尾張瀬戸('13.9.27)
引き続き、瀬戸蔵ミュージアム。
「瀬戸焼の歩み」コーナー。
猿投の須恵器から始まる各時代のやきものが、四方の壁を埋め尽くすように並んでいて圧巻。
大きな物は部屋中央のケースに。
時代ごとに、新たに登場したやきものの種類や技法などが、目立つ形で説明されていて、わかりやすい。
鎌倉時代から室町時代にかけての古瀬戸は、国産唯一の施釉陶器だった。
安土桃山時代には、窯場が瀬戸から美濃に移るが、尾張藩の誘致によって、また瀬戸に戻ってきた。
磁器の生産は、加藤民吉が九州に行く前から行なわれていたが、民吉の持ち帰った技術により、一層発展した。
なお、民吉が九州に妻子を残してきたという伝説があるが(新世紀工芸館の近くに、妻子をしのぶ親子地蔵があった)、これは全く事実ではなく、昭和になってから作られた舞台演劇の創作らしい。
さっきの駅やモロを上から見られる。
なぜか宇宙人がいたり、
駅の2階にモリゾーとキッコロがいたりする。(スーモのようにも見えるけど)
「瀬戸焼の歩み 近代編」の部屋へ。
明治時代の染付磁器や洋食器、人の背丈ほどもある大きな壺や灯篭がある。
碍子(がいし)やタイルなどの工業製品。鬼瓦。
日中戦争以降の、金属の代用品としての陶磁器も展示されていた。
ストーブ、鍋釜、仏具。金属の代用ではないが、陶製の鏡餅まであった。
硬貨も作られたが、世に出回らなかったそうだ(ここの展示品は貴重な現存品)。
最後は、人形や動物などのノベルティ。
第一次世界大戦後、ドイツからアメリカへの輸出が減ったこともあり、本格生産されて輸出された。
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※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちらへ。
第176回 窯垣の小径は本当に小径だった(三郷→尾張瀬戸)
第175回 陶磁器三昧の一日(陶磁資料館南→八草→瀬戸市、新瀬戸→三郷)
第174回以前