・チェーピン、教え子の吉田悦蔵と3人で、「ヴォーリズ合名会社」を設立。建築設計監理を行なう。
この仕事の中で建築設備部品を輸入する機会が多く、ここで県立商業高校出身の、近江商人たちの知識が大いに役立つ。
やがて近江セールズ(現・近江兄弟社)の設立につながった。
故郷カンザス州でA.A.ハイドと親交を深めたことをきっかけに、ハイドが開発したメンソレータムを輸入。これが大当たりした。
メンソレータムを国内で生産する体制になった際、女工さんに働きながら学べる場を提供するため、女学校を開設。
以前から妻・一柳満喜子が行なっていた幼児教育と合わせ、後の近江兄弟社学園(現・ヴォーリズ学園)設立につながる。
ヴォーリズはまた、キリスト教の伝道や、医療活動にも力を注いだ。
第二次世界大戦勃発の少し前、日米関係が険悪になるが、ヴォーリズは日本に留まる道を選び、一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)の名で日本に帰化した。
そして1964年に亡くなるまで、近江八幡で活動した。
ヴォーリズが亡くなった後も、彼の遺した近江兄弟社とヴォーリズ学園は活動を続けている。
また彼が設計した、数々の建物が現存している。
(京都・東華菜館、大阪・大丸心斎橋店、神戸・旧居留地38番館、東京・山の上ホテルなど)
メンターム資料館を出て、白雲館で少しだけ休憩。
真向かいにある、日牟禮(ひむれ)八幡宮の鳥居をくぐる。
白雲橋を渡る。
八幡堀の眺めは今日も美しい。
右手に日牟禮八幡宮があるが、いったん通り過ぎる。
まず正面の山へ向かおう。
公園前
八幡山ロープウェーの公園前駅。
ロープウェーに乗って山頂を目指す。
なお、ゲーセン紀行としては、再びここに戻ってくるまでを番外編とする。
ロープウェーの往復運賃¥880をゲーム路銀から引いてしまうと、余裕がなくなってしまうので。
ただし、もしロープウェーの山頂駅にゲーム筐体があった場合、それをプレイしてもゲーム路銀への加算はない。
昔はたまにロープウェーの駅で、古いゲーム機を見かけたもんだけど、ここではどうか?
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
・第221回 豊臣秀次と恋人の聖地(近江八幡)
・第220回 近江商人にあやかりたい(近江八幡)
・第219回以前
・安土、近江八幡(第218回~)
・彦根(第215回~第218回)
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