橋口五葉のデザイン世界一夏目漱石本の装幀から 新板画へー」 | geezenstacの森

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橋口五葉のデザイン世界

夏目漱石本の装幀から新板画へー」

 

 

 本に関係する仕事をしている関係上、本の装幀には結構興味があります。そんな関係で今碧南市の藤井竜吉現代美術館で開催されている「橋口五葉のデザイン世界展」に出かけてきました。橋口五葉といえば、初期の夏目漱石の作品の装幀を担当したことぐらいは知っていました。でもそれ以上の詳しい事はほとんど知りませんでした。今回この展覧会のチラシを見つけ、そこに夏目漱石本の装幀から新版画へというサブタイトルがついていたので、興味を持った次第です。この碧南市へは同じ愛知県に住んでいながら、今まで1度も足を踏み入れたことがありませんでした。我が家からだと、愛知県の東の端にある豊橋市に出かけるのとほとんど時間的距離は一緒です。(^_^;)

 

 

 上が夏目漱石の「吾輩は猫である」の初版本の装丁です。この展覧会では旧字の装幀を使っています。初版は上、中、下と三部に分けて出版されていました。元々は上だけの内容で雑誌の「ホトトギス」に連載されていたものです。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたのだが、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで連載は継続しましたた。上、1905年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊が発行されたのです。『吾輩ハ猫デアル』は、装幀デザインの世界でも名作といわれています。漱石の「美しい本を作りたい」という意向を受け、趣向を凝らして作られた上編は、五葉の装幀家としての記念すべきデビュー作です。表紙の上部には魔よけの金箔、いわゆる「天金」が施されたほか、アンカットによる装幀のため、ペーパーナイフを使いながら読み進める必要があり、発売当時は不良品として返品された事例もあったようです。はじめは1巻で完結する予定であったためか、扉には上編の文字が見当たりません。
 

 上編の爆発的なヒットを受けて、中編と下編の追加刊行が決まりました。撫子の前に鎮座する猫とその両側に細い線でタイトルがレタリングされた中編の表紙を見た漱石は「落ち着きがある」と感じ、上編よりも高い評価を与えています。3冊の中ではこの中編のジャケットだけが紺地の紙に白で印刷されており、特に際立っています。また、下編のジャケットには猫とタンポポが描かれ、表紙にも円の中に猫が登場します。しかもその猫には、箔押し加工が施されています。3冊のジャケット、表紙、背表紙、扉、奥付それぞれが異なった意匠にもかかわらず、全体の統一感を意識したデザインに仕上げています。
3冊ともに変わらないのは、裏表紙に空押しされた漱石の文字です。しかし、この文字も円形にデザインされていて、細部に至るまで五葉の神経が行き渡っているのがわかります。

 

 

 

 

 

 

坊ちゃんは中編で最初は(単行本)の『鶉籠』に所収されています

 

 

 この橋口五葉は1881(明治14)年、鹿児島市に生まれています。1899(明治 32)年に上京、当初日本画家の橋本雅邦に人門しますが、同郷の黒田清輝の勧めで洋画に転じ、白馬会洋画研究所を経て翌年東京美術学校に入学します。長兄の貢は九州時代に夏目漱石の教え子であった関係から、その兄を介して夏目漱石と知り合い、「吾輩ハ猫デアル」の装禎を手がけることとなります。その後も日本近代文学を代表する作家の装禎を次々と手がけます。1907(明治40) 年東京勧業博覧会に油彩画による屏風絵《孔雀と印度女》を出品し二等賞、第一回文展に《羽衣》が入選。そして1911(明治44)年には三越呉服店の懸賞に応募し《此美人》が一等に選ばれます。その後、自身の浮世絵研究に基づき新板画の制作に取り組み、《髪梳ける女》などの傑作を生み出した。1921(大正10)年41歳で病没。装幀に見られる職人との協業や素材へのこだわり、画面を花々や小動物のモチーフで埋め尽くす華やかな装飾性は、その後の絵画や版画の仕事にも息づいていきます。同時代のヨーロッパの美術潮流であるアール・ヌーヴォーと、琳派や浮世絵などの日本の伝統。それらが、五葉の美意識のもとに融合し、唯一無二の作品世界を生み出しているのです。この展覧会では50点以上の装丁本が展示されています。


 装幀に見られる職人との協業や素材へのこだわり、画面を花々や小動物のモチーフで埋め尽くす華やかな装飾性は、その後の絵画や版画の仕事にも息づいていきます。同時代のヨーロッパの美術潮流であるアール・ヌーヴォーと、琳派や浮世絵などの日本の伝統。それらが、五葉の美意識のもとに融合し、唯一無二の作品世界を生み出しているのです。

 

 展覧会構成5章で構成されています。


第1章 『吾輩ハ猫デアル』
 夏目漱石は小説家としての出発点である『吾輩ハ猫デアル』を世に出すにあたり、美しい本を出したいとの願いを持っていました。五葉はこれまでになかった装幀でこの願いにこたえ、今でも日本の近代装幀史に大きな足跡を残す名作が誕生しました。

 

泉鏡花著作の装丁 

浮草-ツネゲーネフの装丁 1908



第2章 五葉と漱石
 五葉と漱石の交流は俳句雑誌『ホトトギス』から始まります。『ホトトギス』に新風を吹き込んだ五葉の挿絵の数々、さらに漱石との関わりから生まれた装幀の数々をご紹介します。青磁を思わせる色合いの表紙に鉄線の模様が浮かぶ『鶉籠』、表紙に漆塗りを施した『草合』から、スエードが装幀に用いられている『行人』まで、五葉が手掛けた漱石本が一堂に会します。

 



 

第3章 五葉装幀の世界
 五葉はブックデザインという言葉もまだない時代に先駆的な仕事を残しています。今見ても新しい、華やかなデザインで包まれた泉鏡花の著作の数々。表紙や見返しだけでなく、本文にまで装飾が施された『浮草』。本を立体としてとらえた五葉の装幀は、手のひらに収まる小さな世界に美しさが凝縮されたものとなっています。




 

第4章 五葉の画業
 鹿児島で日本画を、さらに東京美術学校で西洋画を学んだ五葉は、それらを吸収して新たな表現を追究していきます。油彩で描かれた衝立形式の《孔雀と印度女》や、装飾的な花鳥イメージあふれる《黄薔薇》などの絵画作品はそうした探求の成果が結実したものです。
石販を三十五度刷り重ねた非常に贅沢なポスター《此美人》、絵葉書や雑誌といったグラフィックの数々からは、五葉の華やかなデザインの世界が浮かび上がってきます。

 



此美人 1911

孔雀と印度女 1907

 

第5章 新板画へ
五葉は自ら浮世絵の研究を重ね、さらに九州・耶馬渓への旅を契機に自ら版画を手掛けることとなります。生前制作された作品は13点と僅かながら、今でも美しい輝きを放っています。スティーヴ・ジョブズも愛したと言われる珠玉の作品の数々をご紹介します。

 

髪梳ける女 1920

化粧の女 1918

 

黄薔薇 1912

 

 

橋口五葉(はしぐち・ごよう、1881-1921)

 

 

 会場では五葉のデザインの用紙とともにスタンプが用意されていてもらえます。

 

 

 また、ブックカバーも用意されていて、こちらも好きなものを一枚もらう事が出来ます。「吾輩は猫である」をいただきました。これ、図録のサイズで出来ていますから当然図録を買えという事なんでしょうなぁ。裏面は双六になっています。

 

 

 この展覧会8月31日まで開催されています。この碧南市藤井達吉現代美術館の真向かいに「ここのえみりん」の千夜区営カフェがあり、そこで「五葉のモダンデザインぷりん」を提供しています。