月光仮面を作った男たち
著者:樋口尚文
出版:平凡社新書
空前の大ヒットを記録した初の国産連続テレビ映画『月光仮面』の放送開始から50年。映画づくりにかかわった男たちの情熱と、メディア史上におけるその大きな意義を克明に描く。 日本初の連続テレビ映画の華々しい成功の影に、無名の若きアウトローたちの映画づくりへの情熱が込められていた。時は昭和33年。時代の大きな転換点にあった映像メディアの
実像と映画人たちの生き様を描く。---データベース---
タイトルが気になったので捕獲した本です。我々の世代にとって「月光仮面」と言うのはヒーローでした。ただこの本には月光仮面の写真すら掲載されていません。そう、この本は、月光仮面そのものではなくその周辺のことを記録した本だからです。ということでは、月光仮面の写真を期待した人にはがっかりな1冊でしょう。下は原作者の川内康範氏の地元にある「月光仮面」の銅像です。
テレビドラマの創世記の作品ですが、16ミリフィルムで撮影されたということで作品は残っています。簡易の8ミリではなく16ミリと言うところが味噌でしょう。ただしテレビということで映画用の撮影機器は使用できませんでした。そこで採用されたのがわずか22秒しか記録することができない手回しの16ミリ撮影機だったわけです。そのため、非常にテンポが良いテレビドラマになっていました。最初はわずか10分の帯番組でした。これがまた当時の子供たちを引きつけたのでしょう。そして何よりも良かったのが、この作品が昭和33年に発表されたということです。
この本にはしっかりと書かれていますが、この昭和33年と言うのは、日本の映画人口がピークを極めた年です。つまりテレビの登場とともに、映画は衰退産業となっていっていたわけです。そのエポックメーキングの作品がこの月光仮面という作品であったわけです。この本ではこの作品が誕生するまでの裏話がびっしりと書かれています。今の人は馴染みがないかもしれませんが「宣弘社」というプロダクションがこの月光仮面の制作に関わっていました。我々にとっても非常に懐かしい名前で、この月光仮面を始め、「豹の目」、「怪傑ハリマオ」と言う作品も全て「宣弘社」が制作していました。小生はギリギリ、この月光仮面の登場の時、かすかに記憶がある人間でもありますす。
さて、この作品で、もう一つ興味深いのは、この作品ではあまり触れられていませんが、このドラマを有名にしたのは主題歌でした。タイトルバックに流れるこのメロディーは今でも口ずさむことができます。こんな曲でした。作曲は先日紹介した交響曲「日本の城」の作曲家、小川寛興氏でした。
この冒頭のメロディーどこかで聴き覚えはないでしょうか。そう中日ドラゴンズの1番最初に発表された「燃えよドラゴンズ」が、このイントロをそのまま使っていたことです。歌っていたのは、坂東英二、ジャイアンツのV 9を阻止したドラゴンズの応援歌として誕生しました。
この本、「月光仮面を作った男たち」と言うことで、ほとんど宣弘社と言うプロダクションの周辺の物語になっています。ですから、当時の話の中でも別のプロダクションが制作した、例えば「まぼろし探偵」、「七色仮面」、「遊星王子」、「ナショナルキッド」といった作品については全く触れられていません。まぁそういうところがちょっと残念かなぁとは思いますが、作品の趣旨からいったらこういうことになるのでしょう。
宣弘社の歴史ということで、この後登場してくるのは「隠密剣士」と言う作品です。この作品も主演は大瀬康一氏でした。この作品は、今考えれば忍者ブームのしつけ役になったような作品です。時代背景から行くとちょうど今NHKで放送されている 蔦屋重三郎物語の「べらぼう」の頃と同じ筋立てで、蝦夷地の抜荷を調べるために旅をすると言うのが、本来の隠密剣士でした。ただ、それは全く人気に火がつかなかったということで、第二部からはここに忍者を登場させると言うスパイスが加えられました。これに火がついて日本中が忍者ブームになったような気がします。後に「仮面の忍者赤影」もこの宣弘社がプロデュースしています。とにかく忍者が登場すると言うことで、主人公より結構歳はとっていましたが、牧冬吉と言う俳優が「霧の遁兵衛」として登場したキャラクターはその忍者ブームを牽引しました。まぁ懐かしい思い出です。そしてこの日曜夜の「隠密剣士」はこの後、「水戸黄門」や「大岡越前」という時代劇ブームの時代を切り開いていきます。今では宣弘社は版権管理会社としての存在でしかありませんが、そういう1つのプロダクションの制作した作品をつらつらと眺めているだけでも楽しい本になっています。