クイケン/音楽の捧げ物
曲目/
音楽の捧げもの BWV1079 [王の命令で曲-テーマ-とその他のものがカノンに解決せられた]
1) 3声のリチェルカーレ
2) 王の主題による無限カノン
王の主題による各種のカノン
3) 2声のカノン (蟹のカノン)
4) ヴァイオリンのための2声のカノン
5) 2声の反行カノン
6) 2声の反行の拡大カノン
7) 2声の1全音上昇カノン (螺旋カノン)
8) 6声のリチェルカーレ
尋ねよ、さらば見いださん (謎のカノン)
9) 2声のカノン
10) 4声のカノン
トリオ・ソナタ (フルート、ヴァイオリン、通奏低音)
11) 無限カノン (フルート、ヴァイオリン、通奏低音)
バルトルド・クイケン(フラウト・トラヴェルソ)
シギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン)
ヴィーラント・クイケン(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ロベール・コーネン(チェンバロ)
録音:1994/02/22-25 オランダ,ハーレム,ドープスヘヅィンデ教会
P:ジョン・ホーフェンマン
E:ニコラス・パーカー
DHM 05472 77307 2
J.S.バッハの曲の中で特殊作品として「フーガの技法」と共にひときわ光彩を放っているのが「音楽のささげもの」です。プロイセンのフリードリヒ大王に献呈されたことでも、よく知られています。演奏楽器の指定がないなど、この曲への興味は汲み尽くすことができないとまで言われている魅力にあふれた作品です。ここ数年の恒例なので今年も年越しはこの曲で新年を迎えました。今年選んだ演奏は日本を代表するフラウト・トラヴェルソ奏者の有田正広氏を中心とするグループのものです。オーケストラではなく室内楽での演奏ですし、フーガの技法と並んで対位法技術を駆使した深い味わいの曲なので、一音一音が明瞭に響いてバッハの意図した響きが目の前に溢れます。
フレードリッヒ大王の主題
一曲目の「3声のリチェルカーレ」では、チェンバロの独奏により、これから何が出てくるか、という期待感でいっぱいにさせてくれます。大王の主題は半音階的で非常に斬新なものです。如何にバッハといえどもこの主題で対位法を駆使した即興演奏は難しかったのでしょう。音楽の捧げものは何処か謎にみちた展開で、聴く方もまるでミステリー音楽を聴いているような錯覚を受ける事があります。この演奏はそういう解決しないストーリーを一章づつ解き明かしていく謎解きのような面白さがあります。このリチェルカーレ然りで、チェンバロのゆっくりとした調べが既にその謎を提示しています。
ピリオド楽器演奏開拓者として、ししてそれを志す人々の師として、今もなお精力的に活動を続けているクイケン三兄弟は、1974年にレオンハルトのリードのものでこの作品を録音していますが、本アルバムはそれから20年後の’94年、彼らと長年演奏を共にしてきたコーネンと自分たちが主体となって、心を新たに満を持して取り組んだものです。前作での発想の間違い(編成や解釈)を改め、数多い実演と透徹した研究から生み出された至高の名演を繰り広げています。現代のスタンダードといえる名盤です。
このディスク、1994年録音というクイケン三兄弟のバッハ「音楽の捧げもの」の再録音です。フィリップスに1974年録音のチェンバロはレオンハルトでした。盤の魅力は新旧ともにトリオ・ソナタのバルトルド・クイケンの笛にあります。チェンバロはクイケン兄弟と共演を繰り返してきた盟友ロベール・コーネンに替わり、学研肌のレオンハルトが持っていた硬さはより柔軟なものに変わりっています。何しろ20年の間を空けての再録音です。ここでの発売はドイツ・ハルモニアムンディになっていますが、実際には背オン・レーベルになされています。同年、やはりレオンハルトを中心に編まれていたブランデンブルク協奏曲も再録音されました。古楽器の精鋭を駆使した前回の録音が76、77年。こうして再構成、検証がはじまったのも代替わりと、また新しい奏者の登場で曲に新しい光が当てられていることにほかなりません。兄シギスヴァルトのヴァイオリンは1700年製のG・グラチーノ、長兄ヴィーラントのチェロは1570年製のA・アマーティを使用しています。そして、バルトルドの使用楽器はA・グレンザーのワンキー・モデルで高音の軽やかさがこうしたロココ風の音楽には最適のトラヴェルソと言えるだろう。
を
バッハは1747年5月7日にフリードリヒ大王のポツダムの宮殿訪ねます。そこでは息子カール・フィリップ・エマヌエルが出仕していていたのです。フリードリヒ大王は主題を与え、バッハは即興演奏でフーガに展開しました。英語のリサーチ(探索する)と語源を一にするリチェルカーレ、ここでは声部を模倣する主題が続き、フーガとほぼ同義語として使われますが、曲中、このリチェルカーレが冒頭の3声、そして6声のものと2曲登場し、トリオ・ソナタと並んで双璧となっています。一つの主題をさまざまな形に展開する。ゴールドベルク変奏曲、フーガの技法と並び壮観ですが、「音楽の捧げもの」と「フーガの技法」とは指定楽器の曖昧さ(盤選の分類では特殊作品ということになります)とで、ほぼすべての作品が実際に音化されることを前提としていたのに対し、扱いが難しくなっています。西欧音楽の奥の院、楽譜という思考の結果として存在すればよいかのようなところがあるのです。前述のリチェルカーレ、トリオソナタ(4楽章)に加え、登場するのが10のカノン。これが、主題の模倣にはじまり、解決譜という形をとり、展開の問題集といった体裁です。トリオソナタを中心に考えれば、当盤のクイケン兄弟にチェンバロといった演奏の形態はもっとも小さいものであり、チェンバロで登場するリチェルカーレから、カノンをも自在にあてる編成になています。
古くリヒター盤にはニコレのフルートがありました。トラヴェルソにはD管の残照があり、音域的にも極端な技巧が要求されています。そのため、フルートに要求されるものは大きく、その奏者の名前だけで盤を選ぶという選択もあり得ます。フリードリヒ大王がよくフルートを為したように、宮廷にも優れた奏者が揃っていたにしても、当時、これほど豊かな内容をもった音楽を示し得る人はバッハ以外にいませんでした。豊かなオブリガードのバス・ライン。ヴィーラント・クイケンのパートも、この編成ならではで動きはよく見えます。クイケン兄弟は、20年の過程を経て、これらの作品が音楽理論的な内容から、実際に実践性を持った作品というところから出発しています。それは、作品の再認識に他ならず、楽器の指定も、検証が重ねられ、そうした成果をも盛り込みました。硬さから音楽の呼吸。実際には、当盤のうちにはまだ硬さも残るのですが、再録音という検証はひじょうに真摯な態度で為された結果といえます。
この典雅な響きを聴いていると至福の時の流れを感じる事が出来ます。下の映像は2000年の彼らのライブ映像です。