ルイ・ド・フロマン/ドビュッシー管弦楽作品集2 | geezenstacの森

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ルイ・ド・フロマン

ドビュッシー管弦楽作品集2

 

曲目/

 

 

指揮/ルイ・ド・フロマン

演奏/ルクセンブルク放送管弦楽団

 

録音/1972−1973

VOXBOX   SVBX5128

 

 

 

  第二巻のほうは同じモネの睡蓮の絵ですが、バックはダークピンクを使っています。第一巻に比べてちょっと安っぽい仕上がりになっていますが、曲目は渋いものが揃っています。最初はバレー音楽の「遊戯」、ノクターン、同じくバレーのカンマ、そして交響的組曲、最後が管弦楽のための映像と言う作品が収められています。まぁこの中ではノクターンや映像はよく知られた作品の方でしょう。

 

このセットとは別に同じくボックスのキャンディーシリーズというのがあり、そちらには独創と管弦楽のための競争的作品が収められたアルバムを発売されていました。このキャンディーシリーズっていうのは、通常のボックスターンナバアウトの販売価格よりも1ドル高いシリーズになっていました。多分ボックスはちょっとハイグレードな路線を狙ったのでしょう。こんなジャケットで発売されていました。この一枚は国内ではワーナーパイオニア時代に「ルクセンブルク放送管弦楽団の芸術」というシリーズで発売されていました。こちらのジャケットはゴーギャンが使われていました。

 

 

 冒頭の「遊戯」はバレエ・リュスのニジンスキーの依頼によって書かれた20分弱のバレエ音楽で、4管編成の第オーケストラの作品として作曲されいます。3人の男女によるテニスのプレイの様を恋の駆け引きとして描いている作品です。こちらもモントゥーの指揮で初演されていますが、この上演から2週間後にストラヴィンスキーの「春の祭典」が初演され大混乱を招いたためこの作品はほとんど忘れ去られていました。バレエ作品としては2000年に蘇演されるまで忘れ去られていました。そんなことで音楽もほとんど聞く機会がなかったと言ってもいい作品です。

 

 

 「カンマ」もバレエ作品ですがこちらはドビュッシーの生前には演奏されることもありませんでした。

 

 

 「雲」、「祭り」、「シレーヌ」で構成された「ノクターン」は一種の音画のような作品でそれぞれタイトルにタイトルがついていて、まさに、印象派の作品だなぁと感じさせます。良く、ジェームズ・ホイッスラーのイメージでたとえられますが、曲ごとに楽器構成が違うという意味では組曲なんでしょう。フロマンの指揮はあまり色彩感を感じさせなく、その意味ではやや物足りない部分もあるのですが、弦の細やかな表情には聴くべきところがあります。

 

 

 

 

 

 「映像」は「ジーク」、「イベリア」、「春のロンド」から構成される作品ですが、2曲目の「イベリア」はさらに「街の道から田舎の道から (Par les rues et par les chemins)」、「夜の薫り (Les parfums de la nuit)」、「祭りの日の朝 (Le matin d'un jour de fête)」の3つのパーツで構成されています。ルイ・ド・フロマンの残念なのはちょうど同じ時期にマルティノンがEMIに同様なドビュッシー」の管弦楽作品集を録音したことでしょう。それで、こちらのセットは霞んでしまいました。また、日本ではちょうど契約がコロムビアからワーナー・パイオニアに変わった頃で発売窓口がなかったことも影響しているのでしょう。マルティノンとの比較は苦しいところですが、こちらもフランスのお隣ということでは木管楽器のレベルも高く、結構ハイレベルの演奏を聴かせてくれます。

 

 

 

 

 そうそう、このルクセンブルク放送管弦楽団は、1996年からルクセンブルク放送局が運営を打ち切ったのですが、ルクセンブルク政府がアンリ・ペンシス財団を設立させ、それを管理運営母体とし、ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の名称で存続することとなりました。そして、2026年からは次期音楽監督に、若手指揮者のマーティン・ラジュナ(Martin Rajna, 1995年-)を任命しました。ラジュナは、ハンガリー出身の若干29歳で、2023年からハンガリー国立歌劇場の音楽監督、及びハンガリーのジュール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めている有望な若手指揮者です。ハンガリーと言えば、かつては、夭折のイシュトヴァン・ケルテスや巨匠ゲオルグ・ショルティ、現代ではアダムとイヴァンのフィッシャー兄弟といった名指揮者を輩出してきましたが、新世代の才能の出現を予感させます。