ヴォーリズの足跡<221日目 豊臣秀次と恋人の聖地(2)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

近江八幡('18.10.22)

 

引き続き、近江兄弟社メンターム資料館。

 

創業者ウィリアム・メレル・ヴォーリズの足跡がパネルで紹介されている。
ヴォーリズは1880年、アメリカ・カンザス州レブンワース出身。
1905年、滋賀県立商業高校(現・県立八幡商業高校)の英語教師として来日する。
放課後のバイブルクラスが人気だったが、2年で解職となる。
(本願寺別院があるくらい仏教の強い土地だったので、宗教対立があったそうだ)

しかしその後も近江八幡に留まり、1910年にいったん帰国したあと再来日。
ともに来日した建築家レスター・チェーピン、教え子の吉田悦蔵と3人で、「ヴォーリズ合名会社」を設立。建築設計監理を行なう。

この仕事の中で建築設備部品を輸入する機会が多く、ここで県立商業高校出身の、近江商人たちの知識が大いに役立つ。
やがて近江セールズ(現・近江兄弟社)の設立につながった。

故郷カンザス州でA.A.ハイドと親交を深めたことをきっかけに、ハイドが開発したメンソレータムを輸入。これが大当たりした。

メンソレータムを国内で生産する体制になった際、女工さんに働きながら学べる場を提供するため、女学校を開設。
以前から妻・一柳満喜子が行なっていた幼児教育と合わせ、後の近江兄弟社学園(現・ヴォーリズ学園)設立につながる。

ヴォーリズはまた、キリスト教の伝道や、医療活動にも力を注いだ。

第二次世界大戦勃発の少し前、日米関係が険悪になるが、ヴォーリズは日本に留まる道を選び、一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)の名で日本に帰化した。
そして1964年に亡くなるまで、近江八幡で活動した。

ヴォーリズが亡くなった後も、彼の遺した近江兄弟社とヴォーリズ学園は活動を続けている。
また彼が設計した、数々の建物が現存している。
(京都・東華菜館、大阪・大丸心斎橋店、神戸・旧居留地38番館、東京・山の上ホテルなど)


近江兄弟社

 

メンターム資料館を出て、白雲館で少しだけ休憩。

 

真向かいにある、日牟禮(ひむれ)八幡宮の鳥居をくぐる。

 

白雲橋を渡る。
八幡堀の眺めは今日も美しい。

 

右手に日牟禮八幡宮があるが、いったん通り過ぎる。
まず正面の山へ向かおう。

 

公園前

 

八幡山ロープウェーの公園前駅。
ロープウェーに乗って山頂を目指す。

 

なお、ゲーセン紀行としては、再びここに戻ってくるまでを番外編とする。
ロープウェーの往復運賃¥880をゲーム路銀から引いてしまうと、余裕がなくなってしまうので。
ただし、もしロープウェーの山頂駅にゲーム筐体があった場合、それをプレイしてもゲーム路銀への加算はない。
昔はたまにロープウェーの駅で、古いゲーム機を見かけたもんだけど、ここではどうか?

 

近江八幡観光物産協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県)

JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

 

※旅のマップはこちら

 

※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第221回 豊臣秀次と恋人の聖地(近江八幡)
第220回 近江商人にあやかりたい(近江八幡)
第219回以前


安土、近江八幡(第218回~)
彦根(第215回~第218回)
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