名古屋ブルックナー管弦楽団
セントラル愛知交響楽団はここでリハーサルを行なっていて後悔していますのでよく聴きに出かけましたが、それ以外ではあまり馴染みのないコンサートホールです。まあ、我が家からは車で30分程の距離ですから出かけるには不便はしません。今年も下記のようなスケジュールで後悔リハーサルが組まれています。
さて、今回も式には新田ゆりさんが登場です。日本シベリウス協会の会長も務めるシベリウスのスペシャリストです。その新田さんの指揮でシベリウスの最後の交響曲の第7番が演奏されました。もう曲は頭の中に入っているので暗譜での指揮です。シベリウスの交響曲はだんだん形式的要素は崩れて、この曲はもはや単一楽章として作曲されています。まあ、言ってみれシベリウスの特徴と言える交響詩の拡大版と言ってもいいでしょう。ただ、標題がないので交響曲として分類されているような気がします。
演奏する名古屋ブルックナー管弦楽団は名古屋大学の学生らのOBを中心としたオーケストラで構成されています。
交響曲第7番は単一楽章の交響曲です。曲はAdagio(序奏) - Vivacissimo - Adagio - Allegro molto moderato - Allegro moderato - Presto - Adagio - Largamente molto - Affettuosoで構成されています。
この曲は、単一楽章の中に伝統的な交響曲の各楽章の要素(緩徐楽章、スケルツォ、フィナーレ等)が巧みに内包されていて、曲の前半、中盤、終盤に現れる、神の啓示を想わせるトロンボーンソロの「提示」「展開」「再現」を柱としながら曲が進行していきます。
序奏部はアダージョで、ティンパニの響きの後、弦楽器によるゆったりとした上昇音階で音楽が始まり、木管楽器が静かにモチーフを提示します。その後弦楽器セクションが聖歌風に演奏します。最大 9 声部に分かれた弦楽器による、清廉な響きが織りなすこの部分はこの曲の最大の聴きどころの一つです。この後 1 回目のトロンボーンソロがハ長調で演奏され、管楽器が嘆くように演奏した後、木管楽器と弦楽器により冬眠から目覚めた小動物が動き出すような音楽が演奏され、徐々にテンポがあがり、ヴィヴァーチッシモとなります。
この部分はスケルツォに相当する部分で弦楽器と木管楽器がリズミカルかつ規則正しく動き、その動きを引き継いだ弦楽器が北欧の暗い海の波がうねるように演奏し始め、2 回目のトロンボーンソロがハ短調で演奏されます。他の金管楽器を伴い徐々に盛り上がりながらテンポを上げ、岩礁に最大の波が打ち寄せたようなクライマックスの後、波が散る中、海辺の生き物が逃げるよう
にテンポを上げ、アレグロの部分に入ります。アレグロではロンド風な主題が演奏されますが、この主題は先述しましたカルペラン宛の手紙
にあった「ヘレニック・ロンド」に相当する部分です。弦楽器の刻みに乗り、小動物や村人が踊るようなロンドもこの曲の聴き所といえます。
ロンドが急終止し、ヴィヴァーチェに移り木管楽器と弦楽器が掛け合い、曲冒頭の上昇音型がホルン等管楽器により演奏され盛り上がると、 3 回目のトロンボーンソロが今度は情熱的な弦楽器を伴い奏されます。低音楽器群の溶岩がなだれ込むような音型を伴い音楽が高揚し、管楽器が激しく吠えると、音楽は徐々に浄化されるように終結部に向かいます。静寂の空気の中でフルートとファゴットが冒頭の木管楽器のモチーフを繰り返し歌い、最後は全管弦楽により、曲は無限の世界に帰結するような余韻を残して終わります。
このオケはネットを最大限活用し、プログラムは配布されていません。全てQRコードを読み込んでのスマホ表示です。上の曲解説はそのネットにアップされていたシベリウスの交響曲第7番の解説です。
新田氏は得意なシベリウスですからオケに的確な指示を送りながらインテンポでぐいぐい曲を進めていきます。今回は2006年の前回の演奏よりオケの編成が大きく厚みのある響きでありながらシベリウスの透明感のある響きは感じることができました。
休憩後はメインプログラムのブルックナーの交響曲第7番です。個人的にはすっきりとした造形美で仕上げたシューリヒトの演奏が好きですが、今回の演奏もエッジを効かせたメリハリのある演奏となっていました。ただ、稲沢市民会館はステージと客席がほぼ水平のすり鉢状の構造のホールで、ブルックナーの上に広がる音の響きを感じることができず、音に包まれるという感覚を感じることができなかったのが残念です。下は2015年の愛知芸術センターのコンサートホールでの演奏の模様ですが、こちらの方が音の広がりを感じることができます。
コンマスとグータッチする新田氏